メイン

本 アーカイブ

2006年08月05日

むしばミュータンスの冒険

虫歯菌のミュータンスが、子どもたちに「どんどん甘いものを食べてくれたまえ」「歯を磨かないでくれたまえ」などと言うつくりになっている、まぁ、言ってみれば啓蒙的な絵本だ。

しかし、作者の加古里子のこの絵本を読むと、歯がむずむずしてきて、より念入りに歯磨きをしたくなるのは大人のほうかもしれないと感じさせるような、エモーショナルな魅力がある。

加古里子さんのほかの絵本では、だるまさんシリーズや、「どろぼうがっこう」など、丁寧だがふところが深いゆったりとした感じが気に入っている。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4494009237/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%93%E3%81%95%E3%81%A8%E3%81%97

加古里子さんが行っていたというセツルメントの活動というのは、どういうものだったのだろうかというのも気になる。

2006年09月25日

『若者はなぜ3年で辞めるのか』

城繁幸[2006]『若者はなぜ3年で辞めるのか』(光文社新書)

退職したばかりということもあり、興味深く読んだ。
年功序列を基礎とする「昭和的価値観」にとらわれるな、というアジテーション本。

筆者自身、退職することを連絡したら、母親に「だめよ」と電話で言われたという経験を書いている。

わたしなりに要約すると、「昭和的価値観」(面倒見るから無理も聞け)の、「面倒を見るから」が崩壊している以上、無理を聞くというのは単なる惰性でしかない。そのことに気づいて、会社に残るにしろ、自分の人生は自分で切り開く覚悟を持つべきじゃないかという主張だと思う。

30代がうつ病が多いのは、単に激務というより、閉塞感によるものではないかという分析は正しいと思う。

たつをさんの、詳細な読書メモ(↓)もどうぞ。
http://nais.to/~yto/clog/2006-09-16-3.html


2006年09月29日

「なるほど」の対話

河合隼雄・吉本ばなな[2005]『なるほどの対話』(新潮文庫)

吉本ばななと河合隼雄の対談。
長い東海道線の友に、軽めの本をと思って買ったが、予想以上に興味深かった。

途中で河合隼雄が、自分は普通、対談ではあまり話さないで、あいづちばかりうっているのに、ばななさん相手ではよく話していると言っているが、確かにそうだと感じる。
臨床の現場で、吉本ばななの作品を大切にしているクライアントが多くいるからだろうが、河合先生自身が吉本ばななをとても尊敬している感じが伝わってくる。

ふたりとも、日本のしがらみ社会の中で格闘して、成功しているので、名前にある種の先入観が着いてしまっている嫌いがあって、読まなくても、ああ河合隼雄ね、吉本ばななね、とやりすごせるようなところがあるが、今回この対談を読んで、もう少しお二人の本をちゃんと読んでみようかという気になってきた。

ぼく自身は、非常に、学校化された価値観の中で育ってきてしまっているから、「学校が自分をぐちゃぐちゃにした」とまで言う吉本ばななを本当のところではよくわからないのだけれど、ぐちゃぐちゃにされてもまだ生きている学校化以前の自分というものがあるということはどういうことなのか、考えるべきであるような気がしている。

以下、印象的なところの抜書き。

吉本 (笑)「だめよ、あなた学校行かなきゃ」。

河合 そうそう、「行かなきゃだめよ!」とか、「無理してでも引っ張っていった方がいいって聞いた」とか。

(中略)

吉本 ああいう人たちと戦ったことはありますか?

河合 そりゃあ、もう。ただ、ヘタに戦ったら損やからね。戦って叩きのめしてしまったらそれはええけど、なかなかそうはいかないから。変なふうに戦うと損だから、上手に。
P49


吉本 死ぬ間際に自分の人生を振り返ってみて、子ども時代と歳をとってからのことを「ああ、あの頃はゆめみたいだったなあ」と思いたいんです。
P65


吉本 その変わっていない日本的しがらみというのは何かの役に立っているんでしょうか。日本の何を支えているんですか!

河合 やっぱり能力のない人を支えている強力な武器でしょうね。

吉本 なるほど!

河合 日本は犯罪が少ないでしょ。安全ですよね。それも日本のしがらみのおかげだと思いますよ。
P93


吉本 いじめられかけても、笑いでごまかしたり、うまく逃げたりして、なんとかしのいで。だから学校には、いい思い出はほとんどないんです。「学校は自分をぐちゃぐちゃにした」という印象が強くあります。学校に行かなかった自分を見てみたいなあ。素晴しくもないだろうけど、いまみたいではなかっただろうなあ。学校、つらかったですねえ……。だから、学校みたいなものが、もう一度、訪れると思っただけで、ドキドキ、びくびくしちゃいます。
P105


河合 いま現代人は、みんな「社会」病にかかっているんです。なにも、社会の役になんて立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしてないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」とぼくは思っています。社会へ出ていくとか、だいたい社会というものが、あるのか、ないのか。それから、なんで貢献せないかんのか、とか。全部、不明でしょ、ほんとのとこは。
P111


河合 とにかく日本には、おせっかいが多い。それは、「創造する」作業にとって、ものすごくマイナスなんですよ。創造する人は、その世界にいないとダメなのに、そこへガヤガヤと手や足を突っ込んでくるわけやからね。そういったものから自分を守るのは、たいへんだと思います。それでも作家の人たちは、なんとか頑張っておられるけれど。日本はクリエイティビティを表に出すのが、とても難しい社会です。それは作家だけではなくて、学者でもそうです。
P119


吉本 作家にとって「どう生きていくのか」ということと「どう書いていくのか」ということが、ものすごく一致してきちゃう時代だなあ、といま思っています。

(中略)

若い人たちの悩みを見ると。これまで書いてきたようなものを書いても、もうだめな時代なのかなあと思います。悩みというか、そのつらさが、なんとなく伝わってくるんです。「つらくてしょうがない」という感じなんですよ。「そんなに言うほどでもないんじゃないの」とも思うのですが、やっぱり、希望が持ちにくくて、つらくてしょうがないんだろうなあ、と思うのです。だから、浮き世離れしたところで、チョロチョロっと夢みたいなことを書いても、だめなんだなあ、と。そういう感じとしか言えない。
PP129-130


吉本 とにかく、きれいな感じのマンションみたいのに住んで、そこで小綺麗に小綺麗にすればなんとかなるという発想があって、で、そこの部屋からは汚くなったものは全部出しちゃうんです。たとえば、赤ちゃんでも、きれいに生まれてこなかったらポイッて捨てちゃったり、お年寄りでも寝たきりになっちゃったら死ねばいいと思ったり。
(中略)
自分の親が死んでいこうとしているのに、マンションで放っぽっとくなんてことは、人類始まって以来のことなんじゃないでしょうか。
P170


2006年10月07日

河合隼雄のカウンセリング入門

河合隼雄のカウンセリング入門―実技指導をとおしてを読んでいる。

お世話になっている人から、読んでみたらと言われて読んでいるが、非常に面白い。

続きを読む "河合隼雄のカウンセリング入門" »

2006年10月13日

民法のすすめ

星野英一[1998]『民法のすすめ』(岩波新書)を読んだ。

概説の入門書だが、ご専門の越境を厭わず、大事な話には踏み込んで書いている。
日本には責任をとりうる個人からなる<社会>は存在していなくて、顔見知りの人間関係に過ぎない<世間>しかないという見方を紹介していた。
日本に社会が存在していないと早くに指摘したのは、森有正らしい。

「民法出でて忠孝滅ぶ」という議論が、民法制定時にあったようだが、しがらみ社会は21世紀でもなかなか健在・・

2006年10月19日

グーグル・アマゾン化する社会

森健[2006]『グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書)

ひとことで言えば、ロングテールとか参加型とか言うが、一極集中は取り返しがたく進んでいっているのじゃないか、という問題提起。

続きを読む "グーグル・アマゾン化する社会" »

2006年10月20日

下流喰い

須田 慎一郎[2006]『下流喰い―消費者金融の実態』(ちくま新書)

消費者金融批判の本。

いやはやすさまじいなと思う。
会社を辞めて、ちょっと他人事ではない部分もあるが。

続きを読む "下流喰い" »

2006年10月24日

勝てる!?離婚調停

尊敬する町村先生と、離婚カウンセラー(離婚メディエーター?)の池内ひろ美さんが書かれた本。
基本的には、離婚を考える夫か妻かが、厳重にブックカバーを掛けてこっそり読むような本なんだろうと思うが、離婚の家事調停というものを当事者の視点で書かれており、家事調停の制度を考える上でもとても重要な本だと思った。

調停委員のイメージのアンケートグラフ(上位から、「信頼できない」「自分の価値観の押し付け」「不公平」「決め付ける」と来て、次にやっと「親切」。P207)などは大変貴重なデータだとおもう。

続きを読む "勝てる!?離婚調停" »

2006年10月25日

古い調停委員研修の資料

古い調停委員研修の資料を読んでいる。
古いなぁと思うところももちろん多々あるが、いいこと書いてあるなぁというところもある。

 ・・実情把握の要諦は、辛抱して、双方気のすむまで述べさせ、これを聞くことにあるのである。
 ただ、ここに特に注意を要することは、調停において把握すべき実情というのは、訴訟における争点の真実発見というような狭いものではなく、紛争の事情関係をも含めたものである。
 ・・
 とっくりと 実情きくが 虎の巻
P88
財団法人日本調停協会連合会編[1963]『調停委員の研修用テキスト』(財団法人日本調停協会連合会)

続きを読む "古い調停委員研修の資料" »

2006年10月28日

裁判と社会-裁判の常識「再考」

フット先生の本が出た。

読まなくっちゃ。

2006年11月06日

ワークショップな10冊プラスワン

 聴くこと、コミュニケーション技術、会議をうまく進めるテクニックなどを扱った本は、街の書店に山積みされています。どれも似ているように見えますが、本質的なところに触れているものと、浅いテクニックの寄せ集めとに分かれるようにわたしには感じられます。
 21世紀の社会科学にとっては、客観的で検証可能な外部としての社会システムのデザインの技術ではなく、「自己を含む集団」に対して統治していくための技術であり思想が重要であると考えます。
 易しそうに見えても高度なものが多いのがこの分野の特徴だと思います。インタフェースが洗練されすぎていて、その奥深さがかえってわかりにくいのかもしれません。ともあれ、ぜひ一読いただきたいものばかりです。

続きを読む "ワークショップな10冊プラスワン" »

2006年11月10日

オーラル・ヒストリー

御厨貴[2002]『オーラル・ヒストリー―現代史のための口述記録』(中公新書)

オーラル・ヒストリーの価値と方法について、経験を踏まえて書かれた本。
オーラルなとりまとめをいつもされているあってか、とても読みやすい。

わたしが、シンクタンクにいたとき、入社してしばらくはアンケート調査などの定量調査がもっぱらだったのが、ある段階からインタビュー調査の比率が高くなった。
インタビューのノウハウについていくつか教えてもらいながら、ほとんど手探りでやっていったが、インタビュー調査ならではの面白さがあるように思う。

続きを読む "オーラル・ヒストリー" »

2006年11月13日

裁判と社会

ダニエル・H. フット[2006]『裁判と社会―司法の「常識」再考』(NTT出版)

また、読書メモは書くかもしれないけれど、まずは感想。
わたしの指導をしてくださっている先生だからというのではないけれど、非常にショックを受けた。

一読して、この本は影響力を持つだろうなと思った。
すくなくとも法学者には読まれそうだが、官僚も読み出すんじゃないかと思う。
ビジネスマンは読むかどうか分からないが、ベストセラーになる可能性も充分備えているように感じた。

日本の司法システムに対して、アメリカなどに比較してこれが足りないと言い立てたり、逆に、アメリカの言いなりでこんなに振り回されているなどという話はよく聞くが、その種の話は得てして、その話し手の領域に読者を扇動して引き込むための戦術にすぎないことが多い。
この本で、基本的のとられているスタンスは、そういうものとは全く違う。
日本の司法システムを、ひとつの先進国の司法システムとして尊重しながら、その発展経緯を<動態>として捉えている、というふうにまとめられるかもしれない。

法体系を<静態>として、解釈的に陳述する説明が、日本ではあまりにも幅を利かせているので、この本が持っているような、達成されているものと達成されていないものを相対化できる視点を持てるような法学の本はほとんど見かけないが、これは稀有な例外だと思う。

日本では何かあると、すぐ「重大な改革の時期だ」などと騒ぎ立てるので、日本の改革騒ぎには眉につばをつけて見る癖がついているとしたうえで、それにも関わらず、現代の司法制度改革は本当の大きな改革をしようとしていると述べている。
わたしもそうだと思う。

2006年11月14日

読まなくっちゃ

KogoLab Research & Review 中西紹一『ワークショップ 偶然をデザインする技術』

2006年11月16日

読書メモ:小泉義之『レヴィナス』

小泉義之[2003]『レヴィナス―何のために生きるのか』(NHK出版)

読書メモ:

 何のために生きるのか。何ものかのために生きる。しかし、何ものかのために生きることを通して、自分のために生きる。しかし、自分のために生きることを通して他者のために生きる。しかし、他者のために生きることを通して人類のために生きる。ところで、人間は肉体の愛を通して子どもを生むことがある。そのことを通して、再び、他者のために生きる。そして、再び、人類のために生きる。ところで、人間は死ぬ。さらに再び、死ぬことを通して、他者のためと人類のために生きて死ぬ。総じて、奇妙な言い方に聞こえるだろうが、何のために生きるかといえば、死ぬために生きるのである。 p10

続きを読む "読書メモ:小泉義之『レヴィナス』" »

2006年12月02日

読書メモ:村上春樹『アフターダーク』

読書メモ:

二年前のことだけど、立川で放火殺人事件があった。・・こいつは死刑判決を受けた。今の日本の裁判事例でいえば、当然の判決だ。強殺で二人以上殺したら、ほとんどの場合死刑になるんだ。絞首刑。おまけに放火までしている。だいたいこの男はとんでもないやつだった。暴力的な傾向があって、前にも何度か刑務所に入っている。家族にもとっくに見放され、薬物中毒で、釈放されて出てくるたびに犯罪を犯している。改悛の情というようなものも、露ほども見られない。控訴したって、100パーセント棄却される。弁護士も国選で最初からあきらめている。だから死刑判決が下りても誰も驚かない。僕だって驚かなかった。裁判長が判決主文を読み上げるのを聞いて、メモを取りながら、まあ当然だろうなと思っていた。で、裁判が終わって、霞ヶ関の駅から地下鉄に乗ってうちに帰ってきて、机の前に座って裁判のメモを整理し始めたんだけれど、そのときに僕は突然、どうしようもない気持ちになった。なんていえばいいんだろう、世界中の電圧がすっと下降してしまったみたいな感じだった。すべてが一段暗くなり、一段階冷たくなった。身体が細かく震え始めて、とまらなくなった。そのうちうっすらと涙まで出てきた。どうしてだろう。説明できない。その男が死刑判決を受けて、どうして僕がそんなにうろたえなくっちゃならないんだ? だってさ、そいつは救いがたくろくでもないやつだったんだ。その男と僕とのあいだには、何の共通点もつながりもないはずだ。なのに、なぜこんなに多くの感情を乱されるのだろう? P144

村上春樹[2006]『アフターダーク』(講談社文庫)

2006年12月04日

丸山真男、加藤周一『翻訳と日本の近代』

丸山真男、加藤周一[1998]『翻訳と日本の近代』(岩波新書)

対談というより加藤周一が丸山真男に聞いているという形式の本。

明治の日本人は、西洋文明の本質を理解しようと、歴史書が多く翻訳され、読まれていたという。
当時は翻訳者にも公法と私法の区別が理解できなかったらしいが、それでも万国公法がベストセラーになっていたとか。
相手のことがさっぱりわからないときには、案外本質に向かうということで、受験生たちがミニマムエッセンシャルズを教えろという態度とは真逆になるんだろうなと感じる。

また、丸山真男の福沢諭吉に対する敬意は非常に強いものがあるが、西洋文明の本質に科学的思考があることを強調していたこと、数学的物理学に代表される空理空論の価値を一貫して言っていたことなども紹介していた。福沢に特有な実験への注目はデューイに近い(p164)とか。

2006年12月12日

365 TV-FREE Activities

スティーブ ベネット (著), ルース・ロッテール ベネット (著), Steve Bennett (原著), Ruth Loetterle Bennett (原著), 矢羽野 薫 (翻訳) [2003]『子どもが育つ親子あそび365』(ポプラ社)
という本を買ってみた。

TVに頼らずに子どもと遊ぶ方法が365個挙げられている。
日本語の帯では、知育みたいなことを強調しているが、べつにそういうことに関心があまりなくても、子どもと遊ぶネタとして、良いのではないかと思った。

また、少しアレンジすれば、ワークショップのアイスブレークネタにも使えるものもありそうな気がする。

2006年12月25日

自由論

光文社古典新訳文庫が熱い。

J-S ミル、山岡洋一訳[2006]『自由論』(光文社古典新訳文庫)

自由論は明治初期の日本で大ベストセラーだったらしい。
そのころは、「社会」という訳すらない時代で、大変だったようなのだが。

この本の最後に、ミルの年譜が書いてある。
奥さんとの関係だけを抜き出すと、

友人の妻であるハリエット・テーラーと知り合ったのがミル24歳のとき。
交際して家族や友人と孤立。
ハリエット・テーラーの夫が死ぬのがミル43歳。
ハリエット・テーラーと結婚するのがミル45歳。
家族や友人からますます孤立。
妻ハリエット死去(ミル52歳)。
『自由論』出版(ミル53歳)。

妻に対しての熱烈な賛辞が序文に書かれているが、それだけのものがあるんだろうなぁ・・

2006年12月28日

学習漫画

子どもの頃、たぶん集英社版だったと思うが、日本の歴史というシリーズの学習漫画が好きでよく繰り返して読んでいた。

近所の図書館に行ってみると、『世界の歴史』、『中国の歴史』などもシリーズ化されている。
『世界の歴史』は監修が、最近亡くなった木村尚三郎先生だった。

出版年を見てみると、『世界の歴史』は1986年、『中国の歴史』は1987年だった。
Amazonで調べてみると、いずれも、2000年以降に新たに企画された新しい版が作られているらしい。

『学習漫画 中国の歴史―集英社版 (1)』

87年版の『中国の歴史』は、横山光輝の三国志と絵柄が似ていて、そこがおかしい。

2007年01月04日

ロビンソン・クルーソー

正月の読書は、ロビンソン・クルーソーだった。

デフォー著、吉田健一訳[1951]『ロビンソン漂流記』(新潮文庫)

原作は、1719年。
訳は吉田健一で、1951年。
1951年と言えば、朝鮮戦争勃発の翌年で、サンフランシスコ平和条約の年。
世間が終戦直後の動乱にあるときに、こういう小説を引きこもって翻訳していた吉田健一って、すてき。

あとがきで吉田健一も書いている通り、大人が読んで、極めて面白い物語だ。

限界的な状況にあっての、心理状態の動きがリアルで、途中で病気になってはじめて、宗教心に目覚め、とても敬虔なキリスト教徒に変わっていくのだが、その様が面白い。
決して主人公は気持ちの良い人物というふうには描かれていない。
むしろ、周りの人たちに助けられているのに、そのありがたさをあまり解らず、ぼんやりとした冒険心で出かけた結果、とんでもない目に合うのを繰り返している愚かな人物と言ってもよい。(・・このあたり、ちょっと他人事と思えない)

続きを読む "ロビンソン・クルーソー" »

2007年02月07日

ベイザーマン

もうひとつ、交渉に関する心理学の本として良いものだと思うのが、ベイザーマンだ。

アンカリング(たまたま出てきた交渉上の数値に縛られる)などの、認知バイアスが意思決定にもたらす影響を述べている。

マックス・H・ベイザーマン、マーガレット A・ニール著 奥村哲史訳[2005] 『マネージャーのための交渉の認知心理学 戦略的思考の処方箋』 (白桃書房)

7つの認知バイアスは、以下の通り。
(1) 行動のエスカレーション
(2) パイの大きさは決まっている、という思いこみ
(3) 係留効果(アンカリング)と調整
(4) 枠付作用(フレーミング)
(5) 情報の入手可能性
(6) 勝者の呪縛
(7) 自己過信

2007年02月12日

おりがみ百科

山口真[1988]『日本のおりがみ百科―母から子へ伝えたい』(ナツメ社)

長男が幼稚園から借りてきた本。
ボロボロになっている。

定番のおりがみがたくさん収録されている。
折り方の説明も丁寧だし、できあがりの写真も載っていて、実際に折りやすい。

気に入ったので買おうかとも思ったけれど、せっかく幼稚園から借りているのだし、これは買うのはよそうと思っている。

2007年02月15日

最新ADR活用ガイドブック

日本弁護士連合会ADR(裁判外紛争処理機関)センター編[2006]『最新ADR活用ガイドブック―ADR法解説と関係機関利用の手引』(新日本法規)

をようやく入手した。
手続フローや実績が書いてあり、参考になる。

途中の注釈で自分の名前を見つけてぎょっとする。悪いことはできませんなぁ・・
著者のひとりのT先生の仕業かな。

隣接士業について、リストに土地家屋調査士会しか載せていないのはちょっといかがなものかとおもった。

2007年02月17日

新ハーバード流交渉術

R. フィッシャー、D. シャピロ、 印南一路(訳)[2006]『新ハーバード流交渉術 論理と感情をどう生かすか』(講談社)

フィッシャーさん、もう、中東の交渉話はやめれ。などとは、だれも言えないくらいの大御所の新作。
好き嫌いは抜きにして議論の前提になるタイプの本だという意味で、うまい邦題のつけ方だと思う。
最後に文献案内が載っている。「ポジティブ心理学」についての言及があって、興味を引いた。
ドイチェ、コールマンのHandbook of Conflict Resolutionも読むべきと言っている。

2007年03月16日

水源

アイン・ランド, 藤森 かよこ (訳)[2004] 『水源―The Fountainhead』(ビジネス社)
を読み終わった。

アメリカの代表的大衆作家のひとりと言われるアイン・ランド(Ayn Rand)の1943年の作品。

2段組で1000ページ以上もあり、定価がきっかり5000円というとんでもない小説なのだが、娯楽作品としても十分に面白く、読ませる。

ハワード・ロークという建築家が主人公で、これは、フランク・ロイド・ライトがモデルになっていると言われているらしいのだが、実話に基づいているという種類のものではなくて、モチーフにされたものだろう。

続きを読む "水源" »

2007年03月19日

インタビューゲーム

平井雷太[2005]『子どもの言いぶん おとなの聞きかた―ホントの気持ち、伝わっていますか』(ウェイツ)

子どもに(大人でもいいのだが)、20分間インタビューして、10分でざっとまとめてしまうという、インタビューゲームの記録。
5歳くらいの子どもたちが相手でも、けっこう、ちゃんとしたインタビューになっている。

パソコンを使わずに、10分でまとめるというところのやり方がもう一つよくわからないのだけれど。
(本に掲載されているインタビューの結果は、とても10分でまとめたものとは思えない)

この、平井雷太氏というのは、らくだ方式と呼ぶセルフラーニングの提唱者。
目的を持たずに学習するというコンセプトに興味がある。

平井氏の考え方には、好きなこと、得意なことを伸ばしましょうというイデオロギーを超える部分が何かあるのではないかと思って興味を持っている。

2007年03月21日

1人起業の本

渡辺パコ[2005]『1人起業でひとまず年商3000万円をめざそう!―初期投資ゼロで何をやる?どうやる?』(かんき出版)

この著者の本は、以前に、生命保険の仕組みについての解説本を読んで、ずいぶん親切で、わかりやすく書く人だなぁと好印象を持っていた。
最近は、八ヶ岳にも家を持って、東京と二拠点生活をしているらしい。
ちょっと、タイトルに品が・・という気がするが、いまどきは、わかりやすく実利を訴えないとダメだという見本か。

http://suizockanbunko.com/kigyo/で、この本のエッセンスのワークシートを公開している。気前が良い。

2007年04月05日

英語への遠い道

先日ハワイでメディエーションのトレーニングを受けたりしているが、英語は得意・・ではない。

単に文献を読んだりするだけじゃなくて、きちんと能力を伸ばす努力もすべきだなぁと、いまさらながらおもう。

笹野洋子[2002]『 「読んで身につけた」40歳からの英語独学法』(講談社)

を読み返していたのだが、家族に勉強ぶりが、「すさまじいね」と言われたというくだりが出てくる。
この本のトーンとしては、音読など、淡々とした努力を繰り返すと英語力は伸びるというものなのだが、静かな迫力の背景には、「すさまじい」努力があったのだろうなとおもった。

2007年04月07日

海からの贈物

アン・モロウ・リンドバーグ、 吉田健一(訳)[1963]『海からの贈物』(新潮文庫)

「いま」とか「ここ」とか「個人」が、未来とか、どこか他の場所とか、<多数>とかによって、分断され、ばらばらにされているという危険に立ち向かうにはどうしたらいいかを書いた1955年の作品。

この本の中に、サン=テグジュペリの「愛とは、互いに相手の顔を見つめあうことではなく、同じ方向を向くこと」という言葉が紹介されていた。

英文では、こういうらしい

2007年04月11日

カンニングペーパー持ち込み可の試験

トレーニングや講義の方法の本も時々読む。

B.G. デイビス、R. ウイルソン、L. ウッド [2002] 『授業をどうする!―カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集』(東海大学出版会)

この本は薄くて、ネタが多い。

テストの方法として、1枚だけ自分で書いたメモというか、カンニングペーパーを持ち込んでよいというスタイルで行うやり方があるらしい。
参考書を持ち込み可にすると、既知の情報の確認に時間をとりすぎる傾向があるが、1枚こっきりだとそれがない。学生は、棒暗記のような勉強をする必要がなくなるし、そのメモの作成時に、講義全体をふりかえる機会を与えるという効果もあると書いてあった。

なるほど。

2007年04月20日

平田オリザ『演技と演出』

もとえ先生からの質問もあったので、確認してみたら、第一回目のクラスでやったことは、「演技と演出」の中の特に第一章で書いてある内容と重なっていました。

平田オリザ[2004]『演技と演出』(講談社現代新書)

たとえば、1~50の数字カードを配って、大きい数字は「大きいものを作る会社」、小さい数字は「小さいものを作る会社」として自分で考えて、自己紹介をしあい、足して50になる組み合わせを目指してカップルになるというゲームなど。

2007年04月27日

鈴木克明 『教材設計マニュアル』

鈴木克明[2002]『教材設計マニュアル―独学を支援するために』(北大路書房)

よいと思ったのは、テストに対する考え方のところで、
・テストから逆に、教材開発を行うべし
・テストは、順位付けに用いるべからず
・テストは、入り口でトレーニングに入るかの選別と
 (それも2種類ある)、出口での理解の確認に行う
・テストの出来が悪ければ、教え方を見直すべし
といった基準が出されている。

と、以前、mixiに書いたのを、ちょっといじって再掲。

サブタイトルは、「独学を支援するために」と書かれているが、独学でなくてももちろん役に立つ。

学習課題には、
・言語機能と知的技能
・運動技能
・態度
の3つがあって、それぞれ「テスト」の仕方が異なるという点も紹介されている。

態度ないし、心をどうやってテストするか・・が、問題だが、それについては、3つ(わかりやすく説明するにはなんでも3つがいいのだ・・)の手段として、

・論文を書かせる
・行動を観察する
・「あなただったらこんなときどうするか」を聞き、さらにその意図を聞く

というやり方が紹介されている。

心までテストされて、いやだなぁと思うか、それとも、こんなことでは心はわからないぜとおもうか。

2007年05月03日

小林恭二『父』

小林恭二[1999]『父』(新潮社)

文庫

図書館で借りて、読み終わった。

小林恭二のお父さんの話。
東大法学部卒で、サディストで、神戸製鋼のNo.2まで出世し、子どもに仏教哲学やらなんやらの講義をし、最後はブロン液中毒になる、強烈なキャラの人の話。

2007年05月04日

小田原「わんぱくらんど」

小田原子どもの森公園‘わんぱくらんど’:0465.net

山の中にある子ども向け遊び場。
汽車(200円)、ポニー乗馬(200円)などの有料施設はあるが、ローラーすべり台などの無料の大型遊具がある公園。
駐車場も無料だし、気に入った。

手塚一弘[2006]『子どもと楽しむ神奈川アウトドアブック』(メイツ出版)
にも乗っていた。
ここの出版社(メイツ出版)は、ユーザ視点で集めた子育てのためのスポット集で成功しているようだ。

2007年05月07日

アイデアマラソン3冊目

アイデアマラソンという簡単な自己啓発活動というのを続けている。
と言っても、単に、1000個のマスがある手帳に、思いついたアイデアを書くというだけの簡単なものだ。
シンプルだし、自由だし、ほとんどお金がかからないし気に入っている。

5月1日に、2冊目を終了した。
今回は211日で1000個のマスを埋めた。およそアイデアと呼べないような書き付けも多数含まれているが、1日平均4.7個のメモを書いたということになる。
例えば、「○時○分、東海道線大磯発東京行きは比較的すいている。」といったレベルのことも書いている。
このアイデアマラソンの提唱者の樋口健夫氏は、1000個考えれば3件程度のすばらしい発想と、5件程度の実行可能・実現可能な発想が含まれている可能性が高いと言っている。

以前のエントリー(2006/10/15)

2007年05月15日

優雅な生活が最高の復讐である

カルヴィン・トムキンズ、青山南訳[2004]『優雅な生活が最高の復讐である』(新潮文庫)

なるほどこんな本だったのか。
比ゆ的にいえば、豪華客船での冒険旅行だとおもった。

主人公のジェラルドの妻のセーラが、スコット(フィッツジェラルド)に言った言葉が目にとまった。

質問をある程度すればひとのことはわかるとおもっているとしたら、大間違いよ。あなたには人間というものがまるでわかっていない P179

・・・くどくど、説明は不要だろう。そのとおりではないか。

この美しい本の最後は、以下の文章で終わる。

ジェラルド・マーフィはレジェの言葉を引くのが好きだった――「快適な生活とひどい仕事、ないしは、ひどい生活と美しい仕事、どっちかだよ」。しかし、優雅な生活は、生活か仕事かのどちらかで失ったものへの十分な復讐にはならなかった。ジェラルドはかつて語ったことがある。絵をはじめるまではぜんぜん幸せじゃなかった、絵をやめざるをえなくなってからは二度と幸せになれなかった、と。 P239

2007年05月17日

宇佐見寛『大学授業入門』

宇佐見寛[2007]『大学授業入門』(東信堂)

74歳になる教育学者の新しい著書。
向後千春先生のブログで紹介されていたので読んだ。

読み始め、反なめられ主義(P176)を標榜するだけあって、いばりんぼうな文章スタイルに、ちょっと毒気にあてられた感じがした。
しかし、非常に現代的な問題意識が感じられ、刺激的だった。

まず、5分以上連続した講義をしないで、授業を構成するという特徴がある。「教材研究をし、主要な「?」を予め構想する。授業での指示・発問も用意する。・・ノートの取り方を指導する」(P175)つまり、徹底的にインタラクティブに進める。

ノートの取り方として、具体例を書かせることを教える。「要約病」がはびこっていることをなげいている。たしかに、これも重要な考え方だと思う。

「AさせたいならBと言え」という技術も興味深い。「酒を飲みすぎるな」では、言われた方に意味が生じないが、「酒の味が淡くなったら飲むのをやめろ」というような感覚的・経験的な内容を含めた言い方なら、行動が変わりうる。こうしたメッセージを研究すべきであると言う。「お鍋をしっかり洗え」ではなく「ゴシゴシ洗う音がこちらに聞こえるように」とか、ハードルを飛ばせるときに「もっと脚を拡げて」ではなく、「運動靴の底を前のひとに見えるように」言うべきであるとかの例も豊富に紹介されている。

2007年05月21日

中西紹一『ワークショップ』


中西紹一、松田 朋春、紫牟田伸子、宮脇靖典[2006]『ワークショップ 偶然をデザインする技術』(宣伝会議)

「機会が能力より重要な意味を持ち、核心になるのは競争ではなく偶然」という木村資生の進化の中立説を使って、弱肉強食の進化論へのアンチテーゼとしてのワークショップの価値を強調している。競争の強化よりも、拘束条件を緩和して、(中立的な)進化が起こりやすい状況を作り出すことが重要と。

まあ、しかし、拘束するのが仕事の人たち(つまり、創造を仕事とせず、創造するものたちを指導・監督するという名目で拘束する人たち)が、自らの存在を否定するかのような行動はとらないのが「合理的」である。そこをどう越えるかとか、どう戦うかという話はあまりなかった。決まった答えはないのだろうけれど。

それでも、興味深い話題はたくさんでてきていて、例えば、スターバックスの経営理念「(家庭と職場と異なる)サードプレイスの提供」というのは有名なもののようだけれど、わたしは知らなかったので勉強になった。

2007年05月25日

小林恭二『数寄者日記』

小林恭二[1997]『数寄者日記―無作法御免の茶道入門!』(淡交社)

小林恭二が、茶道を(はじめて)習うという企画のエッセイ集である。
はじめにで、「日本の文芸は基本的には茶道に収斂する」とまで言っている割には、あまり真剣におけいこするわけでもなく、雑誌の編集部の企画の言われるがままにあっちいったりこっちいったりと、不器用な体験を繰り返す。
読んでいる限りでは、妙に堂々としている。が、かといって悪びれているわけでもなく、冷や汗をかいたという表現もよく出てくる。

小林恭二は奥さんに、大きい生き物が一匹家にいるようだ、と言われているらしいが、文学者とはそういうものなんだろうか。

この日、日本のやきものについて延々と教わってひとつ感じたことがある。それは、日本人の美的センスの中心にあるのは「面白がる」ということだな、ということ。P143

2007年05月26日

平田オリザ『芸術立国論』

平田オリザ[2001]『芸術立国論』(集英社新書)

『演劇入門』、『演技と演出』が、表の平田オリザだとすると、こちらは裏である。

演劇人としての経験を踏まえた、芸術政策の提言である。
日本で、芸術保険制度を作って安く演劇を楽しめるようにすることとか、演劇図書館を地方に作って、司書として演劇評論家を雇用・育成すべきこととか、妄想力豊かな提言があって興味が惹かれる。

続きを読む "平田オリザ『芸術立国論』" »

2007年06月01日

ルビ付き日本の近代史

小熊英二[2006]『日本という国』(理論社)

明治初期には、義務教育のことを強迫教育と言っていたらしい(原語はcompulsory education)といった、なかなかキャッチーな話題から始まって、戦前・戦後に形成された「この国の形」をざっくりと記述したもの。

ざっくりと書かれているが、論拠としてはしっかりしているものだけを使っているようだ。それでも、1945年2月に近衛文麿が進言した降服交渉を昭和天皇が拒否したという、天皇の戦争責任に直接関係する話など、こうした話を聞きたくない人からすれば、「何を言っている」と言われそうな部分についてもしっかりと書いている。

まあ、言ってみれば、古き良き岩波・朝日的なポジションからの発言ということにはなるだろうが、すべての文字にルビが振られている過剰さなどからしても、知的誠実性を軽視しムードに流れがちな最近の風潮になんとか掉さしたいという迫力は伝わってくる。

2007年06月03日

[絵本]わらっちゃった

次男が図書館で借りてきた本。

けんかした子どもが、夜中に鬼になってしまって、おばけ寄席につれていかれ、さんざん笑った後に、やはり鬼になっているけんかした相手に出会う。
鬼同士がにらめっこをするのだが、つい笑ってしまう・・というお話。

けんかしている二人の間に入っておろおろしていたしーちゃんという女の子は、三つ目になって、やはりおばけ寄席に行くのだ。

2007年06月16日

細川幸一『消費者政策学』

細川幸一[2007]『消費者政策学』(成文堂)

読まなくっちゃ。

2007年06月25日

あなたへの社会構成主義

ケネス・J・ガーゲン、東村和子訳[2004]『あなたへの社会構成主義』(ナカニシヤ出版)

 私は学部学生の頃、「科学的な」心理学のトレーニング――実証的方法論、厳密な測定、統計的分析を用いることによって、心の機能に関する真実に接近できるという期待にもとづいた心理学におけるトレーニング――を受けました。・・これはある意味、職業上のトリックです。  ・・・  私はもはや、このような研究をすることはないでしょう。・・何よりも大事だと思うのは、「真理を確立する」ことを目的としない研究のもつ価値や可能性について、もっと議論していくことです。・・「科学的な」解釈が社会に広まった時、いったい何が起こるのでしょうか。それによって何かを得るのは誰でしょうか。反対に、失うのは誰でしょうか。どうすれば、私たちは共に未来を作り上げたいと願うようになるのでしょうか。 P86-87

こうした立場に立つ本は昨今少なくないのだけれど、
・著者の私の立場からあなたへの語りかけという形式が貫徹していること
・様々な学問分野における研究成果を貪欲に渉猟してきたものであり、記述量が多いこと
という特徴がある。

現代西洋人がひとりで書いた『思想の科学事典』といった趣きの本だ。

メディエーションについてもかなり詳しく読み込んでいるようで、『ハーバード流交渉術』はもちろん、"The Promise of Mediation"なども紹介されている。
メディエーションも含めて「モダニズムの世界観に深くとらわれている」「個人主義的な見方が想定されている」という紹介のされ方ではあるが、思想の最先端の話にもこうして登場している状況は、やはり日本での議論とは大違いだと思える。

2007年07月06日

ウェブ人間論

梅田望夫,平野啓一郎[2006]『ウェブ人間論』(新潮新書)

なんか軽めの本をと思って読んだのだが、平野啓一郎さんは若いのに真面目で、それほど軽い読後感ではなかった。
真面目な平野さんと対談すると、梅田さんは、思想の人ではなく商売の人だということがますますはっきりして、商売が下手な人間としてはその反対側に共感するなあと感じながら読んだ。

唯一、「現実が嫌な時は改善する努力をすべき」という平野氏に対して、いやいや、「努力して自分に適した場所に移動するのは、限られた自分の時間を生きるためには必要だ」という梅田氏に共感した。平野氏は正論を言っているのだが。



2007年07月19日

雨宮処凛『生きさせろ!』

雨宮処凛[2007]『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)

フリーターがいかに悲惨かという話と、そういうフリーターたちが自己責任論に縛られてしまって、自分を責めることはあっても、社会に対して声を上げないという構造を分析している。
若いアクティビスト型の思想家の、ジャーナリスティックな作品で、いろいろな形で運動している人や、この問題に取り組んでいる社会学者へのインタビューなどもあり、参考になった。

わたしが、特に興味を引いたのが、松本哉さんという方。

雨宮処凛ブログ

Wikipedia:松本哉
松本哉インタビュー
週刊・素人の乱

NPO POSSE

宮本みち子[2002]『若者が『社会的弱者』に転落する』(洋泉社新書)
平井玄[2005]『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』(太田出版)
白石嘉治、大野 英士[2005]『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論)

過去のエントリー:『若者はなぜ3年で辞めるのか』



2007年08月03日

二弁仲裁センターの事例集

第二東京弁護士会仲裁センター運営委員会[2007]『ADR解決事例精選77』(第一法規)

1990年に設立された、民間型で分野非限定という意味で、最初のADR機関が二弁仲裁センターである。
その最新の事例集。

各事例には、「心証開示」やら「促進型(自主交渉援助型)」やらの分類もなされている。
本物の事件がこうして解決されているという事実は重い。

以前のエントリー:仲裁センター規則・候補者名簿



2007年08月08日

コルシニ『心理療法に生かすロールプレイング・マニュアル』

レイモンドJ.コルシニ、金子賢監訳[2004]『心理療法に生かすロールプレイング・マニュアル』

アドラー派の心理学者が書いたロールプレイの本。
日本語訳は教育関係者でアドラー心理学のグループとは必ずしも関係がないようだ。
事例が豊富で、また、一つ一つの章が完結したメッセージを持っていて読みやすい。

水泳を引き合いに出して、ロールプレイという全体的アプローチ(ホリスティックアプローチ)の有効性を言っている。(P11)
座学で教えるより、安全なプールで水に浸かりながらいろいろ試すほうが有効ではないかと言っている。

ロールプレイは、畳の上の水練にすぎないとも言われることもあるが、畳なのか、プールなのかによって大違いである。

あせらず励むこと。単純な問題を、単純な方法で取り扱うこと。一度に多くを行なわないこと。そして、結果を待つこと。P154



2007年08月12日

内田樹『先生はえらい』

内田樹[2005]『先生はえらい』 (ちくまプリマー新書)

教育論なのだが、主にコミュニケーション論だった。

「資格をとる」ために、フレーズを覚えて吐き出すような暗記勉強をするということから、いかに遠いところに学びはあるかということを、クドクドと書いている。
資格がない「若者」が資格を求めてうつろな疾走をすることに対して、著者は冷ややかである。
(わたしは、この冷ややかさに違和感がある。)

言い換えれば、学ぶものが自分自身学びたい本質的な問いを立てて、その問いを投影できる人を見つけることができたら、それが最高の先生であり、なにか有用な「情報」や答えを与えてくれるのが先生だと考えるから間違いなのだということを言っている。

引用文を読んでいただいたらおわかりになるとおもうが、中高生を読者として想定してある新書向けに書かれたもので、とても読みやすい。
こういう入門書こそ一生懸命書くというスタンスは見習うべきだと思った。

 学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。  ・・  私は上で、プロの人なら言うことは決まっていると書きました。  それは、「技術に完成はない」と「完璧を逸する仕方において創造性はある」です。  この二つが「学ぶ」ということの核心にある事実です。  P31-32


 今聴いたばかりの話を「ずっと前から聴きたいと思っていた話」だと思うのは、よくあることなんです。
 「一目惚れ」がそうでしょう?
 「一目惚れ」というのは、「今あったばかりの人」のことを「ずっと前から合いたいと思っていた人」だと信じ込むことですよね。この人とは「いつか出会うことを運命づけられていた」というような不思議な既視感が気分のよい対話でも経験されます。
 気分の良い対話では、話す方は「言うつもりのなかったこと」を話して、「ほんとうに言いたいことを言った」という達成感を覚えます。聴く方は「聴くつもりのなかった話」を聴いて、「前から聴きたかったことを聴いた」という満足感を覚えます。言い換えると、当事者のそれぞれが、そんな欲望を自分が持っていることを知らなかった欲望に気づかされる、という経験です。
 まさしく、それを経験することが、対話の本質なんです。
 P71

 みなさんは、まだお若いからビジネスというものの経験がないでしょうけれど、この機会に良く覚えておいて下さいね(私は実はむかし友人たちと会社を経営していたことがあるのです。学者になるために引退しちゃいましたけれど)。
 その経験から申し上げますが、ビジネスというのは、良質の商品を、積算根拠の明快な、適正な価格設定で市場に送り出したら必ず「売れる」というものではありません。
 ・・
 交易が継続するためには、この代金でこの商品を購入したことに対する割り切れなさが残る必要があるのです。クライアントをリピーターにするためには、「よい品をどんどん安く」だけではダメなんです。「もう一度あの場所に行き、もう一度交換をしてみたいという消費者の欲望に点火する、価格設定にかかわる「謎」が必須なんです。
P81

 恋人に向かって「キミのことをもっと理解したい」というのは愛の始まりを告げることばですけれど、「あなたって人がよーくわかったわ」というのはたいてい別れのときに言うことばです。
 ごらんの通り、コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから、「理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。
P102



2007年08月14日

チームビルディング

堀公俊, 加藤彰,加留部 貴行[2007]『チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ)』(日本経済新聞)

巻末にアイスブレーク集があって、半分はこれを目当てに買った。ファシリテーション協会のサイトで紹介されていたものとかなりかぶっているが、さらに増えて全部で120個整理されている。

ファシリテーション本の次に、チームワーク本に移行するのは、『会議が絶対うまくいく法』の次に『チームが絶対うまくいく法』を書いたデイヴィッド・ストラウスのやり方を類推させる。

ちょっと気になっているのは、ファシリテーションは、ある意味一期一会的な時空間への働きかけのスキルということでよいのだが、チームワークを考えるときには、組織というチームの上位の存在をどう考えるかという点である。
もっと突っ込んで言うと、組織の目的設定がまともでなければ、うまくいかないチームワークは成員を守る働きがあるのに、それをうまくいかせてしまうと、まともでない組織に成員を動員する方法になってしまう。

そうならないためには、ファシリテーター倫理も必要だが、単なる個人のスキルというより、もう少し手続設計的な視点が必要だと思う。
例えば、ISOの消費者ADRでは苦情を単に聞きおくだけでなく、会社組織がそこでのメッセージを生かすプロセス設計が求められている。同様に、会社内チームビルディングでも、その部分がないとと思うのだ。

以前のエントリ:同じ著者による『ファシリテーション・グラフィック』



2007年08月15日

枡野浩一『結婚失格』

枡野浩一[2006]『結婚失格』(講談社)

歌人の枡野浩一が、離婚調停と裁判を進めながら連載していた書評小説。

著者は、別れたくない夫であり、別れることは認めるとしても、なんとか子どもに会いたい夫という立場である。
ストーカー防止法をふりまわす元妻側の弁護士への憤りなどは真っ当なのだが、何が真っ当であるかというのもなかなか難しい問題だ。
解説で穂村弘が、ネットで批判を受けると、わざわざ出かけて行って相手の目の前に現れて反論するという枡野の過剰としかいいようがないふるまいを紹介している。
子どもが食事前に大声でイタダキマスと叫ぶのを見てビクッとする大人のような気分がすると言っているが、たしかに真っ当な過剰さ、あるいは過剰な真っ当さが迫ってこられるとたまらんだろう。
そういう意味でウソをついてまでストーカー防止法を言いたくなる元妻にだんだん共感する部分がでてくるという奇妙な本である。

もうちょっとわかる言葉で話してよ。弁護士ぬきで。日本の文字で。
というのは、名歌だとおもう。



2007年08月20日

辻井啓作『独立開業マニュアル』

辻井啓作[2003]『独立開業マニュアル―これだけは知っといてや』 (岩波アクティブ新書)

ファシリテーショントレーニングなどを手がけられているmarkyさんこと青木将幸さんのサイトで紹介されていた本の中で、異彩な雰囲気を放っていたので読んでみた。

全編関西弁で書かれた、独立開業する人へのアドバイス。

見開きの写真を見るとかなりのおじさんに見えたが・・同い年だった。失礼しました。

自営といってもいろいろあるが、調査だったりコンサルティングだったり、あるいはトレーニングだったりというサービス業型の独立開業は案外あるのではないかと思うが、筆者自身そのような立場であり、自分の経験を踏まえて、懇切丁寧に怪人21面相ばりの関西弁で語りかけてくれる。

知っておくべき知識以上に、気持ちの持ち方について、独立とは、営業とは、ひとづきあいとは、自分を育てるとは・・といった問題への考え方の指針を示している。
モラリッシュな本だ。

結城浩さんの仕事の心がけを思い出した。

相手から不条理な悪い言葉が渡されたとき、それは自分の中には取り込まない。きちんと聞くけれども受け入れない。感情的なフレイバー(香り)を剥ぎ取った事実だけを受け取ること。

・・これが、なかなか、でけへんな。

以前のエントリー:きたみりゅうじ『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました』



2007年08月21日

角田光代『対岸の彼女』

角田光代[2004]『対岸の彼女』(文藝春秋)
角田光代さんの直木賞受賞作。

上手な小説だなぁとおもう。
葵さんと小夜子さんという二人の女性が主人公なのだが、葵の少女時代の回想の描写と、小夜子さんが葵さんの会社で働く現在の描写が交互に進んで行き、最後に重なってくるという仕掛けがある。

平田オリザさんが、イジメはなぜ、どういう風にして起こるかがとてもうまく書いてあると紹介してくれたので読んだ。

希望がない状況では無意味な序列化をするしかなくなってくるというのは、よくわかる。
角田さんも演劇の経験があるらしい。
そのためか、人物造形がはっきりしていてわかりやすい。

その分、未解決な問題もいろいろ気になったのだが。
例えば、葵さんのお母さんはどうなったとか。小夜子さんの夫や姑との関係はこれからどうなっていくんだろうかとか。



2007年08月23日

司法書士ADR実践の手引

商品詳細(司法書士ADR実践の手引) | 新日本法規出版株式会社 Webショップ

司法書士ADR実践の手引: 紀伊國屋書店BookWeb

紀伊国屋さん、HTML Titleの漢字が違っているんですけど。
 司法趣士→司法書士

読みます。

2007年08月27日

エリザベス・クレアリー『子どもの心をしずめる24の方法』

エリザベス・クレアリー、田上時子+本田敏子訳[2007]『子どもの心をしずめる24の方法』(築地書館)(24 Simple Self-Calming Tools by Elizabeth Crary, Parenting Press Inc.)

子どもの心を静めるだと。なんとおこがましい、また、操作的なタイトルだなと思ったが、原題は、「24の自分を落ち着かせるツール」だった。
この差は大きいと思うのだが、邦題をつけた人は、この方が売れると思ったのかな。

内容的にはとても、まっとうだった。

(注意)人は(大人でも子どもでも)本当に怒っているときは、たとえよかれと思っていることであっても、アドバイスされるのも提案されるのも望んでいません。P13

と書いてあって、可笑しい。

要は、気持ちをしずめる24の方法(以下の24個)を順に紹介してある本である。
もともとは、この24個の方法がカードに書いてあって、それは、子ども向けのワークショップで使う目的のものだったらしい。

●からだを使う
大きくからだを動かす
怒りの感情をふり落とす
落ちついて深呼吸する
自分のからだを抱きしめる

●聞く・話す
誰かと話す
前向きな独り言を言う
音楽を聞く
おもしろい歌を歌う

●見る
本を読む
外をながめる
静かな場所を思い描く
水槽を見る

●ものをつくる
絵を描く
手紙を書く
何かをつくる
パンを焼く

●自分をなぐさめる
抱きしめてもらう
水を飲む
暖かいお風呂に入る
おやつを食べる

●ユーモラスな方法
おもしろい本を読む
ゆかいなビデオを見る
状況のユーモラスな面を見る
おどけた顔をする
P15

以下抜書き。

怒りとは、ある状況に対するからだの反応です。 怒りは、エネルギーのひとつの形です。 怒りそれ自体はよくも悪くもありません。でも、怒りを表現する行為によって、問題を引き起こすことがあります。

怒りは怒りを増幅します。
・・

怒りをためこむと、その怒りをもちつづけることになります。
・・
P5

感情と行動を区別することが大切です。
どんな感情も○ですが、行動には○と×があります。
まず感情がめばえ、次に行動が続きます。子どもが怒りを感じているときには、「イライラするのはいいけど、ものを投げるのはだめよ」と言いましょう。
P9



2007年09月08日

安斎育郎『だます心 だまされる心』

安斎育郎[2005]『だます心 だまされる心』 (岩波新書)

筆者は、手品の愛好家であり、ジャパン・スケプティクス(超自然現象を批判的・科学的に検証する会)会長である学者。

手品から、悪徳商法、詐欺に至るまでさまざまな「騙し」の世界の幅の広さを紹介している。
筆者が言っているのは、騙しの基本的な構造は、人間が部分的な情報から全体像を推論する知的能力にあると述べている。
この能力を逆手にとったものが、騙しのテクニックであるという。

この筆者のスタンスは、批判的知性によって騙されないようにしよう、手品のように害のない騙される楽しみは大いに結構だが、超能力などと言っているのはほとんどインチキだと言いたいわけである。
古典的な啓蒙的スタンスといえるかもしれない。

情報社会といわれる現代社会では、かえって、「不完全情報下の意思決定」が必要になる場面が多くなるから、えいっと「決める」必要性にさらされる面が強くなっている。
そのストレスに耐えがたいという市民感情が、オカルトに走りやすい背景の一つなっているということはその通りかもしれないが、「批判的知性によって騙されないようにしよう」というアプローチが常に有効かどうかは留保がいるのではないかとおもった。

ちょっと、本題とは離れるのだが、紹介していたサラリーマン川柳が目に留まった。

ようやった!!事情が変わった なぜやった!! 無責任上司

日本的、事後論理を良くあらわしているなぁ・・



2007年09月13日

言語ゲームと社会理論

橋爪 大三郎[1985]『言語ゲームと社会理論―ヴィトゲンシュタイン ハート・ルーマン』(勁草書房)

現在は、東工大の教授の橋爪大三郎先生の若いころの作品。代表作というか出世作らしい。

ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を、丁寧に紹介しているが、独自の理解ではあるのだろう。
そのあたりがよくわからないので、別の本も読まないといけないのだろうが、この本のように明快なものはそうそうないだろう。

「言語ゲームが遂行的(performative)な事態である」ということと、「われわれの日常生活や日常言語は、ヴィトゲンシュタインのなかで、至高の現実としての位置を占める」ということが、主題であり、また、様々なことを考える手がかりにもなる。

言葉には、論理があるから意味が伝わるという側面と、その次の行為が約束されているから信じるという飛躍を敢えてできるという側面がある。後者を徹底的に考えるアプローチと言えるだろう。

過去のエントリー:ケネス・J・ガーゲン『あなたへの社会構成主義』

2007年09月14日

宮本みち子『若者が『社会的弱者』に転落する』

宮本みち子[2002]『若者が『社会的弱者』に転落する』(洋泉社新書)

福祉政策としての若者支援を、海外の政策との比較を引きながら論じたもの。
読みやすいし、情報量がある。

転換期にある若者をどのように支援したらよいかを考えるよりは、若者バッシングになりがちなのが近年の特徴となっている。とくに、社会の中枢にいる団塊の世代が、自分の子ども世代にあたる若者をバッシングの対象としている点に、日本の奇妙な世代間関係が凝縮されている。 P44

と、書いてあるように、若者バッシングに対して批判的な立場をとっている。

ベネッセの調査結果を引いていたが、45.8%のお母さんが、「自分は子育てに向いていない」と回答しているらしい。そりゃあ、少子化にもなるわな、と思う。

エスピン=アンデルセンの社会の分類を紹介していた。
つまり、福祉の生産が国家と市場と家庭の間に振り分けられる仕方には以下の3種類があるという。
1.アングロ・サクソン系の自由主義のレジーム。市場の機能推奨。
2.大陸ヨーロッパ型の保守主義のレジーム。国民を各層に分け、それぞれの層に対する保障制度をつくり、それと家族主義を組み合わせていくもの。
3.北欧諸国の社会民主主義のレジーム。福祉の普遍主義。脱商品化に特徴がある。
そして、日本は上記の3つにあてはまらず、イタリアなどの南欧諸国と同様に、社会扶助の残余的性格が強く、強固な家族主義が背景にある第四の分類にあてはまるらしい。

その家族主義が、家庭内で暴力を帯びつつ崩壊しつつあるということか・・

2007年09月29日

ローマの歴史

季節の変わり目で、落ち着かない。下手なことをして、運命の神さまに見放されたくないので、首をすくめていようという感じがする今日この頃、みなさま、いかがおすごしでしょうか。

I. モンタネッリ (著), 藤沢 道郎 (翻訳)[1996]『ローマの歴史』 (中公文庫)

とても面白い本なのだが、ちょびちょびと読み進めている。
井沢元彦ちっくに大胆に読みやすいローマ史。もちろん、朝日新聞の悪口は出てこないが。


2007年10月03日

金哲彦 『カラダ革命ランニング―マッスル補強運動と正しい走り方』

金哲彦 [2004] 『カラダ革命ランニング―マッスル補強運動と正しい走り方』(講談社)

今年の3月からジョギングを始めて、まだ続いている。

走るフォームのこととか何か参考にならないだろうかと思って読んでみたが、良い本だった。
わたしは姿勢が悪いので気にしていたが、姿勢を良くすることが、走る以前に大切だと強調している。

例えば、手を上に上げ、背中の肩甲骨の間の筋肉に気をつけながら、ぐっと引っ張る「プルダウン」という体操をすると、姿勢がぐっとよくなるということがイラスト入りで紹介されていた。

よく、頭から吊り下げられているような意識で、などといって姿勢を正すことが言われるが、なかなかピンと来ない。
こういう体操をすればよいと言われると、まねがしやすい。
そういう意味で、非常に親切な本だと思う。

2007年11月09日

行列講座本


牟田静香 [2007]『人が集まる !行列ができる !講座、イベントの作り方』(講談社+α新書)

大田区の男女共同参画を推進するための外郭団体で、さまざまな市民講座を企画・広報している方のノウハウ本。

広告代理店で働いた経験などはなく、手探りで試行錯誤しているうちに、さまざまなノウハウを開発できたその経緯を詳しく紹介してくれている。
言ってみれば、焼け野原でリヤカーを引いて商売を始めて、その後立派な店を構えるまでのたたき上げの成功談みたいな本。でも、まったく素人なのに、イラストまで習って、人集めにかけている(そして、お世辞にもあまりうまいとはいえない(失礼!)イラストが掲載されている)ところをみると、その姿勢には本当に感銘を受ける。

ほかには、講座のタイトルには認知度の低い言葉を入れるのは厳禁であることなども、事例を交えて懇切丁寧に説明している。そういう意味では、メディエーター養成講座などというのは、参加者がこないように自分からしているということになる。(受講者というより、参加者と呼ぶほうが、印象がいいらしい)

わたしは、調停人養成講座(メディエーショントレーニング)の関係でいろいろやっているので、研修や講座の企画の大変さはよくわかる。しかし、広報の部分はいつも人任せでほとんどお膳立てしてもらっていたので、この本を読んで改めて、その大変さを実感した。言って見れば、調停合意よりも応諾が大変なのだ。

ところで、この本の後ろのほうで、アサーティブトレーニングの広告の実例のところに、妻の友人でわたしのマイミクでもある人が載っていて驚いた。It's a small worldだなぁと。

2007年11月10日

プロ講師本

安宅仁、石田一廣[2007]『プロ講師になる方法―講演は自分を活かす新しい舞台だ! リピートがどんどんくる成功ノウハウのすべて』(PHP研究所)

紹介するのが恥ずかしいタイトルの本ではあるが、何らかの講師の役割をする人にとっては、とても役に立つ内容だと思う。

参加型トレーニングというより、90分から二時間程度の講演が念頭にあるものだが、それで食べている人にはさすがにいろいろノウハウがあるものだと感心した。

例えば、使える仕込みネタとして、以下のようなものが説明されている。
・冒頭つかみネタ
・使用統計データ
・外見ワンポイント
・比喩・寓話
・とっておきの雑談
・参加型ゲーム・クイズ
・眠気覚ましアクション
・魅せるツール(なんらかの現物のこと)
・スポーツネタ
・歴史ネタ
・専門トリビア
・オリジナル法則
・オリジナルノウハウ名
・メッセージ格言

わたしが知っている上手な先生も、確かに紹介されているテクニックをいくつか使っていると思い当たる。

「シンクタンク系の講師って、数字ばかりでつまらないケースが多いのです。」(P167)

とあって、ギクっとする。

2007年11月14日

アサーティブ本

「アサーティブ」という考え方と技術を少しまじめに勉強しようと思い始めている。

いままでなんとなく敬遠していたのは、
・女性解放という文脈が強い
・ビジネス寄りに解釈した「アサーティブ」は強さ志向で、口ごもりや言いよどみを排除する志向がある
というあたりかなとおもう。

しかし、同じアサーティブという言葉でも、誰からどのように学ぶかによって大きく異なるだろうと思い直し、やはり日本では、NPOアサーティブジャパンがよいような気がしてきて、いくつか本を買ってみた。

まず読んだのが、アン・ディクソン[2007]『アン・ディクソン来日記念講演 対立を超え対等な地平へ』(特定非営利活動法人アサーティブジャパン)

これは、2006年の講演録を起こしたもので読みやすい。

アン・ディクソン氏がアサーティブに触れたのは1976年ということで、メディエーション運動のルーツとほぼ同時期であるが、25年の歴史を振り返っているところなどは非常に興味深かった。知名度が上がるが、根本的な理念や原則が失われていったという話が紹介されていた。この歴史の動きも、メディエーションの歴史とシンクロしているようにも思えた。

アサーティブジャパンというNPOは、トレーニングによってビジネスモデルを成立させているようだ。
自己主催のトレーニングと共に、自治体などへの派遣型のトレーニングも多く提供しているようで、NPOの運営としてもうまくまわしているようだ。

2007年11月23日

デザイン本

南雲治嘉[2006]『100の悩みに100のデザイン 自分を変える「解決法」』(光文社新書)

デザインの本質は、「問題を解決すること」です。(P5)

というもの。
原因除去モデルでなく、解決構成モデルで考える方法論を、デザイナーの立場で書いている。

99の悩みを見開き図解入りで解決方法を示していくというもの。
こういうスタイルを見ると、つい「吉本新喜劇ギャグ100連発」を思い出してしまうのだが。

「子供のために絵本を作ってみたい」という方法には、以下のステップが紹介されている。
1.テーマ設定
 ・何を伝えたい?
 ・子供への手紙のつもりで
 ・基本はポジティブ
2.ストーリー
 ・起承転結を
 ・悪者は必ずヒーローにやられる
 ・しかし、悪者は死なない
3.サムネール
 ・24場面に絞込み
 ・名刺サイズほどの絵を描く
4.ダミー
 ・原寸サイズで上質紙などに絵を描く
5.表現
 ・広げた形で絵と文字を入れる
 ・画用紙を使用
6.製本
 ・中を折って、背と背を接着していく
7.表紙
 ・厚紙で表紙

99の悩みは、数百の悩みの中から選んで答えたという構成なので、すべてが一貫したテーマになっているというわけではない。
他には、「色の持つ力」として、黄色は楽しい気分にするなどの効能も紹介していた。

最後の100番目の悩みは、あなたの悩みを書き込んでくださいとのこと。


2007年12月11日

星野欣生先生の新作

星野欣生[2007]『職場の人間関係づくりトレーニング』(金子書房)
を、書店で見かけて、すぐ買った。
前作の、人間関係づくりトレーニングが、いい本だったので。

まだパラパラ見ただけだが、別に「職場の人間関係」に限らずに使えそう。

日本体験学習研究所(JIEL)で、星野欣生先生の講座が行われているようだ。

2007年12月17日

フット先生新刊

ダニエル H.フット (著), 溜箭 将之 (翻訳) [2007]『名もない顔もない司法―日本の裁判は変わるのか』 (NTT出版ライブラリーレゾナント 40)

偉大なるフット先生のサバティカル本第二段。

「透明な存在であるボク」のなれの果てとしての司法システムを批判する本と言えるのかもしれない。
この問題は根深い。

以前のエントリー:裁判と社会

2008年02月15日

Collins First Dictionary

Collins First Dictionary (Collin's Children's Dictionaries)

という4歳児向け英語辞書を買ってみた。

すべての単語に絵が入っていて、

 kitten
 A kitten is a baby cat.

というようなごく簡単な説明文がついている。

これを買ってみた動機は、何かの本に、発信型の英語力をつけるには幼児用の辞書と子供用辞書を使うと良いと書いてあったから。

cuddleなんて単語知らなかったが、なにしろ4歳児レベルなのだ。

この本は、子どもたちも興味深げに見に来る。

2008年03月23日

自分で始める

河合 太介 (著), 高橋 克徳 (著), 永田 稔 (著) [2008]『不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか 』(講談社現代新書 1926) (新書)

いかにも今どきの新書という感じの本だが、職場の問題をタイムリーにコンパクトに報告している。
かなり売れているようだ。

アマゾンの書評を見ていると、「思い当たる節がある」「わかりやすく不機嫌な職場になる仕組みを説明している」という肯定的評価と、「事例に納得感がない」「深い分析がない」「紹介されている職場の例が気持ち悪い」という否定的評価に分かれているようだ。

個人的には、産業カウンセラーが、脱落した社員を、対処療法的に扱うだけで、環境改善につながっていない場合が多いという記述(P47)が興味深かった。

もうひとつ目にとまったのは、Googleの採用方針として、協調して仕事をできるということと、セルフスターター(自分で始められること)を重視しているという話。

2008年03月27日

ワインバーグ文章読本

G.M.ワインバーグ (著), 伊豆原 弓 (翻訳)[2007]『ワインバーグの文章読本』(翔泳社)

ワインバーグは、ITコンサルタント業界では有名な人物だが、文化系の人にはなじみが薄いかもしれない。

プロの物書きとしての文章の作り方を紹介している。
文章を書くための方法論であるのだが、よくよく読むと、一種の生き方論である。

問題意識を持って、書くべきことを見つけ、メモを作るところ-そのメモを”自然石”と呼んでいる-を重視している。
梅棹忠夫が「ミニ論文」と呼んでいるものと似ている発想だとおもった。
彼の言う”自然石構築法”は、”綿菓子構築法”と対比される。
何も書きたいことがないのに、もっともらしいフレームワークだけを使って、無内容な文章を書き散らす手法を批判している。

どうして綿菓子レンガ積み法を使う人が多いのだろうか。この方法の最大の利点は、言葉がなかなか出てこないときも、たいしてアイデアがないときでさえも、綿菓子のレンガで何ページも埋められることである。 P127
そういう意味では、(インチキ)コンサルタント批判であるとも読める。

ワインバーグは、瞑想を行っているらしい。
”自然石構築法”は、書きたいことを探して、それをそこそこの形に仕上げる方法である。
(この、有意味であれば、不完全でも良いとする発想は、無意味な完全性を追求する<学校教育>批判でもある。)

さて、ショートカットを拒否したやり方なのだが、それをするためには、石を捜すか、石を積むか・・つまりせっせと働かなくてはいけないということを言っている。せっせと働くことの最大の障害は「中毒」である。
麻薬中毒のようなことだけを言っているのではない。しなければならないことへの直面を避けるために不毛なことへの逃避をする全般を「中毒」と呼んでいる。中毒を断ち切る知性と創造力があればよいのだが、それを本当の意味で断ち切るのは容易ではない。他人の”中毒”を見つけるのは簡単でも、自分のそれを改善するのは大変だ。

ワインバーグは、自分がすべきことを知るために次の問い(ゴルディロックスの質問)を自分自身に対してなすことにしているらしい。


わたしはいまどういう状態なのか?
アイデアが多すぎるのか?
アイデアが少なすぎるのか?
それとも子ぐまのおかゆのようにちょうどいいのか?
P25

2008年04月09日

ADR仲裁法

山田文・山本和彦[2008]『ADR仲裁法』(日本評論社)

ADRの必読書がまた一つ。
論文集ではなく、網羅性を意図して作った「教科書」。


2008年04月13日

子どもと若者のための認知行動療法ワークブック

ポール・スタラード著/下山晴彦監訳[2006]『子どもと若者のための認知行動療法ワークブック―上手に考え、気分はスッキリ』(金剛出版)

東大・教育学部で臨床心理学を教えている下山教授の研究室が訳書を出した認知行動療法のワークブック。

非常にわかりやすい説明と、いくつかのワークがある。
セルフヘルプのワークブックとしても使えそうだし、ワークショップのネタにも使えそう。
単にワークの方法が書いてあるだけでなく、意図についても説明があるところが親切。

認知行動療法は、エリスの論理療法からスタートしている。
その意味でアサーティブトレーニングとも兄弟関係にあるともいえる。


下山晴彦研究室


こういうリンク集もある。

2008年04月17日

Moore "Mediation Process"翻訳

クリストファー・ムーア (著), レビン 小林久子 (翻訳) [2008]『調停のプロセス―紛争解決に向けた実践的戦略』(日本加除出版)

ついに出版されたようです。

2008年04月26日

社会学の名著30

竹内洋[2008]『社会学の名著30』(ちくま新書)

社会や集団にはこうした深い非合理的感情が付着しているが、神はそうした(われわれの深い感情が付着した)社会の象徴である。神が社会を作るのではなく、社会へのわれわれの感情の反映が神なのである。犯罪もこうした観点からとらえられる。犯罪処罰は犯罪を抑止することよりも、怒りなどの感情共同体を構築することで社会的連帯感情を喚起させる儀式として大きな意味がある。 P29 (ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』の紹介として)

2008年05月04日

本:湯浅誠『反貧困』

湯浅誠[2008]『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 (岩波新書 新赤版 1124)

ホームレスや、ネットカフェ難民の支援などをされている湯浅さんの著書。
自分と同じ年齢ということもあり、新聞記事などではいろいろ気にしていたが、著書としては初めて読んだ。全青司(全国青年司法書士協議会)の話も177頁にちょっとだけ出てくる。

ホームレスの人がアパートを借りるときの連帯保証人になるという事業を行っている。
そんなことをしてはお金がいくらあっても足りないと言われていろいろな人に止められたが、実際に滞納などの金銭トラブルになるのは5%にすぎず、事業として継続できているということだった。(P126)

本当の意味で「パンドラの箱を開けた」のは、活動のもう一つの柱だった生活相談のほうかもしれない。<もやい>で受ける生活相談は、年々増大し、多様化・複雑化している。<もやい>では、連帯保証人を提供していなくても、生活に困っている人なら誰にでも門戸を開いているので、日本社会における貧困の広がりに比例して、生活相談も増え続けている。対応するスタッフは六年半の活動の中で少しずつ増えてきたが、常に限界を超える相談件数を抱えている。(略)・・ネットカフェで暮らしている二〇代若年ワーキング・プアの相談を受けた後に、年金だけで暮らしが成り立たない高齢者の話を聞き、次には友人宅に居候しているうつ病の女性の訴えを聞く、といった多様さが日常的な相談風景になっている。ときに現今の貧困問題を「就職氷河期世代」だけの問題であるかのように言う人がいるが、それが目立つ部分を表層的にさらっただけの矮小化に過ぎないことは、<もやい>の相談を一日でも見学すれば誰でも理解するだろう。(PP130-131)
個別対応の充実と社会的問題提起、その双方の歯車が噛み合うことは、ある課題について社会的な動きをもたらすための極めて基本的な条件である。しかし残念なことに、一般的には両者が相互に軽視しあう傾向が散見される。個別対応に力を入れる側から見れば、社会的問題提起は現場を「お留守」にした人気取りのように見えてくるし、後者からすれば、前者は原因や構造に目を向けずに個別対応に埋没している自滅路線と見えてくるからだ。しかし、まさに両者がそうした危険性を内包しているがゆえに、お互いの弱点を補い合う連携が必要だ。(P180)

2008年05月06日

Beautiful Mind

エドワード・デ・ボノ(住友 進 訳)[2005]『魅せる会話 ― あなたのまわりに人が集まる話し方』(阪急コミュニケーションズ)

motoe lab経由で知って読んだ。

論理療法(認知行動療法)のエリスに似ているなぁと思いながら読んでいて、略歴を調べたらやはり心理学出身だった。
会議手法としての「6つの帽子」の話も知らなかったが、これが有効だということはよくわかる。
コミュニケーションスキルを覚えるというより、その前の考え方を整理する段階を重視している。
<帽子>というたとえは巧みで、「意図して選択できる」意味が含まれ、人格と認知を切り離すことに成功しているように思える。

黄色の帽子が、価値や利害を意味しているというのも、風水っぽくて気に入った。
利害に基づく交渉(Interest-based negotiation)を含んだ体系であることを意味している。
赤い帽子-感情、緑の帽子-創造、青の帽子-プロセスを追加し、白い帽子-情報、黒い帽子-論理を排除しない。

結構迫力のある体系を持っているということがわかったが、翻訳本のたたずまいが、軽いビジネス書・社交書仕立てにしすぎですこしもったいない感じ。
マイケル・ドイルの『会議が絶対うまくいく法』と同様に。

あと、この本の特徴として、やや無理矢理なものも含む事例が案外面白い。
中年のおっさん(わたしもそうだが)は、一般に、有意味なコミュニケーションを成り立たせる民主的な対話に対して抵抗を示す習性を持っていることが多いが、事例選択がビジネス寄りなので、彼の話はビジネスおっさんにとっても、受け入れやすいのではないかと思った。

2008年05月13日

コンセンサス・ビルディング入門

サスカインド/クルックシャンク(城山英明/松浦正浩)[2008]『コンセンサス・ビルディング入門 -公共政策の交渉と合意形成の進め方』(有斐閣)

当事者が多数で多様な場合の合意形成や紛争解決の方法論がコンパクトに紹介されている。
合意形成の場への参加を促す方法の例なんかもついている。
ここだけ悪用する輩もでるかもしれないけれど。

2008年05月27日

エスノの教科書

R・エマーソン/R・フレッツ/L・ショウ(佐藤郁也他訳)[1998]『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』(新曜社)

フィールドワークの方法論の教科書。

コメントするのは、いろいろ恥ずかしいので避けますが、読むべき、使うべき本ですね。

2008年06月06日

ADR法についての本

和田仁孝・和田直人他(2008)『ADR認証制度 ガイドラインの解説』(三協法規)

少し前に出たことは知っていたのだが、やっと入手した。

隣接士業のADR法認証をめぐる議論が中心。
和田仁孝先生が、かなりはげしく日弁連ガイドラインを批判している。また、中村芳彦先生が、弁護士会内でADR法認証を取ることに対する積極説と消極説を、これまたかなり激しく論じている。

個人的には、白鴎大学の和田直人先生が、ベクトルの違う形で鋭い議論をされているのが興味深かった。
また、愛媛土地家屋調査士会の岡田潤一郎先生が、ひとりでやたらと愛のある文章を書いておられる。ADR法の認証も、こういう形なら意味があったという事例だろう。

札幌の司法書士会での、調停人の能力査定の仕組みが紹介されていた。
評価項目として、①話を聴く姿勢、②傾聴、③適切な質問法、④いいかえ・要約の活用、⑤感情の反映という5項目が設定されている。

札幌の試みは自分たちでなんとか理にかなった親切な対応をしようという試みとしてすばらしいものだとおもう。しかし同時に、調停人の能力査定と、受容・共感的なカウンセリングの能力査定が同一になっているところに、現在の対話型とか促進型とか自主交渉援助型とか呼ばれているものへの理解の限界を感じる。

少なくとも、米国でのものとは大分違うということは言っておかなければならないと思っている。

アメリカの例としては、例えば、以下を参照。
The Test Design Project
ヴァージニア州・メンティー評価シート
Department of the Navy Mediator Certification Program

2008年07月15日

ボツネタでひょろり君紹介

頑張れ!ひょろり君 熱血弁護士奮闘中=山崎浩一・著 /京都 - [ボ]


2008年08月16日

When Talk Works

Deborah M. Kolb(1994, 1997 Reprint)"When Talk Works: Profiles of Mediators", Jossey-Bass Inc

副題にあるように、メディエーター12人の人物紹介をした本。
フィールドワークの成果をまとめたものとしての見本になりそう。

分野を築いた人物として、コミュニティ調停のAlbie M. Davisと、ビジネス調停を代表してEndispute Inc.の設立者であるEric Greenが登場している。
いろいろな意味で対照的な記述が出てくる。
分野を築いた人物のもう一人は、Larry Sasskind。(実物よりも、ずいぶんハンサムに似顔絵が描かれている)

Albie M. Davisがサンフランシスココミュニティボードについて、「個人主義への寛容が十分でない」(P247)と批判的に見ているところが興味深かった。

「アメリカでの調停はこうなっている」なんて簡単に一言でいうのは難しいということが、この本を見ればよくわかるとおもう。
様々な動機を背景にした、様々な人々が、様々な資源を使いながら、活動をしている。
一種の緊張関係が存在することは当然である。
しかも緊張関係を持って活動している者達が、同じような理論を参照したり、学術的な議論を戦わせたりしていることが、この分野に活力を与えている。

1994年は、トランスフォーマティブ調停の"The Promise of Mediation"と、リスキングリッドの論文が出版された年でもある。

2008年08月23日

徒歩主義で行こう

有馬道子(2001)『パースの思想―記号論と認知言語学』岩波書店

パースが大切にしていた学問的態度として、徒歩主義(pedestrianism)という言葉が紹介されている。(P2)

パースという人物はつくづく興味深い。

アメリカ司法制度に絶大な影響を与えた、オリバー・ウェンデル・ホームズとも同じテーブルを囲んで会合をしていたらしい。
(この会合は、「形而上学クラブ」と呼ばれ、プラグマティズム哲学を生んだものである。鶴見俊輔(1986)『アメリカ哲学』(講談社学術文庫)に、わかりやすく、おもしろく書かれている。)

2008年08月27日

Difficult Conversations

ダグラス ストーン、 シーラ ヒーン、ブルース パットン、松本剛史(訳)(1999)『言いにくいことをうまく伝える会話術』(草思社) Difficult Conversations

ハーバード大交渉ワークショップで紹介されていた本。
アマゾンの中古で買ってみた。

フィッシャーとユーリはいずれも著者ではないが、PONで作られたもの。
・何があったかをめぐる会話
・感情をめぐる会話
・アイデンティティをめぐる会話
の扱い方を紹介している。

Getting to Yes(ハーバード流交渉術)、Getting Past No(ハーバード流“NO”と言わせない交渉術)の後に来て、Beyond Reason(新ハーバード流交渉術)より前の本という位置づけ。

並べてみると、ハーバードもだんだん内省的になっているところがよくわかる。

著者達は、Triad Consulting Groupというコンサルティング会社を運営しているようだ。

2008年08月30日

武田家滅亡の責任は信玄にあり

北見昌朗(2006)『武田家滅亡に学ぶ事業承継』(幻冬舎)

アマゾンの書評が60もついていて、しかもどれも評価が高く、興味が引かれて読んだ。

著者は、名古屋で中小企業のコンサルティングをされている方。tingin.jp

武田信玄の側近の山県昌景が、企業研修の講師という設定になっている。そこに、参加者の社長と息子が質問し、山県昌景が答えていくという設定になっている。

テーマは事業承継で、信玄が勝頼にうまく跡を継がせられなかったという視点を中心に、様々な史実を織り交ぜながら、面白く話が進んでいく。

また、現代の事業承継に関わる失敗例も、当事者の告白というスタイルで紹介されている。

歴史の話と現代の話を行ったり来たりするところとか、情感あふれるストーリーの後には教訓として学べる点を5点位にまとめて見せるとか、エンターテイメント性あふれる研修のライブ感が伝わってくる。
カタカナばかりの輸入研修にはない土着感あふれる内容。

非常に楽しめたし、感心した。
と同時に、わたしには真似できないなぁという印象も強く持った。

たとえて言うと、商店街の中で愛されている定食屋さんのおいしい魚フライ料理を食べた気分。
いい意味で、おっさんくさい世界というか。

アマゾンの書評が多い理由は、これのようだ。

2008年09月27日

言語技術教育本

三森ゆりか(2002)『論理的に考える力を引き出す―親子でできるコミュニケーション・スキルのトレーニング』(一声社)

交渉教育研究会で教えていただいた本。
論理的な思考や、表現、コミュニケーションの育成のための教育を実践しておられる三森ゆりか氏によるもの。
いろいろ練習問題がその方法とともに載っているので、実際にやってみることができるところがよいと思う。
事実と意見を区別する練習や、立場を明らかにして理由を2つ挙げますと言ってから話をする練習など、非常に基本的なことだけれど、日本人で教育されていない人は多いはずである内容が扱われている。

一方、アマゾンの書評でも書かれていたが、日本語において主語を明確にして話すことが論理的かと言われると違う気がする。また、5W2Hなどを明らかにしてはっきりくっきり話をしようというメッセージは、そのように話さないものに対して詰問してもかまわないという誤った学習をしてしまうリスクがある様に感じた。(これは筆者の意図とは異なるだろう)
論理的であろうとすることは、外在的に論理的であるとされることだけを扱うのではなくて、論理の形が明確でないものにきちんと向き合おうとするところにこそあると思うからだ。

以前のエントリー

2008年10月11日

自由について考える本

松本哉(2008)『貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法』(筑摩書房)

高円寺、”素人の乱”の松本哉さんの本。

いろいろ暴れているが、留置所に入ったのは、法政大学在学中にオリックスの宮内会長が来たときに、壇上でペンキをまいて暴れたときだけらしい。このときは結局、有罪・執行猶予付きだったらしい。

この本を読んでデモに参加したいとは思わなかったが、高円寺には行ってみたいと思った。
対談相手はいつもの雨宮処凛ではなくて、鶴見俊輔とか高橋源一郎とかならもっとよかったんじゃないか。

過去のエントリー:雨宮処凛『生きさせろ!』

いしとびさん:クリッピングとメモ経由。

2008年10月17日

言語による対人関係の距離調整に関する本

滝浦真人(2005)『日本の敬語論 - ポライトネス理論からの再検討』(大修館書店)

敬語を、「尊敬感情の発露」ではなく「関係認識の表現」という機能的見方で説明する立場の学者の系譜を紹介し、その上で、敬語は対象人物との間の「距離調節」の道具(のひとつ)であるというポライトネス理論の立場からの説明を加えている本。

敬語は、距離をとるための道具(ネガティブ・ポライトネスのストラテジーの一つ)であり、「ため語」は距離を詰めるための道具(ポジティブ・ポライトネスのストラテジーの一つ)である。
距離を詰めるためのストラテジーには、冗談を言うことや、一致を求めることもあり、「タメ語」はこれらと並列化される。

ファシリテーターの基本的な役割は、「言語」によってその「距離」を調節することであるとすれば、言語的(語用論的)アプローチによって、それを体系的に説明できる可能性があるのではないか、などと、考えながら読んでいた。
スキルのあるファシリテーターは、話し合いの開始時点では、当事者間の距離を置き、安全性を確認しながら、徐々に距離を詰めるだろう。また、話し合いに危険が及び始めてきたときには適切に距離を離すための介入を行うだろう。こうした活動は、スキルのある人たちにとっては、ごく日常的にできているだろうとおもう。
ファシリテーターやメディエーターの活動は、しばしば、芸術的なもので、科学的であると考えられないが、分析の道具立てとしておもしろいように思えた。

記述はストレートであるし、具体的な表現例も豊富なので読みやすいはずなのだが、それほど簡単な本ではない。
しかし、とても大切なことを扱っているように思える。

2008年10月24日

現代調停の技法

井上治典他(1999)『現代調停の技法―司法の未来』(判例タイムズ社)

よくこれだけの人が集まったという感じがする本。
アマゾンの中古でバカ高くなっている。

読み返してみて、いくつかの事例の進行を丁寧に紹介している部分に興味が引かれた。

この本が出てから来年で10年目になる。
その間、日本のADRは進歩したのだろうか?

2008年11月05日

岡野雅行氏の世渡り力

岡野雅行(2008)『人生は勉強より「世渡り力」だ!』 (青春出版社、青春新書)

テルモの「痛くない注射針」や、携帯電話用の電池ケースなどを作った岡野雅行氏の語りおろしの本。
インタビューを元に構成し、本人が手を入れる前にあらかたできていたのではないかと思えるような、今どきの新書ではあるけれど、おもしろい人生を送ってきた人の話だからやはりおもしろかった。

取引先の大企業で無理を押しつけてきた担当者に、理不尽を返り討ちにするような話も出てくる。たとえば、約束になかったのに金型をよこせと言われて、真っ二つに切って金型を渡したという話とか。なめた奴がなめたことを言ってくることはよくあることだが、なめられっぱなしにしないということと、そんな相手に依存しないですむ実力と営業力をつけることが大切だと言っている。

2008年11月12日

幸福は表現的なものである

調停人の特性として、ある種の余裕のようなものがあるとよいのかなと感じることがある。
若い人が誠実に、汗をかきかきやっても案外成功するとおもうが(明治期の勧解は、学生上がりがいきなり担当させられていた場合が多かったらしい)、「徳望家」を得ようとしたという大正期以来の調停制度も理解できるところがある。

哲学者の三木清はこんなことを言っている。

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。
三木清(1954)『人生論ノート』(新潮文庫),P22 ※1941年に書かれたもの。

青空文庫:人生論ノート

自分が当事者ならば、幸福な人にぜひ調停をお願いしたいものだとおもう。

2008年12月12日

鶴見俊輔『北米体験再考』

鶴見俊輔(1971)『北米体験再考』(岩波新書)

復刊で書店に並んでいたもの。


 スナイダーは科学にたいして背をむけるのではなく、その方法の徹底を説く。
 現代の科学は、それぞれの社会にあたえられたものとしてある秩序の観念と文化的価値とは、任意のものだということを明らかにした。またわれわれが自然を征服する度合いに応じて、われわれ自身が弱くなることをも明らかにした。このような科学の客観的な眼は、自然をあるがままの状態で見ることをつづけるとともに、われわれ自身の見る眼そのものをも見ることを自分の課題としなくてはならない。文化的相対性を虚心にみとめることが、次のステップへの展開の道をひらく。われわれは、自分の中に、洞窟をもつことをみとめるだろう。その洞窟の壁には動物と神々があり、そこは儀式と魔術の場所である。(「法への問い」『大地の家計』) ※孫引き、邦訳タイトルは、『地球の家を保つには』
P120


 体験から考えるという方法は、体験の不完結性・不完全性の自覚をてばなさない方法である。ある種の完結性・完全性の観念に魅惑されて、その尺度によって状況を裁断するということがないようにすることが、私の目標だ。北米体験が自分に教えてくれたことは、一口に言えば、かりものの観念による絶対化を排するということにつきる。
P185

2008年12月26日

アイン・ランド『利己主義という気概』

アイン・ランド、藤森 かよこ 訳(2008)『利己主義という気概-エゴイズムを積極的に肯定する-』(ビジネス社)

アメリカの代表的なリバタリアニズム思想家と言われるランドのエッセイ集。訳者は、『水源』も手がけ、アイン・ランド研究会のサイト運営者の藤森かよこ氏。

目次より、
・合理的ならば利害は衝突しない
・妥協とは原則ある相互譲歩である
・集団の倫理など存在しない
・人間は「公」に所有される資源ではない
・集団の<権利>など存在しない

過去のエントリー:水源

2009年01月10日

竹内敏晴『からだ・演劇・教育』

竹内敏晴(1989)『からだ・演劇・教育』 (岩波新書)

存在を知らなかったが、石飛さんのブログで紹介されていたので読んだ。

定時制高校での演劇教育の記録で、ぐっとくるようなエピソードがつまっている。

平田オリザがやっていることというのは、竹内敏晴の活動から左翼臭をなくすことかもしれない。なんていうとどちらからも叱られるかもしれないが、考え方としても、方法論としても似ているなぁとおもった。

竹内敏晴先生は、最初の文章は、「思想の科学」で発表。野口体操の方法論も取り入れている。南山短大人間関係科教授もされていた方。

わたしも最近ワークショップのまねごとをしているが、まだまだ、ひとさまに何かを提供できるだけの”からだ”になっていないなぁとおもう。
昨年の末頃から正月にかけてぐずぐずと体調がすっきりしなかったのも、”からだの耕し方”を充分知らないのにいろいろ無理をさせているからかなぁと思ったりもする。特に、のどがすぐ痛くなるのは、声の出し方を知らないからだろう。

レッスンに出てみたい。

2009年01月13日

家事調停における同席調停を評価

二宮周平(2007)『家族と法―個人化と多様化の中で』 (岩波新書)

家事調停は、当事者を別々に呼んで話を聞く別席調停が多い。しかし、申立人・相手方の了解を得た上で、審判官・調停委員・調査官・関係者が一堂に会して話し合い、総合的な紛争解決をめざす同席調停も行われつつある。別席調停では、調停委員が一方の思いや希望を相手方に伝えるが、同席調停では、専門的な第三者の立会いの下、話し合いのルール(誹謗中傷しない、相手の言い分を聴くなど)が示された上で、当事者双方が直接話し合うので、これまで話せなかった思いなど、お互いの胸の内を開くことがあり、自主的な解決を可能にする点ですぐれた試みだといえる。 pp.212-213

2009年01月23日

米国のコミュニティ調停

Daniel McGillis(1997)"Community Mediation Programs: Developments and Challenges" Diane Publishing Co.

コミュニティ調停の文献でよく参照されているレポート。

Google Book

2009年01月24日

「新しい郊外」の家

馬場正尊(2009)『「新しい郊外」の家 (RELAX REAL ESTATE LIBRARY)』太田出版

著者は、直接の面識はないが、友達の友達。
東京R不動産のディレクターという説明が一番わかりやすいのかな。
すでに成功しておられるが、もっと偉くなるひとなんだろうなとおもう。

千葉県で海の近くに家を建てた話なのだが、家族の話が詳しすぎるくらい出ている。
同世代だし、身につまされる話も多かった。
千葉の前は湘南を調べていたという話も出てくるし。

馬場家は崩壊の後、再生するのだがその記録とも言える。

 馬場家がたどり着いたのは、個々がバラバラの部屋で、適度な距離感を持って生活すること。それがこの集団には最適なのだということに気がついた。他の人からは、それは淋しいのではないかと指摘されることもある。しかし十数年を経て、僕らにはそれが正しい答えだという結論に至った。家族関係は、常に各々が特殊だ。それを包む住宅のプランも決して一般解はない。
 今、日本では最大公約数を凝縮した居住空間が提供されている。そのプランが、その家族に適合しているのかわからないままに。大多数の人々はそれを購入し、そのプランに家族が合わせて生活している。たぶん、ほとんどの家族はそれでなんとかうまくやっていっているのだと思う。それが正常な家族なのだろう。でも、馬場家の場合、住居プランが家族を崩壊させる一因になった。
 ・・
 一般的な家族がないように、一般的な住宅プランなど、あるはずもないのだ。しかし日本の住宅供給システムはそれには対応していない。特に賃貸の場合、既存の組み合わせの中から自分たち家族のモデルに少しでも近いプランを選ぶことになる。分譲マンションを購入した場合は、後からの変更は難しい。馬場家のように、後から失敗に気がついた場合、一体どのように修正しているのだろうか。 (P126)

*

元は、このブログ。http://www.realbosoestate.jp/baba/

2009年01月29日

お金の哲学

西原理恵子(2008)『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、よりみちパン!セ)

読後の印象としては、「悪役レスラー、非暴力を語る」という感じだった。
非常に説得力のある、しかも正しいメッセージなのだけれど。

この本の根本的なメッセージは、「さあ、仕事、仕事」ということだ。
しかし、わたしは、この本を、目の前の仕事からの逃避として、あっという間に読み終えてしまった。

さあ、仕事、仕事。

2009年02月04日

書記官事務を中心とした和解条項に関する実証研究

裁判所書記官研修所編(1982)『書記官事務を中心とした和解条項に関する実証研究』(法曹会)

和解文書を書くための方法については、決定版的な文献だとおもう。

法曹会に問い合わせると、通信販売もしてくれるようだ。

裁判所がADR機関をトレーニングするということもあってもよいなとおもうが、裁判所のマネばかりするADR機関では、単なる民営化になる。利用者にとっては値段が上がるだけだ。
ADR機関側のイニシアチブで裁判所から学ぶことができるというパートナーシップができるとよいのにとおもう。

2009年02月17日

オープン・スペース・テクノロジー

ハリソン・オーエン(著), ヒューマンバリュー (訳)(2007)『オープン・スペース・テクノロジー ~5人から1000人が輪になって考えるファシリテーションから』(ヒューマンバリュー)

嘉村賢州さんが紹介していた本。

わたしは、手法としては、3つポイントがあるように思った。

第一には、副題にあるように、人数が増えても実施可能なファシリテーション手法。
対話環境の整備に工夫をしているところがミソなのだろう。
長年の近隣紛争とか、怨念の親族紛争なんかは想定していないようだ。
ローコンテキストな話題を選んでいるような気がする。

第二には、「人と問題を切り離さない」ところ。
自分にとって情熱をもって実行できることを課題として話し合う。
課題を提案するか、他の人が提案している課題の所に足を運ぶかのいずれかを選ばなければならない。

第三には、成果をパソコンでまとめているところ。
ファシリテーション手法は発散系が多いが、成果物の作り方までガイドされている。

ファシリテーターのあり方としては、率直で正直で、自分自身であるというところが大事ということで、対話環境とか手続をいかに整備したとしても最後はやはり同じような話がでてくるのだなという感じもした。

過去のエントリー:ワールド・カフェ
kogolab:オープン・スペース・テクノロジー

2009年03月02日

メディエーションマンガ

高野洋(作)井上紀良(画)(2008)『メディエーター桐島丈一郎』(ヤングジャンプコミックス)

先日のトレーニング先で、単行本になっていることを教えていただいた。
一年前に出ていたらしい。第一話だけ、週刊誌に出たときに教えていただいて読んでいたのだが。

相互利害の一致を探るという概念でメディエーター像を規定している。

個人的には、第一話に出てくる近隣調停センターの女性メディエーターの雰囲気がリアルで面白かった。この話だけは漫画家も取材して作った気がする。

2009年03月06日

ちゃんと話すための敬語の本

橋本治(2005)『ちゃんと話すための敬語の本』 (ちくまプリマー新書)

敬語は、人間関係の距離を調整する道具であるという立場で、敬語が使えるようになろうと青少年に呼びかけている本。という体裁をとっている。
結論としては、ポライトネス理論の滝浦真人さんの考え方と基本的には同じ。

敬語を本当にちゃんと使うと時代劇のようになるので、現代ではちゃんと使わないのがちゃんと使うことになるという、橋本治らしい、まわりくどい説明をしている。

敬語の暗黒面として、目上の者は目下の者に命令文しかないという話もあって、個人的にはこのあたりが気になった。
また、社会が人間の上下を決めるのはヘンであるという指摘もしている。

この話を延長していくと、人間関係の対等性を前提としながら、しかも適切に距離を調整できるツールとしての新しい日本語が必要だという話になりそうな気がするのだけれど、そこまでは書いていない。

過去のエントリー:言語による対人関係の距離調整に関する本

2009年03月17日

Good to Great

ジェームズ・コリンズ、山岡洋一 訳(2001)『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』(日経BP)

飛躍した企業について分析したビジネス書で、全米200万部売れたというものらしい。

長期的に見て驚くべき成功を収めているのは、地味な商品を売る、地味なリーダーに率いられている会社だった、ということだ。

著者たちの調査グループが発見したのは、単に地味であればよいというのではなく、能力は高くなくてはならないが、そのうえで、謙虚さ、率直さ、献身さを備えた第五水準の能力を持ったリーダーの存在だった。

また、地味に会社としての強みに集中し、成長を早めるためだけの多角化などは行わないという会社のポリシーが貫かれているという点も発見している。

成功している会社の共通点を分析すると、拍子抜けするほど単純な要因が浮かび上がってくるという。

しかし、「経営陣全員が出席して、顧客に直接に接している営業担当者から厳しい質問や批判を受ける」(P114)といったことは、効果的とわかっていても、社内で権力をにぎってしまった経営者がやりたくない不快な活動である。

読んでいて思ったのは、この本で対象とした企業たちが、メディエーター的なリーダーたちによって率いられている、メディエイティブな会社文化を持ったところなのだなぁということだ。

カリスマリーダーに率いられた会社は案外長続きしていないという話も繰り返し出てくる。

仕事には厳しいが、自分の業績を誇るタイプではない人たちが、こうした会社のリーダーであるという話は、なにか、昔の日本の社会にあった、なつかしさみたいなものも思いおこさせる。

2009年03月21日

岩瀬純一氏(家裁調査官)の本

岩瀬純一(2008)『司法臨床におけるまなざし―家事調停にかかわるあなたへ』(日本加除出版)

この本にはとても共感した。

紛争解決を登山にたとえ、調停者を登山ガイドにたとえている。(P135)
わたしも同様の説明を使っていたので、偶然で驚いた。

この本では、民間ADRとの棲み分けについて、家裁の方がむしろ人間関係の調整を丁寧にできる場所だと述べている。

そのあたりは今後どうなっていくかを見ていかないといけないだろうと思う。
良い意味の競争になればと思う。

2009年04月19日

ジュリスト増刊:労働審判

菅野和夫編 日本弁護士会連合会編(2008)『労働審判-事例と運用実務 (ジュリスト増刊)』(有斐閣)

労働審判制度の実態を紹介している特集。非常に良い本だと思う。
菅野先生による概説、菅野先生が司会を務め、労働者側、使用者側の弁護士が労働審判実務について語る座談会、34の個別事例、労働者側と使用者側それぞれの立場による労働審判制度の活用マニュアル、様々な個別労働紛争解決制度についての資料集などがついている。

民事調停に比べても徹底的に裁断的な手続になっているようだ。
裁判官である労働審判官が主導し、民間人である労働審判員が一言も発しない場合さえあったという。(P162)

労働審判制度そのものに対して、総じて高評価が得られているようだが、「充分に検討がなされていないにもかかわらず、土曜出勤を命じる審判が出され」「それまで労働審判手続に好意的な考えを持っていた筆者の考えを一変させる」事例についても報告される(P130)など、バランスがよい書籍になっているとおもう。

すくなくとも今までのところ、解雇については使用者側に厳格だが、配転その他の人事権行使については使用者側の裁量が広く認められているという日本の労働裁判の伝統そのものには、労働審判のスキームではさほどインパクトを与えるということには、つながっていないようだ。

2009年04月24日

人やまちが元気になるファシリテーター入門講座

ちょんせいこ(2007)『人やまちが元気になるファシリテーター入門講座―17日で学ぶスキルとマインド』(解放出版社)

ファシリテーションスキル全般を紹介したもの。
特に、前提になる準備の仕方について詳しく書いてある。

ふかふかの固定された椅子があるホールのような会場が準備されていて、仕方がないので全員舞台に上ってもらって始めようと思ったら、その時点で何人も退席してしまった・・といった失敗談も書かれていて、とても興味深い。
もちろんアクティビティとしても使えそうなネタも豊富に紹介されている。

人権意識と反省的実践が核にあって、そのうえで、非常に具体的で親切なマニュアルになっている。
わたしも、いくつか使わせていただこうと思っている。

著者のサイト:Seiko's Diary

経由:クリッピングとメモ

2009年05月23日

中島敦が戦中に書いた小説

ふと、中島敦の短編小説が気になって、読んでしまった。

西遊記の沙悟浄を主人公にした、「悟浄出世」「悟浄歎異」の二つの小説がある。
元祖、重症ブロガーみたいな、自意識過剰な独り語りがとてもおもしろかった。

中島敦(1994)『山月記・李陵 他九篇』 (岩波文庫)

青空文庫:中島敦 悟浄出世

2009年06月02日

「女ですもの」

内田春菊、よしものばなな(2009)『女ですもの』 (ポプラ文庫)

最初から事実婚を選択したよしもとばななと、離婚後に事実婚を選んだ内田春菊の対談。
稼ぐ能力があるばっかりに、夫のみならず夫の家族からもそれを計算されてしまう。なおかつ、嫁の役割を当然に果たすことを要求される。こういうのは、自分が割に合わないという以前に、あなたたち人としてどうよ、という問題を提起している。

よしもとばななの母親が病気の際に、父である吉本隆明が家事全部を行っていた時期があったと、ちらっと出てきたが・・全部していたのか・・、と。

よしもとばななが内田春菊に気を遣ってしゃべっているのがかえってよかったように思う。

2009年07月02日

イラストで見る世界の法廷

神谷説子、澤康臣(2009)『世界の裁判員―14か国イラスト法廷ガイド』(日本評論社)

著者の方から献本していただいた。

ジャーナリストが見た海外の裁判所の様子である。
神谷さんはジャパンタイムズ、澤さんは共同通信の記者。

イラストが豊富なのが売り。

2009年07月17日

弁護士マンガ

麻生みこと(2008)『そこをなんとか 1 』(白泉社)
麻生みこと(2008)『そこをなんとか 2 』(白泉社)

『そこをなんとか 1 』@楽天ブックス
『そこをなんとか 2 』@楽天ブックス

2009年07月20日

80年代の富士通・IBM秘密交渉

伊集院丈(2007)『雲を掴め―富士通・IBM秘密交渉』(日本経済新聞)

少し前に買っておいた本だったが、新幹線の中で読んだ。
米国では、ビジネス調停がさかんで、IT分野の大企業間紛争はその典型と言われている。

この本は、富士通の専務までやった鳴戸道郎氏が、いちおう小説仕立てにして、富士通とIBMの内幕を紹介している。

1982年頃の汎用機ビジネス・互換ビジネスそのものが扱われている。
わたしには歴史的な話ではあるが、富士通とIBMという日米の大企業それぞれの体質の生々しさが良く現れている。
途中で、富士通の顧問弁護士に相談したら、50億円くらい払ってゆるしてもらったらという助言を受けて、「まったく頼りにならない。事件の重大さがわかっていない」と切り捨てているところがある。(P53)

「あなたたちの言っていることはめちゃくちゃだ。富士通のソフト開発で不都合があったとする。それが、どうしてこんな和解契約案に発展するんだ。リンゴを一個万引きしたら、奴隷にされて死ぬまで陵辱され続けるのか。世の中には、衡平という言葉があるじゃないか。」(P141-142)
という富士通側である主人公が、IBMに対して叫ぶ場面がある。
この作品のクライマックスでもあり、同書の基本的な主張でもあるのだが、昔の富士通の行儀の悪さとか、IBMの肉食人種まるだしの攻撃的な姿勢などが凝縮されて現れている。

途中で体調を崩したりと、文字どおり身を削った命がけの交渉者だが、交渉を教育する必要性について、意義を認めて書いている。

続編は、昨年出版されている。ご本人はつい先日亡くなったらしい。

伊集院丈(2008)『雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟』(日本経済新聞)

IBM-富士通紛争の当事者が四半世紀ぶりに沈黙を破り、秘密契約締結に至る厳しい交渉経緯を出版:ITpro

経済産業省:スピンオフ・ベンチャー推進フォーラム/鳴戸道郎氏紹介

訃報:鳴戸道郎さん74歳=元富士通副会長 - 毎日jp(毎日新聞)2009年7月16日

「豊かさ」「ゆとり」「やさしさ」を排し、「うれしい」を求める――鳴戸道郎さん(富士通顧問、トヨタIT開発センター代表取締役会長) | BCNランキング

かなーり、昭和な価値観の持ち主だということがわかる。

2009年07月22日

影響力の武器 実践編

N.J.ゴールドスタイン、S.J.マーティン、R.B.チャルディーニ (著)、安藤清志 監訳、高橋紹子 訳(2009)『影響力の武器 実践編―「イエス!」を引き出す50の秘訣』(誠信書房)

『影響力の武器』は、交渉本の古典のひとつである。
6つの「原理」である、返報性、権威、一貫性、希少性、行為、社会的証明に絞って、社会心理学で証明された科学的成果だけを紹介しているところに特徴がある。

この続編では、より具体的な局面を50列挙して、「テクニック」としての紹介になっている。
交渉テクニック使用における倫理性の問題も再三取りあげているのは、それだけ「使える」からだろう。

プロ調停人の声として、以下のコメントが紹介されている。

説得の心理を読む前は、冒頭に双方が相手側にも聞こえるように金銭的な要求を述べることを認めていました。しかし、一貫性の原理のことを知ってからは、個別の面談に入るまで金銭面の要求や提示を控えるように双方に要請することにしました。大勢の前での公のコミットメントが譲歩の努力を妨げることに気づいたおかげで、私の和解達成率は劇的に上がりました。冒頭の要求を聞いていた人が多いほど、その立場から当事者を引き離すのは難しいことにすぐ気づいたのです。(pp.246-247)

別席支持者が喜びそうなコメントである。
わたしは、これを読んだところで、同席手続を基本にすべきという立場に変わりないが(これも「一貫性」かな・・)、金額面の提示を出させるのは慎重にしたほうがよいという考え方はその通りだと思う。
むしろ調停人が金額提示の前提条件の問題を丁寧に扱うことで、当事者が「一貫性」を保ちつつ、提示を変えやすくする方向で手伝うということもあるだろう。

・・などと、考えながら読んでいた。

ロバート・B・チャルディーニ (著)、社会行動研究会 (訳)(2007)『影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか』(誠信書房)

2009年07月26日

法律時報の家事事件特集

法律時報2009年3月 特集:家事事件の諸問題

2009年07月28日

そこをなんとか

先日リンクだけ張っておいた弁護士マンガの「そこをなんとか」だが、おもしろい。

キャバクラでバイトしてロースクールの学費を工面して司法試験に受かった主人公のドタバタで進むストーリー。旧司法試験合格者の先輩にバカにされつつ話は進む。
一話完結で、きれいにまとめるが、作者が「見た目以上に手間がかかっている」というだけあって、丁寧に作られている。
取材もしているし、監修も入っている。

法律相談の場面で、相談者のおばちゃんが延々とよしなしごとを話しつづけたあげく、「息子を離婚させられませんか?」と質問するとか、きっと、経験者の話を盛り込んだに違いないという細かい描き込みが多い。

1巻が出た後、「本当の悪人が出てこない」という指摘を受けたという。(2巻に書いてあった作者のコメントに書いてあった。)
そのへんは、この作品の良さだと思うのだけれど、もの足りないと思う人もいるのかもしれない。

1巻には、離婚調停の話も出てくる。

2009年07月30日

16人おじさん漂流記

須川邦彦(2003)『無人島に生きる十六人』 (新潮文庫)

初出は、昭和16年。
明治時代の実話を元に、聞き書きの構成を取っている本。

とにかく、おもしろい。
ロビンソン漂流記とも共通したところがある。

帆船が座礁し、無人島に不時着する。
乗組員は16人。

飄々とした書きぶりなのだが、井戸を何度か掘っても塩水しか出てこなかったり、全員下痢になったり。
もちろん、いつ救出されるかわからない。

こういう場合に必要なのは、知恵(主として技術)、勤勉さ、希望なんだろうなぁとつくづく思った。

さりげなく出てくるのだが、最初に夜の見張り役をさせるのは、体力のある若者ではなくて、ホームシックになりにくい年配者にさせるとか、いかに希望を保ち続けるかにリーダーが腐心している。

船長のせりふ:

「いままでに、無人島に流れついた船の人たちに、いろいろ不幸なことが起って、そのまま島の鬼となって、死んでいったりしたのは、たいがい、じぶんはもう、生まれ故郷には帰れない、と絶望してしまったのが、原因であった。私は、このことを心配している。いまこの島にいる人たちは、それこそ、一つぶよりの、ほんとうの海の勇士であるけれども、ひょっとして、一人でも、気がよわくなってはこまる。一人一人が、ばらばらの気持ちでもいけない。きょうからは、げんかくな規律のもとに、十六人が、一つのかたまりとなって、いつでも強い心で、しかも愉快に、本当に男らしく、毎日毎日をはずかしくなく、くらしていかなければならない。そして、りっぱな塾か、道場にいるような気持ちで、生活しなければならない。この島にいる間も、私は、青年たちを、しっかりとみちびいていきたいと思う。」(P106)

2009年08月01日

富士通・IBM紛争続編

伊集院丈(2008)『雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟』(日本経済新聞)

以前のエントリーの続編。

汎用計算機の互換をめぐる紛争を扱っているが、『雲を掴め』では二者間交渉であったのに対して、この本では、AAA(米国仲裁人協会)での仲裁そのものが扱われている。
AAAに申立をしたのはIBMだが、富士通がJCAAに反訴するという場面も出てくる。じきに取り下げるが。

巨大ビジネスでADRが使われるという話は良く聞くが、当事者自身がこれだけ詳しくADRの中身の話を書くのは珍しい。
汎用機ビジネスそのものが時代遅れになったから証せる話だとも言える。

米国の弁護士の仕事の仕方という意味でも興味深い話が出て来た。
顧客自身からの要求への拒絶権も与えられた形で、「事実が何であるか」の調査を詳細に行う。
実際にソースコードを書いている人間に、誰から仕様を受け取って誰に渡したか、というレベルでの調査を下請企業も含めて行う。(P68)

仲裁廷は、IBM側から一人、富士通側から一人と、第三の存在としてもう一人の合計三人で行われているが、後半に第三の仲裁人が辞任して二人仲裁人として進行される。
このあたりの手続的なルールについてももう少し詳しく知りたいと思ったが、学術書ではないからそのへんはよくわからない。
富士通側が選任したスタンフォード大の教授は、調停的な進行を好み、当事者相互の互恵性を見つけたいという意欲が強かった。このことが、この仲裁を富士通有利に進めた大きな原動力になっている。

2009年08月14日

本:臨床家事調停学

飯田邦男(2009)『こころをつかむ臨床家事調停学―当事者の視点に立った家事調停の技法』(民事法研究会)

主任家裁調査官である著者から献本いただいた。ありがとうございます。
当ブログも読んでくださっているらしい。

あとがきを見ると、山口ADR研究会という家事調停委員向けの8時間の研修を元に作った本らしい。
次々成果をまとめられるのは能力だなぁと、我が身を省みてしまう。

以前のエントリー:本:実践家事調停学

以前のエントリーでは、「違和感」を書いた。
その「違和感」がなくなっているか、あるいは、別の「違和感」が出てくるか、詳しく読んで研究してみたいと思っている。

2009年08月25日

あなたを苦しめているものは何ですか

川本隆史(2008)『共生から (双書 哲学塾)』(岩波書店)

倫理学の入門書。
観光案内的、ではあるのだけれど、とても勉強になった。

竹内敏晴、井上達夫、石原吉郎、ギリガン、最首悟、シモーヌ・ヴェイユなどの言葉を紹介しつつ、講義を進めるというスタイル。

「あなたを苦しめているものは何ですか」という問いを問えるものが、聖杯を得る資格を持つという伝説があるらしい。(P98)

2009年09月01日

本『仕事するのにオフィスはいらない』

佐々木俊尚(2009)『仕事するのにオフィスはいらない』 (光文社新書)

ノートパソコンがあれば、オフィスなしに仕事ができるというのは、かつては夢物語のように語られていたが、現在は実際にそうなっている。

わたし自身大学の研究室とか、自宅の書斎はあるものの、「オフィスなし」の状況だといえば、そうだ。
実際にそれで仕事をしてみると、オフィスはあったほうがいいし、しかも、家から近い方がいいと思うのだが。

前の会社で同じ部署でほぼ同時期に辞めたクロサカタツヤさんが、ノマドワーカーの代表として、大きく取りあげられていた。ご活躍の様で何より。

この本では、フリーで、オフィスなしで働くには、自律のノウハウが必要と強調している。
ネットでぶらぶらとしていると、あっという間に時間が経過してしまう。
それこそが自律の大敵だと。

2009年09月05日

ぬかるみに藁を敷く

ティク・ナット・ハン(1999)『仏の教え ビーイング・ピース―ほほえみが人を生かす』 (中公文庫)

中野民夫『ワークショップ』を読み返していて、紹介されていたティク・ナット・ハンの本を読みはじめた。
「和解のための七つの実践」という仏教団に伝わる紛争解決手法が紹介されている。
「七滅諍法」(しちめつじょうほう)と呼ばれるものと同じなのか違うのかもよくわからないが。

「和解のための七つの実践」(110-117頁)<メモ>
第一の実践-対面して座ること
第二の実践-思い出すこと (争いのいきさつの全体を、それと関わり合いのある細部すべてにわたって)
第三の実践-強情でないこと
第四の実践-ぬかるみに藁を敷く (尊敬の受けている先輩の僧が一人ずつ選ばれて紛争をしている側を代表し、相手を尊重しつつ、庇護する)
第五の実践-自発的告白 (おのおの自ら欠点を明らかにする。小さな弱点からはじめる)
第六の実践-全会一致による決定
第七の実践-評決を受け入れること

最後に、三回、異議がないかを確認し、評決を宣告する。

個人的に面白いなと感じたのは、「ぬかるみに藁を敷く」という表現。
代理人の行為というのをこのように表現している。
「雨の後、田舎道を歩くと、ぬかるみがあります。ぬかるみに敷く藁があれば、安全に歩くことができます(113頁)」。
やわらかいもののうえに、やわらかいものを置いている。

2009年09月06日

銀行の理不尽・冷酷・劣化

矢吹紀人(2009)『預けたお金を返してください!―ドキュメント・銀行の預貯金過誤払い責任を問う』(あけび書房)

通帳を盗まれ、預金を引き出された被害者に、銀行は一切補償しない・・という実務がずっと行われていた。
そこに目をつけた窃盗団が組織的な犯罪を拡げる。
銀行は、事態を認識しながらも、改善できない(しない)。
そして、持ち前の冷酷さで、被害者たちにつらく当たる。

薬害被害を扱っていた弁護士自身が同様の被害に遭い、銀行を相手に、被害者集団を組織し、補償を求める裁判を起こしていくという話。

判例では、銀行側絶対有利という状況である。
事態が社会問題化していることを運動として拡げていって、裁判官の判断に影響を与えようとする。
結果として、徐々に勝訴判決を勝ち取っていく。

このような闘い方は、残念ながら、ADRではできないものだとおもう。
被害者が勝てる状況ができてからなら、ADRに持ち込んでも意味があるだろうが、判例で銀行側絶対有利という状況でADRに持ち込んでも、なかなか救済にはつながらなかっただろうとおもう。

ADRを学習するというのはどういうことだろうと考えている。
ひとつには、このようなADRでは解決できない問題がどのように切り開かれてきたかを知るということも必要なのではないか。

いままでは必ずしもそのような試みは広がっていないが。
裁判官気取りで当事者から遠ざかっていく中立性ではなく、両方の当事者に近づいていくスタンスが大事であるが故に、その限界を考えておくことは必要ではないかとおもう。

銀行キャッシュカード被害者の会:ひまわり草の会

Book:銀行の預貯金過誤払い責任を問う: Matimulog

2009年09月08日

河合隼雄『カウンセリングの実際』

河合隼雄(2009)『カウンセリングの実際―“心理療法”コレクション〈2〉』 (岩波現代文庫)

比較的若い頃の著作だと思うが、具体的な臨床の場面に即した話が出てくる。

特に興味深かった点として、日本人が「ひたすら聴く」というと、おのれを空しくするというところに力が入りすぎるという話があった。カウンセラー自身の感情を受容せずに、クライアントだけを受容するなどということはありえないとまで言い切っている。

また、冒頭近くのエピソードで、助言して解決したのですが、これではカウンセリングではありませんねという質問を受けて、「それがカウンセリングかどうかということより、役に立ったかどうかを考えなさい」と言っている。この点も面白い指摘だった。

五章では、「ひとつの事例」として、カウンセリングの基本から一見外れた活動もいろいろ行いながら格闘する様子を紹介している。この事例では、クライアント一人というより、クライアントの家族全体を相手に、時に母親になったり父親になったりしながら、やってはいけないはずの両方の家庭への行き来を含みながら、取り組んでいる。

2009年09月21日

A4一枚アンケート・メソッド

岡本達彦(2009)『「A4」1枚アンケートで利益を5倍にする方法―チラシ・DM・ホームページがスゴ腕営業マンに変わる!』(ダイヤモンド社)

顧客の意見を聞いて、それをそのまま使って営業につなげる方法を解説した本。
本のタイトルにあるように、<「A4」一枚>のアンケートだから、お金をかけない方法に徹している。

Q1.購入する前にどんなことで悩んでいましたか?
Q2.何がきっかけでこの商品を知りましたか?
Q3.知ってすぐに購入しましたか?しなかったとしたら、なぜですか?
Q4.何が決めてとなって購入しましたか?
Q5.実際に使ってみていかがですか?
という5つの質問(P57)を聞くだけである。
それを、広告に落とし込んでいくのだが、
Q2で、媒体を選び、
「(悩み/Q1の回答)を持っていませんか?あなたと同じように悩みを持っていた人が、この商品/サービスを購入して、今では(感想/Q5の回答)を持っています。この商品は、(決め手/Q4の回答)がお勧めです。とはいっても、(すぐに買わなかった理由/Q3の回答)が不安ですよね。そこで当社では、○○○という特典や対策を用意しました。」(P67-69)というコピーを、ほぼ自動的に作り上げていく。

売り手側の思い入れ、思い込みを棚上げして、実際の顧客の声だけから、購買行動を喚起する宣伝文を作り出すという手法を丹念に説明している。
非常にシンプルなメッセージなのだが、いろいろな事例を示しているために、説得性が高い。

モノを売るだけでなく、さまざまなイベントの企画にも参考になるのではないかと思った。

調停センターの活動に当てはめると、
「離婚後のお子さんとの面接について話し合いたいと思っていませんか?○○調停センターでの話し合ったご夫婦では、お互いに約束を尊重しあえる関係ができています。○○調停センターでは、調停成立後も、養育費の支払いや面接交渉の立会をサポートさせていただいて、好評をいただいております。とはいっても、相手が約束を守らないのではないかと心配ですよね。そこで○○調停センターでは、確実に履行された場合にだけ預かり金を返却する独自サービスを提供しています。」
「ご両親の介護について、ご兄弟で話し合いたいと思っていませんか?○○調停センターでの話し合ったたくさんのお宅では、いまでは安心して兄弟で力を合わすことができています。○○調停センターでは、利用者の都合に合わせて、日時や場所を選べるので、遠方に住む方の帰省に合わせた話し合いがお勧めです。とはいっても、信頼のできない調停人に身内の大事な話を仲介してもらうのは不安ですよね。そこで○○調停センターでは、詳しい調停人名簿を整備し、その中から選んでいただけ、また、事前に無料で面接していただけます。」
みたいな感じだろうか。(全部妄想)

2009年10月24日

本:鈴木秀子『愛と癒しのコミュニオン』

鈴木秀子(1999)『愛と癒しのコミュニオン』 (文春新書 (047))

飯田邦男さんから勧めてもらって読んでみた。
傾聴の方法について、かなり突っ込んで詳しく紹介している。
傾聴をどう教えるかということについて、アプローチが豊富だ。

「事実・影響・気持ち」に分けて伝えるといった、認知行動療法的、あるいはアサーショントレーニング的な方法も紹介されている。

個人的に気に入ったのは、「喧嘩とは、相手からエネルギーを奪おうとする行為なのだ」(P133)というくだり。自分にエネルギーがないと傾聴ができないという話の後に出てくる。

2009年11月03日

本:「出会う」ということ

竹内敏晴(2009)『「出会う」ということ』(藤原書店)

あとがきが書かれたのが今年の9月5日。亡くなったのが9月7日。

竹内さんのレッスンでは、「したくないことはしない」が、「したくないことはしなくていいなんていういい加減な場ではない」(P181)。
禅問答みたいだが、しかし、自己決定ということには、そういう厳しさがある。

(引用注:出会いのレッスンの例として) ・・どんなことが起きるかと言いますと、中年の男の人と女の人でやった例ですが、男の人が歩き始める。振り向いて歩き始めた途端に下を向いて、キョロキョロなにかを探すみたいに歩いていく。周りを全く見ない、下だけ。あっち向いたり、こっち向いたりしながらずーっと歩いていく。もう一方の女の人は振り向いたけれども、どうしたらいいかわからない。男の人がどんどん通りすぎて行ってしまうんで、その前に立ちふさがった。男はびっくりして、よけようとしたけれども、女はまた男の前に立ちふさがる。男は怒って押しのけようとしたんで、取っ組み合いみたいな形になっていった。男から言いますと、自分が行こうとしたのをわけもわからず邪魔された。なんでそんなことをするんだって腹を立てた。被害者意識みたいものにどんどん閉じこもっていく。女の人に聞いてみたら、向かい合って、歩いていこうとしたら、向こうから人が来る、こっちに気がついて、あいつと付き合うのはごめんこうむるというんで、それて行ってしまうならわかるけれども、初めから目もくれず何も存在しないみたいに歩いてくるから、前に立って、わたしここにいるわよということを示したかったという。 ・・ それをたまたま、男の人のつれあいの方が見ていまして、十何年の夫婦生活を一目で目の前で見たって、涙を流した。こちらは笑っていいのか、同情していいのか、といったようなことがあった。 P31-32
三〇~四〇代の、子どもの問題に子どもと一緒になって取り組もうと一生懸命になっている人たちは、今ひどく孤立しているという話がある。いろいろ自分なりに考えて、こうではないでしょうかというような意見を上司に言おうとすると、管理職の方はそういう疑問を提出されたこと自体が自分に対する批判だと受けとめる。批判がいくつか出て来たということ自体自分の上司に、あるいはもっと上の教育委員会なりなんなりに対してマイナス点になるので、批判が出たということ自体を封じようとする。それに閉口して、では若い教師たちに意見を尋ねてみると、若い連中はなんでわざわざ意見を持ち出すのかわからない。というわけで、三〇代半ばから五〇代にかかるぐらいの教師たち、今まで中心の働き手だった人々が次々に孤立して、鬱になってひきこもったりやる気がなくなって、やめてしまったりというような状況がある。P167

2009年11月05日

堀井憲一郎『落語論』

堀井憲一郎(2009)『落語論』 (講談社現代新書)

落語は弱い芸である。落語の特徴は、その「弱さ」から客への融和性を高めるという点にある(P62)。
落語は、自分が突出した存在であることを確認するものでもある。「凡人であることを受け入れる」ものだ(P210)。

ずんずん調査の堀井氏の落語論。洒脱さよりも、なんとなく気詰まりなまでにまじめに論じているところが気になるが。

2009年11月06日

不逞老人

鶴見俊輔(2009)『不逞老人』(河出書房)

NHKのETV特集の番組を作ったときに併せて制作したインタビュー本。インタビューアーは黒川創。
以前のエントリー:アンラーン

私は国家主権の垣根を、区役所並みに低くすべきだと思っている。そもそも根本の単位は、民俗学でいう「もやい」だと思うんだよね。つまり、近所に住んでいる一〇人や一〇〇人のお互いに顔のわかる人たちの親しみが、すべてのつながりのもとになっているということです。私が考えているアナキズムというのは、その程度のことなんだ。でも、区役所程度の制度は必要でしょう。世界政府という考え方についても、あらゆる政府が全部廃止されるべきだとは思えない。「もやい」程度のものは、どんなところでも実際に機能しているんだから。たとえば、山の中の五、六軒の家どうしのつながりでも、その互いの関係を通してやってきたでしょう。その意味では、谷川雁が「日本が持続してきた偉大なものは村だ」と言ったことは卓見だね。それに対して、あるとき東大法学部の川島武宜が、教授会で談合によって政治が行われていることが嫌になって「ここは村か!」と言ったという話がある。その際に川島武宜が言っている「村」への評価は近代的に見えるけれども、私からすると、谷川雁の認識の方が深いと思うね。 P157-158

2009年11月10日

臨機応答・変問自在

森博嗣(2001)『臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生』 (集英社新書)

N大学を辞める前に行っていた大学の講義でのやりとりの記録。
学生に質問させることで出席をとり、その質問に先生が答えたプリントを配付するというやり方をしていたそうだ。質問内容で理解度をチェックできるということで、質問の内容で成績をつけていたらしい。その中でも珍問を選んだもの。

Q:今日は久しぶりに頭を使いました。他にも面白そうな問題があったら教えて下さい。 ★もう少し頭を使って生きて下さい。問題は山のようにある。問題を見つけることが一番の問題です。人は、餌を待っている飼い犬ではありません。 P129

2009年11月12日

あなた、それでも裁判官?

中村久瑠美 (2009)『あなた、それでも裁判官?』(暮らしの手帖社)

刺激的なタイトルの本。

ご自身の若い頃のDV被害と離婚の経験を語っている。
1970年代の話なので、DVなどという言葉はなく、しかも夫は裁判官で、という話。

筆者自身は、文学部出身だが、離婚の後、子どもを抱えて司法試験に挑戦し、弁護士になっている。

自分のこともできるだけ公平に書こうとされており(だから30年以上経たないと書けなかったのかもしれない)、読みやすい。

抜群に面白かった。

中村久瑠美法律事務所

2009年11月19日

正統的周辺参加

中原淳, 金井壽宏(2009)『 リフレクティブ・マネジャー』 (光文社新書)

読み終わった。
経営学と教育学の対話ということが強調されていたが、むしろ世代の違いのほうからくる実感の差のところが面白かった。
金井先生の修羅場(ハードシップ)は買ってでもという話に、中原先生は、我々の世代は毎日が修羅場で、こういうことを言われるのは・・と抵抗を示している。
わたしは若くはないが、この点は、若い世代の見方に共感するなぁ・・

「正統的周辺参加」という概念があるということを知った。
仕立て職人が、ボタン付けから手伝っていき、そのうち服全体を仕立てられるようになるという話だ。
昔からどこでもある話なのだが、このあたりが、社会の中で傷んでいる気がする。

ADRの文脈でも、「実践と勉強の場であるコミュニティ(=実践共同体)」と言えるような場がなかなかなく、個人の調停者のやりっぱなしでしかないという問題がある。
司法調停でむしろ実務研修重視という流れが少しずつ大きくなっているようだが、ADR政策として、ここをいかに養成するかということが問われているとおもう。

詳細な読書メモとしては、
せきねまさひろぐ
など。
ここまで書かれていると読んだ気になってしまうかも。

2009年11月24日

そこをなんとか3巻

そこをなんとか 3

日弁連の地下一階の書店で買った。

2009年12月02日

あまなう(和う/和ふ/甘なふ)

Yahoo!辞書・大辞泉:あまなう

1 同意する。承知する。 2 甘んじて受け入れる。与えられたものに満足する。 3 人の心に合うようにする。機嫌をとる。

古語だが、広辞苑にも載っている。

谷川俊太郎(2002)『風穴をあける』草思社
のP58、P60に出てきて、なぜこのような美しい言葉が現代の日本語から失われたのかと言っている。

文庫

2009年12月05日

新版紛争管理論

レビン小林久子編(2009)『新版 紛争管理論―さらなる充実と発展を求めて』(日本加除出版)

ようやく入手した。
5年前の前版とは、かなり内容が変わっている。
レビン先生が「愛から愛へ」と書かれた前版の論文は掲載されていないのは残念だが、レビン先生が新しく書き下ろした論文も入っている。

訳出された論文数も増えている。
例えば、「第8章 紛争における怒りと報復-帰属の役割」「第12章 自省による学習」「第16章 紛争解決研究のフロンティア」など。

2009年12月10日

目隠しをとったら剣はすてるべき

田中成明(1996)『現代社会と裁判―民事訴訟の位置と役割』 (弘文堂)

この本では、J・レスニックのADR批判が紹介されている。
「正義の女神が、目隠しをとっただけでなく、秤も捨て、剣だけをもち続けているようなものだと揶揄している。」(P133)

2009年12月14日

巡礼

橋本治(2009)『巡礼』(新潮社)

橋本治の小説。
ゴミ屋敷の住民の話である。

先月出たアジア法学会のシンポジウムで中国の弁護士が、ゴミ屋敷問題のようなものがあれば、中国なら人民調停が使われると思うと発言していた。
中国の人民調停は、当事者の申立がなくても、調停委員会の発意で事件として扱うことができる(おそろしい)仕組みらしい。

日本ではどうするか。その状況が前半で描写される。死ねばいいのよと呪いの声をあげつつ心療内科に通う近隣の住民がいたり、ワイドショーでとりあげ「困りますね」という一言で次の話題に移ったり、そのワイドショーを見て野次馬の自動車が近隣で渋滞を作り出したりという、喜劇か悲劇かよくわからない状況が、橋本治らしい過剰な丁寧さとしばしばの突然の飛躍によって描写される。

後半では、そのゴミ屋敷の主の一生が語られる。
わからない人物をわかろうとするためには、それ相応の構えがもとめられる。
おまえらの言っている「コミュニケーション」なんて、どの程度のものだ、という叫びのような小説だと思った。

2009年12月18日

園尾隆司『民事訴訟・執行・破産の近現代史』

園尾隆司(2009)『民事訴訟・執行・破産の近現代史』弘文堂

著者は東京高裁の部総括判事。
江戸時代後期から現代に至る民事の手続法の歴史を書いている。
本格的な書物だが、実務家に読まれることを想定して書かれており、ストレートな記述で読みやすい。非常に勉強になる。
歴史の話だけでなく、比較法的な視点もあり、法動態学のテキストという趣の本。

司法省にとっては、その資質からみて、勧解吏は抱えなければならないほどの職種ではなく、また、このように急激に増減が生ずる勧解事件を常勤の吏員で処理することに疑問が生じたものと推測できる。 P126

勧解手続消滅の事情について、民事訴訟法制定という事情だけでなく、もう少し突っ込んだ事情として、「司法のリストラ」とでもいうべき状況を推測して書いている。
調停制度の政策的意義として、「急激に増減が生ずる事件を非常勤の調停委員で対応する」というところに求めているところも面白い。非常に当たり前な話なのだが、民訴の学者などからあまりそういう説明は聞かない。

大正期の調停立法についても、勧解の復活という視点での説明をしている。

ADRの一つである調停の期日に出頭しないことを理由に過料の制裁を科するのは、・・、江戸時代以来の考えを残す、異例な定めである。訴訟の当事者が本人尋問の呼出に応じなくても、過料その他の秩序罰を受けないこととの均衡も失する。 P270

福岡県弁護士会 弁護士会の読書:民事訴訟・執行・破産の近現代史

2010年04月21日

ここからはじまる倫理

ウエストン アンソニー (2004) 『ここからはじまる倫理』, (野矢 茂樹, 高村 夏輝 & 法野谷 俊哉 訳), 春秋社.

なぜ相対主義-「他人の問題に口を出すべからず」という考え方-が問題なのか(P21)が一番興味深かった。

ブレインストーミングのことなどにも触れている。

Search for Common Ground
という活動も紹介されていた。
例えば、中絶問題のような激しい対立のある議論でも両方の立場の共通点をさぐり、議論を噛み合わせていく活動を進めていくという活動をしているようだ。

2010年04月26日

実践!交渉学

松浦 正浩 (2010) 『実践!交渉学 いかに合意形成を図るか』, 筑摩書房.

同じPI-Forumの松浦さんの新書。
売れている模様。

先日紹介したサーチ・フォー・コモン・グラウンドの話が出て来ていた。(P148)

2010年05月07日

こんな日弁連に誰がした

小林 正啓 (2010) 『こんな日弁連に誰がした?』, 平凡社.

司法制度改革で、なぜ弁護士数の増加を日弁連が受け入れ、推進さえしたのかという分析をざっくりと読める。
もともとブログとして書かれていたものの書籍化。大阪の弁護士実務家が著者。
公表資料ベースに書かれていてとてもわかりやすい。

日弁連が司法官僚に敗北したということがこの本のメインのメッセージだが、司法制度改革において司法官僚が果たして勝利したかというと、それは別問題ではないかとおもう。
この本では、矢口洪一の行動は、対行政という意味での裁判所の地位が主たる関心があるとする。
だとしたら、司法予算を大幅に増やすことには失敗した司法制度改革は、司法官僚にとっても失敗と呼べるのではないだろうか。

というようなことは、実務家に任せるだけでなく、法社会学の分野でも研究すべきテーマなんだと思いますが・・

2010年05月20日

目覚めよ仏教

上田 紀行 (2007) 『目覚めよ仏教!―ダライ・ラマとの対話』, 日本放送出版協会.

上田紀行がダライ・ラマを、亡命の地であるインドのダラムサラでインタビューした本。

「慈悲を持って怒れ」とか、「良い執着と悪い執着がある」といったことが話されている。それ自体興味深い。平和主義がたんなるあきらめに陥らないようにするにはどうしたらよいかについて、話がされている。

「訓練して、心を鎮める」のが仏教の修行として大事であるという話も何度も出て来る。
こう、なかなか、心が鎮まらない凡夫といたしましては、どう訓練するのか、とても興味深い。

2010年06月08日

聞きまくり社会学

西原 和久 & 岡 敦 (2006) 『聞きまくり社会学--「現象学的社会学」って何?』, 新泉社(ist books).

現象学的社会学とは何かについて、社会学とは、現象学とは、現象学的社会学とは、というテーマで語られるディスカッション。

西原先生は、名古屋大学の教授。
理論社会学の学会活動の進展と、NPOでの実践活動を広めることを意図しておられる方。
そういう活動を戦略的に広めるために、かなりかみ砕いた話を書いているということのようだ。
聞き手はプロのライターで、同じNPO(東京社会学インスティチュート)に所属する方。
聞き手の岡氏も結構語っている。さすが50代男性。

シュッツは銀行家でもあったとか、フッサールは元々数学者として身を立てようとしていたひとだとか、そういうことだとちょっと原典も見てみたいなと思わせるような話が紹介されていて、そういう意味で誘う本だとおもう。

2010年10月04日

岩佐美代子の眼

岩佐, 美代子 (2010) 岩佐美代子の眼―古典はこんなに面白い, 笠間書院.

中世の和歌の研究をされた方の聞き書きインタビューなのだが、穂積重遠の娘という意味での関心で読んだ本。
穂積家は牛込に千坪のお屋敷で暮らしていたらしいが、その家の間取りまで載っている。

空襲で家が燃えるとき、地元の近所の人たちが、穂積先生の書庫を焼くなと言って、消火に手伝いに来てくれたらしい。こういったエピソードも紹介されている。

岩佐さんはかなり奔放な発言をされる方で、読み物としてもおもしろかった。

2010年10月28日

武士の家計簿

磯田道史(2003)『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新』 (新潮新書)

前いた会社の先輩だったyagianさんのサイトで見かけて読んだ。
もうすぐ映画が公開される。
http://www.bushikake.jp/

加賀藩のソロバン係を勤めた武士の親子の生涯を、発見された家計簿を元に読み解いていった本。
なかなか感動的な話で、映画化されたというのもうなづける。

加賀藩時代もエリート官僚なら、新政府の海軍でもエリート官僚として活躍するのだが、加賀藩での暮らしはかなり財政的に逼迫、というか破綻寸前だったために、詳細な家計簿をつけはじめたということである。

猪山家の会計技術は藩という組織の外でも通用する技術であった。この違いが猪山家を「年収三六〇〇万円」にし、由緒だけに頼って生きてきた士族を「年収一五〇万円」にした。P176

2010年11月10日

中世民衆の世界

藤木久志(2010)『中世民衆の世界――村の生活と掟』 (岩波新書)

中世の農民には、自治的な活動があり、単に支配されていただけの存在ではなかったという見方を強調した歴史の本。

たとえば、惣堂という存在について、旅行者を自宅に泊めるのは御法度だが、惣堂で宿泊するのは自由であったという、中世の社会が意外に開放的な側面の証拠として示す。
と同時に、村の全体での管理が行われていたからこそ、そのような「コモンズ」が成り立っていた点への注意を喚起する。

また、戦国時代に、直訴のシステムが生まれ、拡がり、豊臣・徳川にも引き継がれたことについても、暴力による自力救済としての村の活動が、客観的に処理できる平和なシステム下の手続きに移行したという側面が重要であるとする。

2010年11月12日

石飛道子『龍樹』

石飛道子(2010)『龍樹―あるように見えても「空」という (構築された仏教思想)』(佼成出版社)

非常に読みやすく書かれた本だが、わたしにとっては難解だった。

ブッダは、「言い争ってはならない」という結論だけをとりだして、弟子に教えた。龍樹は、そのブッダの議論を、整合性のある論理として構築したが、それが龍樹の主書の中論に他ならないという。

龍樹には、他を理論で圧する冷たい理論家という側面と、慈悲深い実践家という側面があり、その二面性を理解することが重要であるとする。
後者の、実践家ということが、具体的にはもうひとつよくわからなかったのだが、なんとなく印象としては、社会構成主義的な解釈のようにも感じた。

もうちょっとちゃんと理解できればよいと思うのだが。

2010年11月15日

速水融『歴史人口学で見た日本』

速水融(2001)『歴史人口学で見た日本』 (文藝春秋)

これもyagianさんに教えていただいたもの。
速水先生の研究史をふりかえりながら、歴史人口学を紹介した本。

歴史人口学とは、近代的な人口統計が成立する以前の様々な歴史資料を基に、統計データを推計し、その社会の動態を人口という観点で分析する学問である。

歴史人口学は、庶民の暮らしを、地べたから見ていく<虫の目>と、人口データというマクロに見ていく<鳥の目>の両方の視点があるとても魅力的な学問であるという。
前者の、虫の目については、速水先生が、宮本常一や網野善彦も働いていた日本常民文化研究所で研究者としてのスタートを切ったということともつながっているようにおもう。

ヨーロッパなどでは、人間と家畜の数の比率は、歴史が下るに従って、家畜の割合が高くなるのだが、江戸時代の日本では逆に家畜の割合が減っていったという事実も興味深い。その事実も踏まえ、産業革命(industrial revolution)ならぬ勤勉革命(industrious revolution)というコンセプトを速水先生が発表したという。だじゃれのようなこの言葉は、いまでは世界的に認知されているのだそうだ。

マイナーな研究分野で、国内では関心を持つ人が少なかったので、外国語で研究を発表していったと書いてあった。さらりと書いてあるが、わかっていてもなかなかそれが難しい。

また、データベースを作っていったり、何人かで集まって分業と協業をするプロジェクト型の研究が必要な分野だが、日本では財源確保を含めて、進めるのが難しいという話も出てくる。

2010年11月20日

三浦展と上野千鶴子の対談本

三浦展, 上野千鶴子(2010)『消費社会から格差社会へ 1980年代からの変容』 (ちくま文庫)

団塊と団塊ジュニア論とか、パルコの話とか、シンクタンクの話とか。
教育年齢期の親御さんとしての実感のある話とか。

が、おもしろかった。

上野千鶴子がいたというCDIというシンクタンク

2010年11月23日

梅棹忠夫語る

梅棹忠夫, 小山修三(2010)『梅棹忠夫 語る』 (日経プレミアシリーズ、日本経済新聞)

亡くなった梅棹忠夫の対談本。
いくつかスケッチも載せている。

梅棹 いまの話だけれど、わたしはとにかく、武士道の知的後継者としてのインテリ道やな。支配するという態度に対する反発が非常にあったな。

小山 それで、チョウニナイゼイションなんていう言葉が出て来るわけだな(笑)。あれはあまり上品な響きがないけれど(笑)

梅棹 サムライぜーション(武士化現象)という言葉があって、チョウニナイゼイション(町人化現象)とは、それに対する言葉です。

小山 あの言葉が出たシンポジウム「日本人にとっての外国」(一九八八年)では、みんなひっくり返ってびっくりしていましたよね(笑)。でもインテリというのはあぶないですな、良くなったり悪くなったり。

梅棹 いわゆるインテリというものは、まさに武士道です。サムライの後継者や。町人をバカにしている。pp.166-167

2010年11月26日

「暮しの手帖」とわたし

大橋鎭子(2010)『「暮しの手帖」とわたし』(暮しの手帖)

すばらしい。

小学校5年生で父親の葬式の喪主を務めたという話。
大橋鎭子25歳、花森安治34歳で会社を立ち上げたときの話など。
暮しの手帖社では、大倉陶園のカップを使って午後のお茶を飲んでいたのだなぁとか。

2010年12月13日

教育の社会的意義

本田由紀(2009)『教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ』 (ちくま新書)

教育に関する左右の対立が、実は、現代の若者にとって役に立つものでないものになっていると考えて、その対策を示したものというふうにいえるとおもう。

具体的には、教養主義やその継承としてのシチズンシップ教育など、伝統的な左翼が好むものは、学生の手に職をつけることを避けてきたとする。しかし、そのような教育観が生み出した弊害が大きいという。

むしろ、手に職をつける・・「適応」を学ぶことで、かえって、「抵抗」の道も開けるのだという。

この、「適応」と「抵抗」の両面を学べるようにしようという教育観は、ADRが持っている二面的な性質とも通じるところがあって興味深い。

筆者がいうように、左右の固定的な言説が、教育を奇妙に固定してしまっていたというのは、そのとおりだろうとおもう。
そして、flexpeciality(柔軟な専門性)を身に付けることを支援するという考え方にも共感できる。

ただ、実際的には、労働市場の流動化と併せてやるか、むしろそちらを先行させないと、社会階層固定化政策に陥るおそれもあるとはおもった。

ちらっと紹介されていた、NPO法人POSSEが行ったアンケートで、企業における違法行為経験の多さという話も興味深い。

2011年01月07日

低い動機と高い動機

 同じ苦痛を堪え忍ぶのにも、低い動機からそうするよりも、高い動機からそうする方がはるかにむずかしいということが真実ならば(一個の卵を手に入れるためとあれば、午前一時から八時までじっと動かずに立ったままでいられた人たちも、ひとりの人命を救うためとなれば、なかなかそんなことはできなかったであろう)、さまざまな点からみて、おそらく低い徳の方が高い徳よりも、種々の困難、誘惑、不幸の試練によく堪えることだろう。
シモーヌ・ヴェイユ, 田辺保 訳『重力と恩寵』ちくま文庫 pp.10-11.

[amazon]重力と恩寵

2011年01月25日

ベラー『徳川時代の宗教』

R.N.ベラー (著), 池田 昭 (翻訳) (1996)『徳川時代の宗教』 (岩波文庫)

タルコット・パーソンズを指導教官として、日本を対象に研究した博士論文がもとになった本。
原書で出版されたのは、1957年。

たいへんに、おもしろい。
おもしろいと言っているだけでなくて、関連文献を含めて勉強すべきなんだと思うが、それはさておき、おもしろい。

「お家のために尽くす」というような心性その他の日本人の内的構造を扱っている。

瀬木比呂志(2010)『民事訴訟実務入門』(判例タイムズ社)に、「ごく普通の民事訴訟においては、当事者の求釈明と裁判官の示唆があれば大体必要な証拠は提出されるのが日本の民事訴訟の一つの特質であり、そのこと自体はよい慣行であると言えよう。」(P10)と、書かれている。

必要な証拠が提出されない類型の紛争の典型として、“お家を守るためとあらば、訴訟でうそをつくのもいたしかたがない”というものがある、ということと併せて考えると、日本人の心性の研究というのも、“法学”にも必要なのかもしれないともおもう。

2011年02月22日

須藤八千代 『歩く日』

ソーシャルワークについて勉強したいなと思っている。
この本はすばらしかった。

滑稽な話だが、ある時、強制入院させる場面で、その精神に変調をきたした人が、説得する医師に同情と憐れみを込めて、最後に「協力しましょう」と呟いた。周りが組み立てたシナリオの主人公は、最後までその筋を知らないでいた。そしてあまりにもでき上がってしまっている筋書きに、あきれたように「協力しましょう」と言って保健所の職員や医師、看護婦の先頭に立ち、階段を下りて車に乗り込む彼を見たとき、私は笑いだしそうだった。笑っている私も、その喜劇の登場人物の一人だった。 P48 「「M」氏に関する報告書」pp.33-59. 須藤八千代(1995)『歩く日―私のフィールドノート』ゆみる出版

2011年03月03日

レッスンする人

竹内敏晴(2010)『レッスンする人―語り下ろし自伝』藤原書店

最後のインタビュー集。

第一高等学校寮歌にも、「もし、それ自治のあらずんば、わが国、民をいかにせん」という歌があります。ところが敗戦前に消えちゃったそのことばが、戦後になっても復活してこない。いまの日本には自由ということばはあるけれども、自治ということばはありません。P72

寮歌は、これらしい。

2011年03月24日

独学という道もある


柳川範之(2009)『独学という道もある』 (ちくまプリマー新書)

とても謙虚な語り口で、独学の価値を語っている。
中学・高校・大学・大学院という一連の序列化されて、かつ、ひしめいているような細い道にこだわらなくても、成功に至る道はあるはずだという話を、大検・通信教育での大学という経験談とともに紹介されている。

たとえば、自分の子どもに対して、どういう教育観を伝えるかという話になってきたときに、「高校に行かずに高校認定(旧大検)もアリ」「通信制の大学もアリ」と、安易に言っていいものか、という意味では、実際には悩ましい。
ただ、悩ましいから思考停止して、みなと同じように偏差値レースをやればいいというだけではすまない場面がでてくるだろう。そういうときに、ちゃんと悩みを悩めるかが大事だとおもう。
そういうときでも、そういうときでないときにでも、こういう本を読んで、一度悩んでみるとよいのではないかとおもう。

また、アメリカなどでそうであるように、大学院がキャリアチェンジの場として機能するようになるといいと言っている。
わたし自身は、まさに大学院でキャリアチェンジしたわけではある。なので、わたしとしてもぜひそうなってくれると、自分の肩身が狭くなくなる可能性にもつながるので、いいなとおもう。が、わたしの実感として、大学院がキャリアチェンジの場として機能するためには、大学院で学ぼうとする人の意識が変わるだけではなくて、大学などの制度側にも変えるべき点があるような気がする・・そして、最終的には、雇用慣行まで変わらなければ、なかなか厳しいとおもう。大学院でキャリアチェンジするというのは、確かに可能性はないわけではないけれど、リスクと便益とを考えると、それほど人に勧められるという代物でもないようにおもう。

ところで、全体として、とても共感するのだが、同じことを言ったとしても、こう謙虚な口調でなければ伝わらないこともあるのだろうなと、我が身を省みて、おもった。

思いついたことをつらつらと書いてしまったが、自らの教育観を見直すきっかけとして、とてもよい本だと思う。

2011年04月13日

吉村昭『関東大震災』

吉村昭(2004)『関東大震災』 (文春文庫)

関東大震災でも、外国人が災害直後に日本人の冷静な態度、礼儀正しさを賞賛しているという話が紹介されるなど、今読んで興味深い話が出てくる。
当時、津波が来るという流言も多かった。避難した者たちが集まった荷物が燃えて、逃げ場のない悲惨な火事も起きた。などなど。
朝鮮人への「自警団」の暴力、大杉栄事件についても詳しく書かれている。

当時と変わったことと、変わっていないことがある。

2011年04月20日

ティク・ナット・ハン『怒り』

ティク・ナット・ハン(2011)『怒り(心の炎の静め方)』サンガ

エンゲージドブディズムのティク・ナット・ハンの新しい本。
とりあえず、ご飯は良く噛んでゆっくり食べよう。

2011年04月22日

稲垣忠・鈴木克明編著『授業設計マニュアル』

わたしは、新任教員で、秋から講義を受け持つことになったので、準備をしなければならない。

調停トレーニングはあちこちでやらせていただいたが、講義はそれとは違う。
言っていることとやっていることが違うという部分を少しでも減らすためには、プロセスに対する学習をするべきだなぁとおもっていた折、向後先生が決定版とお勧めしていたので買ってみた。

稲垣忠・鈴木克明編著(2011)『授業設計マニュアル―教師のためのインストラクショナルデザイン』北大路書房

稲垣忠・鈴木克明編著『授業設計マニュアル』 - KogoLab Research & Review

授業設計マニュアル~教師のためのインストラクショナルデザイン~(特設ページ)
著者より、フリーで様式集が提供されている。

2011年05月28日

節度あるおせっかい

田嶌 誠一 (2009) 現実に介入しつつ心に関わる : 多面的援助アプローチと臨床の知恵, 東京, 金剛出版 .

著者は、臨床心理士の実務家で、現在は九州大学大学院人間環境学研究院教授。

児童養護施設で、1対1のカウンセリングだけでなく、組織としての暴力排除に取り組む実践を行った経験などを踏まえて、カウンセラーの役割像の転換を提言している。

グッと来る話が多い。

人はしばしば「自分が見たいものしか見ない」。自戒もこめて言えば、専門家であればなおさらそう。P38
志は高く、腰は低く。P39
節度ある押しつけがましさ(thoughtful pushiness) P54
逃げ場をつくりつつ、関わり続ける P55
健全なあきらめ(letting it go) P55
かたくなさが道を開き、しなやかさが発展させる。P65
「契約」と「縁」。 P131
勉強すればするほどダメになる。 P133

2011年06月06日

大澤先生の新刊本

大澤恒夫(2011)『対話が創る弁護士活動 ―交渉・ADR・司法アクセス・法教育 (学術選書78)』(信山社)

献本いただいた。
本を出すということは、大事だ。

大澤先生は若いイメージがあるのだが、弁護士30年と帯に書かれている。

2011年06月08日

仲裁とADR第6号

仲裁とADR Vol.6

届いた。興味深い論考が多い。
小島武司先生の現役ぶりに感銘を受ける。古稀を過ぎておられる学者ががんばられるなぁ・・と。

紛争解決システムの日本的展開(序説) ――調整型ADRの動向を中心に――小島武司
イギリスにおけるメディエーションの現状からみるわが国のメディエーションへの示唆……田中圭子
海外文献紹介Nancy N. Dubler and Carol B. Liebman, Bioethics Mediation: A Guide to Shaping Shared Solutions, New York, NY: United Hospital Fund of New York; 2004.236 pages. ISBN 188127704. ……中西淑美
ADR機関便り 民間離婚協議等調停(ADR)の運用状況――大阪ファミリー相談室の活動から―― ……楠本高敏
コラム:日本ADR協会に期待される役割と活動について ……河井 聡
投稿:アクティブ・リスニングとはどういうものか――自主交渉援助型調停の背景にあるもの――飯田邦男

2011年07月06日

本「ナラティヴからコミュニケーションへ : リフレクティング・プロセスの実践」

矢原隆行 & 田代順 (2008) ナラティヴからコミュニケーションへ : リフレクティング・プロセスの実践, 東京, 弘文堂.

トム・アンデルセンのリフレクティング・プロセスの手法を展開した、様々な実践形態を紹介した本。
とても興味深かった。

広島国際大学 矢原隆行 准教授
チャイルドラインびんご
茨城キリスト教大学 三澤文紀 准教授
京都教育大学 花田里欧子 准教授

2011年07月08日

41歳の時の著作

ルネ・デカルト, 谷川多佳子 (訳) 『方法序説』 (岩波文庫)

今、読んでみて、自分自身を教育し続ける決意とか、時間を無駄にしないための方法とか、考えても結論が出ないときの対処方法が書かれているところに興味を引いた。

考えても結論が出ないときの対処方法として、とりあえず続けると良いとも。森で迷ったときにはともかく一定の方向に進み続ければどこかには出るだろうからという比喩が使われている。

2011年07月25日

離婚後の面会交流

棚瀬一代(2010)『離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告』 (光文社新書)

日本における主として父親の面会交流の権利があまりにも尊重されていないという問題意識から、共同親権制度の導入を提言している立場の本。
米国で単独親権制度から共同親権制度に移行した過程についてもわかりやすい説明がある。

日本の実務でよく見られる監護親付きの面会交流ではなく、別居親の祖父母や、その他の第三者のサポートの制度化を提言している。
棚瀬一代先生は第三者の例として、臨床心理士を挙げておられるが、メディエーショントレーニングを受けたことのあるボランティアも向いているのではないかと思った。

2011年08月03日

バイステック『ケースワークの原則』

バイステック(著), 尾崎 新 (翻訳)(2006)『ケースワークの原則―援助関係を形成する技法 新訳改訂版』誠信書房

原書は1957年。
社会福祉分野における古典。

2011年09月03日

金原ひとみ『オートフィクション』

金原ひとみ(2009)『オートフィクション』 (集英社文庫)

たまには、小説を。

金原ひとみの文章の面白さは、東京新聞のコラムで知った。

直裁的な言葉がたくさん出て来るので、苦手な方がいるとおもう。わたしは、それはよいのだが、金原ひとみの小説には、自傷的な話が多く出てくるので、それが苦手なので少し敬遠していた。が、この本はとてもおもしろい。

続きを読む "金原ひとみ『オートフィクション』" »

2011年09月22日

海千山千の人生相談

伊藤比呂美(2011)『女の絶望』 (光文社文庫)

西日本新聞の身の上相談を元にした講演会風の小説。
夫婦のこととか、不倫のこととか、介護のこととか・・

この本の中に、伊藤比呂美は、今でこそ海千山千だが、かつて、海二十山二十くらいのとき、夫婦は何でも話しあえば良いと思っていたと書いている。
わたしは、いま、海五山五くらいかな・・と思いながら読んだ。

2011年09月23日

重田先生のフーコー論

重田園江(2011)『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』 (ちくま新書)

わたしより1歳だけ年上のフーコーの研究者。法哲学の長尾龍一先生が師匠らしい。

愛があり、毒もあり。もちろん、勉強にもなった。

特に関心を引いたのは、「自分が運動の代表者のごとくふるまい叡智に満ちた言葉で語る「人権派」知識人と一線を画す」(p227)という、フーコー自身の運動のあり方。専門家と当事者の関係性の作り方というか。

2011年10月05日

やさたく

伊藤サム(2003)『英語は「やさしく、たくさん」―中学レベルから始める「英語脳」の育て方』 (講談社パワー・イングリッシュ)

自分のヘボ英語力をなんとかしたいと思って、試行錯誤している。
その過程で読んだ本。
やさしい本からで良いので、たくさん読めと言っている。
Japan Timesの記者を育てるときにも使われている方法らしい。

目安は、本を積み上げて、身長の二倍になる程度、だそうだ。

2011年10月12日

A History of U.S.

audibleから、アメリカの10歳児向けに書かれた歴史の本の第一巻の音声データを購入して、移動時間などに聞いている。
一文が短く、少し難しい語彙にはややくどいくらいに説明が加えられていて聞きやすい。
それでも、ネイティブアメリカンの歴史の話とかは文脈を知らないうえに、固有名詞の綴りがわからず、追えなくなることもしばしば。小学校からやり直さないといけない。
フィートとかの単位での説明が直感的にわかりにくいということにも気づいた。

気に入ったので、書籍のセットも注文してみた。

Joy Hakim "A History of the U.S"(全巻セット)
第一巻

2011年11月16日

本『全貌フレデリック・ワイズマン』

土本典昭, 鈴木一誌 編 『全貌フレデリック・ワイズマン――アメリカ合衆国を記録する』岩波書店

今回、来日しているところを見に行くということはかなわなかった。

ワイズマン監督に対するかなり長いインタビューも収録されている。

ドキュメンタリー映画で、しかもナレーションもないという話だけを聞くといかにも難解そうな印象を与えるが、わたしが実際に見た映画はエンターテイメント性が高いとさえいえるもので、蓮實重彦が賞賛するというのも分かるなぁとおもった。

ワイズマンはボストン大学のロースクールの教員として法律を教えていた。学生を見学に連れて行っていた刑務所に関する映画がデビュー作である。それが、24年間上映禁止されていたチチカット・フォーリーズだった。



--映画からは、眼前で起きている事態に対する観察者の怒りを感じます。しかし実際の撮影現場では、ご自身の感想を他人に伝えることはまずないのでしょう。ドキュメンタリーの撮影者は感情を押し隠し、ダブルスタンダードで被写体に接するべきですか。

FW 誰かがわたし個人の意見を聞いたとしたら、正直に答える。しかし、質問されることは、いつも少ないね。(略)

--ダブルスタンダードで相手と対峙せざるを得ない。

FW ダブルスタンダードではない。誰に対しても同じように接するからだ。偽善は決して機能しない。誰かが質問してくれば、わたしはいつも真実を語る。倫理と戦略が共存する状況なのだ。倫理とは、自分たちが何をやっているのか人びとに説明して、撮影許可を得ること。戦略とは、人びとを撮影隊に馴染ませ、安心させることだ。作り話でひとを騙して撮影許可を取ったことは、一度たりともない。

(略)

FW 現場での姿勢はこうだ。「自分の使命は、映画をつくること。この施設を変革しようとは考えない。施設の人びとにしっかり仕事しろとメッセージを伝えようとは意図しない」。 わたしの仕事は、自分が現場で見たこと聞いたこと感じたことにもとづいて、できるだけよい映画をつくることだ。

pp.22-23
インタビューアーは、船橋淳氏。

過去のエントリー:映画:フレデリック・ワイズマン「パブリック・ハウジング」


2012年01月12日

結局は「西洋人ごっこ」

我妻洋先生は、社会心理学者であり、我妻栄先生の長男である。

以下のような発言を残している。

 現在の日本にはいろいろな欠点があるわけですけれども、その欠点を直していくには、日本を西洋化すればいいのだという長い間続いた考え方は、この際捨てるべきだと思うのです。  ただ一つ問題が残るような気がするのは、規範としての集団主義、あるいは行動のパターンとしての集団志向でもいいのですけれども、これに対して根本的に否定的な態度をとる集団があるのです。それは法律学者です。法律学者が「法意識」という言葉を使うときには、それはほとんどすべて「人権意識」と同義語になっている。それほど彼らの関心は人権という問題に集中しているように思います。日本式の集団志向の長い歴史の中には、基本的人権という概念が、必然的に生まれてくる余地はなかった。ですから、日本をもっと西洋化して--「西洋化」と言わずに「近代化」というのが普通のようですが--、日本人が基本的人権の尊重ということに目覚めるようにしなければならない。こういう意見が法律学者に共通しているように思われます。そこで、日本を西洋化するのではなしに、集団主義の中から日本的な基本的人権という概念を引っ張り出す仕事が残っていると思うのです。それをやらないと、差別の問題は片がつかないし、借り物の基本的人権という概念で裁判をやってみても、結局は「西洋人ごっこ」に終わってしまうのではないか。こういう問題が残ると思うのです。 P222 濱口 恵俊=公文 俊平『日本的集団主義』(有斐閣・1982年)

2012年01月23日

浅見判事が語る裁判官が概ね共有している意識

浅見 宣義『裁判所改革のこころ』(現代人文社・2004年)


私も含めて、現在の裁判官の多くは、「同期の中では比較的早期に司法試験に合格した」「修習生時代は、比較的よく勉強し、自主的な研究会、特に社会的な問題を扱う研究会には距離を置いてきた」「裁判官になってから、部長をはじめとした先輩裁判官や実務論文等から裁判実務を学ぶことは一生懸命やってきた」「最高裁判例解説は毎年購入している」「修習生・裁判官以外の仕事についたことは、アルバイトしかない」「司法は、不幸を扱う仕事であるから、控えめ、消極性を旨とするのもやむを得ない」「裁判官会議等の公式の場で、指名されたとき以外に発言したことはない」「常任委員会等の選挙では、期の順や天の声に従って投票してきた」「毎年の転勤希望地の調査の際には、転勤希望地を書くが、希望値以外は不可、の欄に印をつけたことはなく、転勤を拒否したこともない」「一月の転勤内示時には、他の裁判官の分もとても気になり、同僚間で、また電話でつい話をしてしまう」「裁判官は一生やるもので、10年だけという意識はない」「所属裁判所に転任してくる裁判官があれば、司法大観で経歴を見ることが多い」「合議で決をとるまで揉めたことはない」「会同・協議会では、最高裁係官の説明はメモをしてしまう」「同期の裁判官が、留学や事務総局入りしたり、研修所教官や総括に指名されるとちょっぴり気になる」などといった意識を、あからさまには言わないけれど概ね共有しているのではなかろうか。
P256

2012年01月26日

内部通報のアウトソーシングサービス

奥山 俊宏他『ルポ内部告発』(朝日新聞出版・2008年)

P132で、ダイヤル・サービスという会社の紹介がある。

社長インタビュー(pdf)


2012年01月27日

日本1852

マックファーレン チャールズ(渡辺 惣樹訳)『日本1852 : ペリー遠征計画の基礎資料』(草思社・2010年)

幕末にペリーが来航する際に、米国側が基礎資料としていたものを翻訳したもの。
日本の社会についてここまで見ていたのか、と、驚くほどの内容。

たとえば、嫉妬に基づく相互監視の窮屈な社会に住み不正も辞さない政府関係者と、気さくで正直な一般の庶民という構図を見て取っている。

 封建大名は一見すると、その領土の君主であり、軍隊も保持しているようにみえる。しかしそれは全くの見掛け倒しである。将軍や幕閣の同意と協力が得られなければ彼らは何一つできない。巧妙に構築された政治体制の網に絡め取られているのだ。全ての大名はスパイや内通者の監視下にあるといってよい。公私にわたり何もかもスパイが見ているのだ。 P202

 こうした嫌悪感を催すような政府の仕組みにもかかわらず、一般の日本人は、ほとんどいつでも気さくに振る舞い、言いたいことを自由に発言している。その上、道義心に沿って生きることにひどく敏感である。そんなことがあるはずはないと思うのだが、我々はオスマン帝国にも同じような気風があることを知っている。そこでも政府と関わりのない人々は実に気さくだ。正直で、本当のことを知りたがり、名誉を重んずる。逆に政府関係者はスパイもやれば、どんな不正や下品な行為も厭わない。どんなに正直なトルコ人でもひとたび政府に関係するとその性格は一変する。こういった事例を知っているので、日本の人々の性質についての報告も正しいのではないかと思えるのだ。
P204

同書についてのコメント:

福岡県弁護士会 弁護士会の読書:日本1852

ピアニスト、国立音楽大学大学院・今井顕の書評ブログ : 『日本1852』チャールズ・マックファーレン、渡辺惣樹訳(草思社)

2012年02月27日

若者のキャリアパスのはしごはずし

ブリントン(玄田 有史=池村 千秋訳)『失われた場を探して: ロストジェネレーションの社会学』(NTT 出版・2008年)

ハーバード大学社会学部で日本社会を研究しているメアリー・ブリントンの著作。
原著タイトルは、「ロスト・イン・トランジション」。“はしごをはずされた若者たち”というタイトルにしたほうが、より直接的だったのではないだろうかという気がする。
高卒就職過程が近年大きく変容し痛んでいるという状況についての分析を行っている。親世代はその状況を的確に理解していない。
端的に言えば、非エリートのキャリアパスの痛みの分析である。
エリートのキャリアパスだって相当はしごはずしは進んでいるように思えるが、そちらの分析はされていない。

書評:
堀 有喜衣「書評 メアリー・C・ブリントン著 玄田有史解説・池村千秋訳『失われた場を探して--ロストジェネレーションの社会学』」日本労働研究雑誌51巻6号(2009年)90-92頁 (PDF)

山岸俊男教授との対談:
山岸 俊男=Brinton Mary C.『リスクに背を向ける日本人』(講談社・2010年)

2012年02月29日

われらの法

穂積重遠著 大村敦志解説(2011)『われらの法 第1集 法学 (穂積重遠法教育著作集)』信山社
第2集 民法
第3集 有閑法学

信山社のページ

こんなシリーズが刊行されるとは・・
高いが、早々に絶版になりそうだから、入手したいなぁ・・

2012年04月27日

児童福祉施設をめぐって

児童福祉施設を対象にしたドキュメンタリー映画。

隣る人

児童福祉施設としては、良い意味で例外的な存在を対象にしたものらしい。
見たい・・

法律家が書いた児童福祉施設における暴力として、竜嵜先生の著書に例がある。一つの刑事事件を起こした少年の背景事情として描かれている。これが相当に激しい。

竜嵜喜助(1998)『生の法律学』尚学社

田嶌誠一先生の大書も少しずつ読んでいる。

田嶌誠一(2011)『児童福祉施設における暴力問題の理解と対応―続・現実に介入しつつ心に関わる』金剛出版

田嶌先生が児童福祉分野の専門家から攻撃や中傷を受けながら実績を重ねた記録が詳細に書かれている。
自分が尊敬している人からも攻撃されてこたえたとおっしゃっているが、見ないことにしているものを見せた-パラダイムに抵触した-ところに、これだけの抵抗を受けた背景があったのではないかと分析しておられる。

田嶌先生が安全委員会を児童福祉施設の中に立ち上げたとき、かつて暴力の対象とされていた少年が、なぜ自分のときには助けてくれなかったのだ、と、言ったという。

以前のエントリー:節度あるおせっかい

2012年05月04日

自閉症スペクトラムの当事者本

小道モコ『あたし研究』(2009・かもがわ出版)

高校生のときのアメリカ留学した先の先生から、絵を描き続けるんだよ、何があっても、と、言われたのをずっと大切にしているという。
そういうわけで、自分の感じ方を懇切に図解し、言葉でも説明を加えている。障碍を才能によって乗り越えるというのでなく、才能としての障碍と共に、という、つきあい方を示しているとおもう。

著者のブログ:
自閉症スペクトラムを考える会「くれよん」(小道モコ)

2012年05月06日

ホリエモンの天突き体操

堀江 貴文『刑務所なう。』(2012・文藝春秋)

軽快に書かれているが、刑務所暮らしには違いないわけである。
佐藤優の『獄中記』とは大夫違う雰囲気だが、こちらも相当興味深い。

そして、刑務所に居ながらにして、メルマガを中心とするビジネスを回し続けている。

 それにしても、細かいことひとつでも忘れてはいけないという、刑務所のキッチリしたルーティンワークが私はかなり苦手である。理由はちょっとでも考えごとをしていると、それに集中してしまい、その瞬間やるべきことを忘れてしまうのだ。たとえば、シャバでは外出するときに持っていく物を玄関の机の上に置いてあるのを忘れていったり、刑務所ではお茶を入れてもらうヤカンを置き忘れて配食係に促されたり、という具合だ。周りを見ているとボケ老人でもない限り、そういう人は見かけない。つまり、フツーの人は、私みたいにいろいろと工夫することナシに、キチンとルーティンワークを毎回こなせるのだ。190頁

先日、小道モコさんの本を読んだせいもあってだが、こういう記載が気になった。
わたしもフツーのことが、とても緊張するので。

2012年05月19日

本:桂雀々『必死のパッチ』

桂雀々『必死のパッチ』 (2010・幻冬舎文庫)

仕事に関係のない本って、どうしてこう早く読み終われるものなのか、とおもうが、大変に興味深い内容だった。
もともとは、ホームレス中学生の二番煎じ的な形で出版されたもののようだが、ご本人の小六から中学生あたりの生活が紹介されている。
まず、母親が出て行って、ギャンブル中毒の父親とふたり暮らしになって、その父に心中を迫られたりという経験も経て、さらにその父親は借金取りから逃げるために息子を捨てて出て行ってしまう。ありえないくらいに無責任な父と母なのだが、これが現実である。それまでも親切にしてくれた近所の家に一週間だけお世話になるが、家でひとりで暮らすことを決意し、元の部屋に戻る。元の部屋では、電話は止まり、直に電気も止まる。さらには、借金取りが現れる。・・と、なかなかに壮絶。
その後、生活保護と民生委員の家族の親切を受けながら、ひとりで中学生の三年間を過ごし、その過程で落語に出会うという話。

噺家さんが書いたものだけに、事実に基づいてリアリティがありながらも、どこかふわっとした余白のようなものがあって、厳しさだけの露悪的なところがなくて、読後感が良い。
そういう意味でも見事な作品になっている。

必死のパッチとは - はてなキーワード

2012年07月11日

労働紛争解決ファイル

野田進『労働紛争解決ファイル~実践から理論へ~』(労働開発研究会・2011年)

著者の野田進先生にいただいた。

野田先生は、労働委員会と労働局で実務家及び実務家を束ねる委員会の委員長としてのご経験が長い。
その文脈で、調停技法についても関心を持たれて、この本でも草野芳郎、廣田尚久、レビン小林久子各先生の著作についてもそれぞれ1節を設けて紹介・検討がある。

中国・韓国・台湾・フランス・イギリスの事情の紹介もあるが、日本以外はすべて同席手続であるという話がわたしには衝撃的であった。(234頁)

労働審判について、「審判の調停化」と「調停の審判化」の両方の側面が見られ、どちらの意味でも問題であるという指摘にも大変共感した。(288頁)
労働に限らず、日本のADRにかなり広く見られる病理ではないかと思う。

2012年07月13日

本:私は私らしい障害児の親でいい

児玉真美『私は私らしい障害児の親でいい』(ぶどう社・1999年)

重症重複障害の娘さんを持つ方の、いわば「親としての当事者」を考える本。
ヨーロッパの福祉政策を学ぶツアーに参加した話を基調にしながら、学としての福祉への違和感や、体験された様々な葛藤について書かれている。
特に生々しかったのは、著者の実母・実父とのやりとりである。
著者は京都大学文学部出身の方で、大学の常勤ポストを得ていたのだが、娘さんの介護との両立に苦しみ、両親の助けを求める。ところが、ともに元小学校の先生である実母・実父からは、確かに助けを受けつつも、むしろ追い詰められていく。このあたりのやりとりは圧巻で、障害者についての本というカテゴリーに留まらない、日本の家族に通底するある種の普遍的な問題を考えさせるものになっているように思った。

著者のブログ:
Ashley事件から生命倫理を考える - Yahoo!ブログ

2012年07月26日

運動論のクックブック

高松里『セルフヘルプ・グループとサポート・グループ実施ガイド―始め方・続け方・終わり方』(金剛出版, 新装版,2009年)

最近、九大の教員が書いた本を意識的に読むように心がけている。

調停の本質が裁判か合意かという議論よりも、調停は支援であると考える方向もあるのでは、という示唆を、ある先生からしていただいた。あなたはかなり徹底的な調停支援説をとっているのではないかとも。

この本は、非常に具体的・実践的な、サポートグループの作り方を書いた本。
運動論のクックブックという趣きの本。

ご自身の経験から、グループを作るときにはその出口(終わり方)も定めておいた方がよいという話が紹介されている。
グループの活動は、「言いっ放し」がむしろ原則型だともいう。

著者のベースにはエンカウンターグループの活動があるようだ。

2012年07月27日

セルフヘルプグループの経験が教える援助の方法

上岡陽江=大嶋栄子『その後の不自由--「嵐」のあとを生きる人たち』(医学書院・2010年)

この本もまたかなり強烈なもの。

一方の著者は、ドラッグからの立ち直りを支援している当事者団体であるダルク女性ハウスの代表の上岡陽江さん。
もう一方は、札幌のNPO法人リカバリー代表の大嶋栄子さん。

話は明快で、豊富な図解さえあるのだが、軽々しくは扱い得ない内容。

当事者にとっての相談の現実についての分析など、ドラッグ問題に関わらずかなり普遍化できそうな話が含まれているように思えた。相談すると、「恥をかく」、「支配される」、しかし「解決してくれない」。「自分が崩れてしまう」という声まで出てきたという。(P77)

援助者は巻き込まれてはいけない、巻き込まれずに共感せよなどという指針ではなく、巻き込まれるのは恥ずかしいことではないというところから出発せよという。(P206)

教えられることが非常に多い。

当事者側が求めている支援と専門家側が提供するつもりになっている支援とが相当離れてしまっている。だからこそ、当事者団体の活躍の余地があるのだけれど、専門家側が変化していくことも不可避であるはずだ。しかし、また、そこを研究とか教育とかすることが期待されている学者の役割を考えると、大きすぎて途方に暮れる感じもする。

2012年08月09日

本:『ギャンブル依存との向き合い方』

中村努 他 認定NPO法人ワンデーポート編『ギャンブル依存との向き合い方』(明石書店・2012年)

ギャンブル依存当事者で、認定NPO法人ワンデーポートを立ち上げた中村努さん、精神保健福祉士で相談室を開業されている高澤和彦さん、司法書士の稲村厚さんの3人で作られた本。

アルコール依存症向けの当事者支援スキームを援用しながら実践していく中で、特に発達障碍のある方に対して、従来のアプローチが機能していないことに気づき、対応を修正していったという活動の学びの記録という風にも読めるもの。

当事者の手記も、中村努さんの章とは別に2つが掲載されている。

問題の所在はかなりはっきりと明示されているし、解決への手がかりも示されているが、ここで見つけられたものが展開され、世の中における知恵として定着するまでの道のりを考えると、気が遠くなりそうにも思える。

しかし、ここに示された希望を大切にしたいなと、おもった。


 最初は、「発達障害であるかないか」の判断にとらわれていましたが、少しずつ「発達特性を考慮に入れた支援の個別化」という考え方ができるようになったと思います。そして現時点では、発達障害の見方や支援の仕方を参考にしながら、発達障害か依存症かということにはあまりこだわらず、「生活課題とそれに対応する支援に想像力を働かせる」という形に相談のやり方は変化してきました。(中略)
 私たちの実践はまだまだ小さな実践です。手間もかかり、多くの方々に理解してもらうには、時間も、さらなる工夫も必要だと思います。ただ、マニュアルとシステム頼りの支援は、確実に限界に来ているように思うのです。たとえば、精神保健福祉の分野では、自殺対策のひとつの柱として「うつ病」対策が行われてきましたが、こういう症状がいくつあれば「うつ病」というような、マニュアルに基づいた診断(操作的診断)によって、「病気」の治療というシステムに乗せるだけでは、残念ながら思ったような効果は上がっていないように感じられます。
 ギャンブルの問題も同じなのではないでしょうか。問題がいくつあれば「ギャンブル依存症」というようなマニュアルによって見立て、プログラムに合わせていくシステムでは、人の生活を取り戻すことはできません。「人」をどのように理解し、「生活」にどのように寄り添うかという視点での支援が必要な時代になってきているのではないかと感じています。
PP219-220(高澤和彦)

2012年08月27日

PCAGIP

村山正治=中田行重『新しい事例検討法 PCAGIP入門 パーソン・センタード・アプローチの視点から』(創元社・2012年)

パーソン・センタード・アプローチ・グループ+インシデント・プロセス→PCAGIP(ピカジップ)
と呼ぶもののようだ。
つい最近出た本だが、熱心に読んでいる。

著者の村山正治先生は、グループアプローチの臨床心理学者(の大御所)。

ぜひ、体験したいなと思っている。

2012年08月28日

本:『援助技法としてのプロセスレコード』

宮本真巳『援助技法としてのプロセスレコード 自己一致からエンパワメントへ』(精神看護出版・2003年)

『その後の不自由』でも紹介されていた宮本眞巳先生の本。事例検討というか、実践を吟味し、学習につなげるための方法論として、プロセスレコードを核に据えた方法論を紹介。実際行ったスーパーバイズ事例が詳しく紹介されている。

「えらい人からのありがたい話はもうたくさん」というが、当事者運動や援助職の関係者の間に拡がっているようにおもうが、良い理論ほど実践的なものはない(byクルト・レヴィン)わけで。

看護師への教育のための本だが、「支援を学ぶもの」一般に役立つと思う。
受容と共感の強調から出発するのでなく、支援者の自己一致から出発するところがミソ。

2012年11月05日

Jenny BeerさんのMediator's Handbook新版

Jennifer E. Beer&Caroline C. Packard(2012)"The Mediator's Handbook"

Jennifer Beerさんの調停人ハンドブックの新版(4版)が出た。前の版は1997年だからずいぶん久しぶり。一度日本でワークショップをやってくださった関係でお知り合いになれた。推薦文を書かせていただいたので、わたしの名前が本の背表紙に出ていて、うれしい。

具体的で簡潔な説明が多く、また人間的な暖かみのある手書き部分もあって、調停の良さが伝わる本だと思う。

Issueという用語は、Topicに変わっているが、基本的なステージモデルは維持され、発展している。

過去(2008年)のエントリー:

2012年11月10日

Mediator's Handbook面白い

調停人の、はじめの挨拶のところでは、「電子機器の電源を切る」という注意を入れている。(P33)ケータイで注意がそがれるという話のほかに、こっそり録音されるということも避けるために。

経験の乏しい通訳は容易に意思決定者になってしまう危険について書かれていたり。(P108)

ファシリテーション・グラフィックでも、「活字体を使おう」「余白を使おう」(動詞で書くのもこつ)「文字は青、茶、紫、緑」「目印は赤、オレンジ、ピンク(黄)」「シンボル(スマイルマーク、☆、その他のイラスト)を使おう」「円や矢印」などのコツについても書かれている。(P132)

といったような、納得感のある具体的な記載が満載である。

と、同時に、「Partilal to all(皆の味方になる)」(P95)-共感を示す-とか、「Ultimately it's about your mindset, not external performance.(究極的にはあなたの構えの問題で、外に出てくるふるまいの問題ではないのだ)(P96)とあるように、テクニック以前の話も豊富に、具体的に書かれている。

ムーアの『調停のプロセス』が百科事典的アプローチであるのに対して、こちらは自分たちの選択肢、関わり方の理念と技術を読者と共有したいというアプローチである。第三版に比べて、応諾要請を含めた事前の関わり部分の記載が充実した等をはじめとして、かなり内容が変わっている。

この本の読書会的な活動をしてみたいなぁと考えはじめている。福岡での活動になるが、ネットでの参加ができるようにすればより面白いかなと考えてみたり。・・興味を持たれた方は連絡してください。

Jenny BeerさんのMediator's Handbook新版 (私的自治の時代)

The MEDIATOR'S HANDBOOK

2012年11月16日

等しくないものを同一に扱ってはならない

リッチモンド先生曰く。

…われわれは、裁判所においてだけでなく、法律を施行するものがパースナリティに関して学ばなければならないことを次第に認識するようになった。これらの施行者が、パースナリティを援助したり害したりするところ、また個人差を誤って研究して、ひとしくないものを同一に扱ったりするところではどこでも、法律の目的と実際的な成果とは、ほとんど関係のないものとなり、そのため夜中に通過する船のように、互いに知らぬ間にすれちがうように思われる。(P238) リッチモンド メアリー(杉本 一義訳)『人間の発見と形成 : ソーシァル・ケースワークとはなにか』(誠信書房・1963年) Mary E. Richmond (1922) "What is Social Case Work?" Russell Sage Foundation 

2012年12月10日

実体験にもとづく小額の紛争解決としての裁判手続

橘玲『臆病者のための裁判入門』(文藝春秋・2012年)

第1部では、オーストラリア人当事者の代理人として関わった著者の体験を元に、直接交渉、法律相談、民事調停、簡裁、地裁、高裁までの「迷宮」をさまよった記録を紹介。相手方は大手損保。
筆者の人物描写が面白く、かつ、納得感がある。あとがきに、裁判官や弁護士はもちろん、裁判所の書記官を含めた法曹関係者は公正で優秀だった、というまとめをしている。ところどころシニカルな指摘はあるにせよ、基本的に個人攻撃の視線はなく、むしろ構造的なブラックホールとして小額紛争という問題を記述している。
第2部では、法社会学研究者による訴訟行動調査やダニエル・フット先生の議論の紹介もあり、その文脈でADRが検討され、第1部での紛争も金融ADRのスキームで解決したかもしれないとまで言っている。

わたし自身の問題関心と非常に近く、興味深い著作だった。

2012年12月11日

平田オリザ『わかりあえないことから』

平田オリザ『わかりあえないことから : コミュニケーション能力とは何か』(講談社・2012年)

コミュニケーション教育における、「異文化理解能力」と、日本型の「同調圧力」のダブルバインドについての明晰な指摘。

 心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
 「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いていないだろうか。
P208

と、コミュニケーション教育の目標を、「異文化理解能力」に置く。ただし、西洋型の異文化を尊重するコミュニケーションも、結局は多数派にあわせる側面がでるからという実際上の処世技術に過ぎないという割り切りがある。

 私たちは国際社会の中で、少なくとも少数派であるという自覚を持つ必要がある。また、そこで勝負するなら、多数派にあわせていかなければならない局面が多々出てくることも間違いない。ただそれは、多数派のコミュニケーションをマナーとして学べばいいのだと、これも学生たちには繰り返し伝えている。魂を売り渡すわけではない。相手に同化するわけでもない。 P147

わたしは、ここがいいなとおもった。

2013年01月17日

本:チェックリスト・マニフェスト

今年もよろしくお願いいたします。

ガワンデ, アトゥール (2011) アナタはなぜチェックリストを使わないのか? : 重大な局面で“正しい決断"をする方法, (吉田 竜), 晋遊舎.

仕事におけるチェックリストの勧めというと、なんだかしょーむないビジネスハック本みたいな響きがあるが、とても面白かった。

さすが、Dr.Haraが拾いものとおっしゃるだけのことはある。:The Adventures of Dr.Hara: チェックリスト

著者は、外科医として、手術における質の向上に取り組んでおられる方。
インド系のアメリカ人外科医で、ハーバード大准教授。

手術の世界では、数十年前までは素朴な知識によって人が救われるという状況だったが、ここ数十年で知識の質量は劇的に増大した。にも関わらず、それを適切に現場で活用することがされていなさすぎるという問題意識が筆者にはある。つまり、不確実状況下における意思決定支援として、素朴なチェックリストが非常に有効、それを布教してまわるぞ、という本。

邦題では、「アナタはなぜチェックリストを使わないのか?」と個人を対象にしているように見えるが、筆者が対象にしている手術の現場は、外科医、麻酔科医、看護婦などの役職の異なるメンバーからなるチームワークが要請されるところである。わたしが特に興味を引かれたのはこのあたりだ。チェックリストが要請する、ごく限られた「名乗り」や短いブリーフィングでもコミュニケーション改善効果があり、それがミスを減らす働きをもたらすようである。社会心理学でいう「受容懸念の解消」というようなことかもしれない。現場の権力関係を変えうる。だからこそ、チェックリストに対する抵抗も大きくなるのだが。ミスが減るだけでなく、離職も減るらしい。

ダメなチェックリストについても記載があった。時間がかかりすぎる、現場からのフィードバックが効いていないものはダメである。巻末には、チェックリストについてのチェックリストが付属。英文版はこちら

 チェックリストは手間がかかるし、面白くない。怠慢な私たちはチェックリストが嫌いなのだ。だが、いくらチェックリストが面倒でも、それだけの理由で命を救うこと、さらにはお金を儲けることまで放棄してしまうだろうか。原因はもっと根深いように思う。私たちは、チェックリストを使うのは恥ずかしいことだと心の奥底で思っているのだ。本当に優秀な人はマニュアルやチェックリストなんて使わない、複雑で危険な状況も度胸と工夫で乗り切ってしまう、と思い込んでいるのだ。
 「優秀」という概念自体を変えていく必要があるかもしれない。P198

 人々が手順を充実に守らない理由の一つに、硬直化が怖い、というのがある。機械的にチェックを行っていたのでは現実に対処できなくなる、チェックリストばかり見ていると心のないロボットのようになってしまう、と思い込んでいる。だが実際には、良いチェックリストを使うと真逆のことが起きる。チェックリストが単純な事柄を片付けてくれるので、それらに気を煩わせる必要がなくなる。昇降舵がセットされているか……などの問題をいちいち気にしないで済むのだ。その分、どこに着陸するべきか、などの難しい問題に専念できる。
 私が見てきた中でも、ひときわ洗練されたチェックリストを一つ紹介しよう。単発のセスナ機での飛行中に、エンジンが停止した時のためのチェックリストだ。……このチェックリストには、エンジン再始動の方法が六つの手順に凝縮されている。燃料バルブを開く、予備燃料ポンプのスイッチを入れる、などだ。だが、一つ目の手順が最も興味深い。そこには「飛行機を飛ばせ」とだけ書いてあるのだ。パイロットは、エンジンの再始動や原因の分析に一所懸命になり、最も基本的なことを忘れてしまうことがある。「飛行機を飛ばせ」硬直した思考を解きほぐし、生存の確率を少しでも上げるためにそう書いてあるのだ。
P203

著者によるTEDでのプレゼンもある。

アトゥール・ガワンデ: 医療をどう治すか? | Video on TED.com

2013年03月05日

加藤俊明『認証ADRの現状と課題』

加藤俊明『認証ADRの現状と課題―対話促進型調停における法律専門職調停人の行動基準を中心に』(民事法研究会・2013年)

買いました。
勉強させていただきます。

神奈川県司法書士会調停センターも務めた加藤氏の、桐蔭横浜大学での博士論文を元に出版されたもの。

手頃な定価で出版できてうらやましいなと言ってみたりして。

2013年03月27日

Readiness is all

2週間も日本をあけるといろいろ大変で、あまり総括もできませんが、フィリピンの研修では貴重な経験ができました。

プレゼンをしている姿をビデオに撮ってくれたので、それを見直して、改めて英語は難しいなと。
下手なりに、引き続き勉強しようというモチベーションアップにはなったかなと。

ちょっと前に買って置いた↓などを読もうという気にもなっています。

Adrian Wallwork(2010)"English for Presentations at International Conferences"Springer Science

には、Handling your narves(緊張してしまうことにどう対処するか)という章があって、なるべく緊張しない場で場数を踏めと書いてあるのだけれど、そういうことが大事かなと。

若き経済学者のアメリカ:英語ノンネイティブ向け、アカデミック・プレゼンテーションの決定版

表題の、Readiness is all は、ハムレットの中にあるセリフであるらしい。

2013年04月25日

法律時報4月号のADR特集

いずれも興味深かった。
青山先生が、法務省に、認証ADRの実施データをせめて集計・公表くらいしたらどうだ(意訳ですが)とおっしゃっていて、ごもっとも。

菅原郁夫先生は、アクティブリスニングといっても、促進型と評価型では役割が違うのに、そこがちゃんと整理されていないのではないかと指摘されている。

稲村厚先生の当事者支援型ADRに関して、裁判ウォッチング以来のアンチ司法的な視点との関連も含めて記述しておられる。

渡部美由紀先生の、ドイツ・メディエーション法の説明も大変勉強になった。

[amazon]法律時報 2013年 04月号 [雑誌] : ADRの現在

[日本評論社]特集=ADRの現在

2013年05月13日

本:大村敦志『穂積重遠』

大村敦志(2013)『穂積重遠: 社会教育と社会事業とを両翼として』 (ミネルヴァ日本評伝選)

やっと入手。

2013年05月15日

戸籍時報・飯田邦男先生の特集

戸籍時報696号|日本加除出版

家裁調査官・飯田邦男先生の家事調停論の特集。

講演録なので非常に読みやすい。

最初の本で書かれておられた調停観から変化されておられるようにも感じたが、そのあたりはどうだろう?
裁定した結果について合意を取り付けるなら高野耕一判事と同じなのではないかと、上原先生がつっこんでおられたが。

ともあれ、家裁の調停の実務の改善に正面から取り組もうという声として、画期的なものだとおもう。
どこかの家裁で、所長以下裁判官と調査官と調停委員で、実験的に新しい取り組みをしてみれば、成功しそうな気もする。甘すぎる考えだろうか。

2014年04月27日

嫌われる勇気

妻が買っていたので帰国後読もうかと思っていたが、やはり読みたくなってKindleで買って読んだ。

対話形式になっていて読みやすいが、薄めて書いているわけではなくてよい本だとおもう。

特によいと思ったのはやはりタイトルにある嫌われる勇気が必要だというメッセージで、わざと嫌われる必要はないけれど、他人に認められないとだめだと思わずに、自分の価値判断に従うべきというところ。
他者貢献という目的を重視するが、どのように他者貢献しているかについては自己の主観的評価のみに耳をすませるべきだと言っている。

日本におけるアドラー心理学は、育児方法論の文脈で女性を中心に広がっていると思うが、この本は男性にわかりやすいのではないかとおもう。
開かれた質問その他の技術的な側面には触れずに、考え方、あり方のみに焦点を当てている。

「いま、ここ」に生きることが大事という話も強調されていた。

自分は能力があって、人々は仲間であるという世界に生きるためには、他者貢献できるように自分を鍛え、準備することも「いま、ここ」に生きることなんだろう。
凡人であるわたしたちは、「いま、ここ」に生き続けることが厳しすぎるから、そこから逃れる言い訳をさがしてしまう。
そういうごく普通の人にとって、混乱してしまったときに、自分の軸を取り戻す手がかりが必要になる。それは普通の人の哲学と呼ぶことができるだろう。この本はまさにそれを書いている。

岸見一郎(2013)『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)

2014年05月01日

ヒューマニスティック調停モデル

Umbreit, Mark (1995) Mediating interpersonal conflicts : a pathway to peace, CPI Publishing.

著者は、ソーシャルワークのバックグラウンドを持っており、修復的司法分野で著名な方。

University of Minnesota Center for Restorative Justice and Peacemaking

2014年05月19日

異文化コミュニケーションのテキスト

修士課程の講義で使われたテキスト。

Neuliep, James W (2011) Intercultural communication: A contextual approach, 5th, Sage.

ステレオタイプを排除する工夫は試みられているが、どうも違和感がある。

2014年05月25日

リックさんの本

別のコーチがくださった本。100ページちょっとと小さめ。実務としては離婚調停が多いとおっしゃっていた。

Rick Voyles (2009) "Understanding Conflict: What are we fighting for?"(White Feather Press)

Dr. Rick Voyles

2014年05月28日

調停人向けインプロ研修

結構前に参加したものだが、備忘のため記録。

講師は、Rovert Lowe氏だった。

Lowe, Robert (2000) Improvisation, Inc. : harnessing spontaneity to engage people and groups, Jossey-Bass/Pfeiffer.

Atlanta’s Godfather of Improv | Altanta Improv

2014年09月09日

『失恋ショコラティエ』をキモく紹介する

マンガの『失恋ショコラティエ』Kindle版が3巻まで無料で提供されている。

失恋ショコラティエ(1)【期間限定 無料お試し版】 (フラワーコミックスα)

8巻は8月になってやっとKindle版が出たのだけれど、紙版の発売から3ヵ月も待たされた。何とかして欲しい。

恋愛感情の機微みたいなところだけでなくて、エゴイズムとか、創造性とか、職業観とかいろいろ考えさせる味わい深い作品。中年のおっさんがこういう繊細な女性マンガを好むのはとてもキモいが、まさにその 「キモさ」というのもマンガ内のキーワードとして扱われている。

8巻で関谷くんがえれなに、「違うな」と言われてしまうシーンは、わが事のようにガーンとなる。
創造的な人は24時間創造的であって、常に準備をしている、と語る関谷くん。わかっているが、それができない関谷くん。薫子さんに「この人今日は良くしゃべるなぁ」と冷たく見られてしまっている関谷くん。がんばれ関谷くん。

名前も設定されていないえれなの友人が、「店つぶれろ」「ハゲろ」などと無駄に毒々しい呪いを口にするシーンもある。細部に至るまで濃密な世界が展開されている。

次の9巻で終わりらしいが、今から楽しみ。
さえこさんの夫の暴力問題とか、さえこさんの妊娠(?)とか、薫子さんはもしかしたらそろそろ告白するのだろうかとか。

『乙嫁語り』の森薫さんがこのマンガについて語っている)記事がある。とても興味深い。

2014年10月27日

高野文子の新作

高野文子(2014)『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)

科学者が住む寮という設定で、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹の書いた書籍が紹介される。

一番最後の方に、湯川秀樹の「詩と科学」という短い文章がそのまま使われている一節がおかれている。
この文章が非常に美しい。

牧野富太郎に見習って(あるいは、対抗して)花をスケッチしているところもある。

2014年11月11日

要するに

 ……要するに、――聖者たちの言葉を借りるならば、――私はなるべく「恩寵とともに」ある状態で生きて行きたいのである。(中略)
 ……自分の生活の或る時期では「恩寵とともに」あり、別な時期では「恩寵を失った」ように感じるというのは本当ではないだろうか。「恩寵とともに」ある幸福な状態では、どんなことでも直ぐに片づいて、何か自分が大きな波に乗っている気がするのに、その反対の状態では、靴の紐を結ぶのにも一苦労なのである。尤も、恩寵の状態にあるとないとに拘らず、私たちの生活の大きな部分が靴の紐の結んだりすることの技術を習得するのに過ごされることに変わりはない。しかし生活することにも技術があって、恩寵を求めるのにも技術があるとさえ言える。そしてそういう技術を習得することもできる。 21-22頁

アン・モロウ・リンドバーグ著 吉田健一訳『海からの贈り物』新潮文庫

2015年01月06日

渡辺尚志『近世百姓の底力』

渡辺 尚志 (2013) 『近世百姓の底力―村からみた江戸時代 (日本歴史私の最新講義)』敬文舎

以前、『百姓の主張』が面白かったので。
この本は、一橋大学での講義をそのまま本にしたものらしい。

江戸時代の農村のイメージの書き換えを意図した講義だとおっしゃっている。
ユートピアではないが、それほど暗い世界ではなかったし、案外したたかだった庶民の社会を描いている。

2015年01月07日

網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』

網野善彦(2013)『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』 (岩波現代文庫)

こちらは講演録。

網野善彦は『忘れられた日本人』を短大のゼミで10年間使っていたらしい。

東日本は家父長制的な上下の結びつき、西日本はフラットな横の関係を結び合うのが特徴(P117)。

 学問の本来のあり方だと思いますが、宮本さんご自身、決して完成した存在ではないことをよく自覚しておられました。実際、新しいことを知ると、どしどし意見を変えていかれています。ですから、最晩年の講義をまとめた『日本文化の形成』(前掲)を読みますと、宮本さんが最近の新しい学問の進展に、ほんとうに興奮しておられることがよくわかります。例えば、国立民族学博物館のシンポジウムに出席されて、稲作の起源についてのいろいろな議論を聞いて、学問が新しくなっていることに、宮本さんは若者のように興奮しておられたということを書いている方がいますが、学問をする人は、まさしくそうでなくてはならないと思います。常に新鮮な疑問を持ちつづけ新しい分野を開拓する。誤りははっきり認めて正しい見方に従う、学問とはそういうものだと私は考えます。
 ですから、宮本さんでさえ超えられなかった壁を乗り越え、これから新しい世界を開くことは十分にできますし、後進はそれをやらなくてはならないと思います。しかし宮本さんの仕事は、まさしくそういう意欲に私どもを駆り立ててくれる内容をもった仕事で、日本の学者のなかでは、数少ないすぐれた研究者だということを最後に強調しておきたいと思います。 P228-229

2015年01月08日

渡辺京二『日本近世の起源』

渡辺 京二『日本近世の起源 : 戦国乱世から徳川の平和 (パックス トクガワーナ) へ』(洋泉社・2011年)

歴史家というより思想家としての著作なのだと思う。
古い時代に外国人が見た日本についての文献からの引用が多くあったが、興味深かった。

2015年01月14日

癒やしとマチズモ

中野民夫(2014)『みんなの楽しい修行: より納得できる人生と社会のために』(春秋社)

私は、「意識高い系w」みたいな揶揄の仕方が嫌いで、実力が伴わない高い志を冷笑するみたいな風潮がどれだけ社会に害悪を与えているのだろうかという怒りに似た気持ちがある。

一方、そうは言っても、長期戦をたたかうには、それなりのやり方で力をつけていくしかないのも事実である。そうしないと、「正しい私を助けないあなたは間違っている」みたいな形で残念な状態になってしまう。

この本はそうならないように、「やりたいことをやって、人の役に立って、いまここを生きて、目の前のことをやりきれる人になろうとする」方法について、著者ならではの説得力ある形で述べられている。

ステージ高いなぁ、という読後感。

2015年01月15日

宮本節子『ソーシャルワーカーという仕事』

宮本 節子『ソーシャルワーカーという仕事』(筑摩書房・2013年)

ちくまプリマ―新書なので、高校生から大学生にかけてが読者の対象で、職業としてソーシャルワーカーになる可能性のある若者にその仕事の実態を経験を踏まえて書くというスタイルになっている。

実際に紹介されているのはなかなか激しく、道で酒を飲んで行き倒れになっているホームレスに声をかけた経験、知的障碍者の放火事件について本人は責任能力があったという裁判証言した経験、実父からレイプされていた中学生を施設に移すために当時の制度からみてやや危ない橋を渡ったという経験などが語られる。

ご本人がうつになった経験があることがちらりと触れられていたが、福祉事務所の保身みたいなことを苦々しく感じていたとあるように、職場の中でもずっとたたかってこられた方なのだと思う。

わかりやすく書かれているけれども、迫力がある。

2015年01月21日

かかわり方のまなび方

西村 佳哲『かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から』 (ちくま文庫・2014年)

ワークショップ・ファシリテーションの分野のいろいろな著名人へのインタビューなどを再構成しながら、筆者自身の「かかわり方」を学んだ旅の記録とでもいうべき内容になっている。

途中で、中野民夫さんとの対談でワークショップの歴史について触れたところがあって、「インデックスとして使って欲しい」という話があったが、この本全体もそういう感じにも使えるようになっている。

副題として、learning beingと表紙に書かれている。引き出し方みたいな関心から、あり方への関心への筆者の西村さん自身の移り変わりの記録がかかれている。さらっと読めそうなやわらかい文体ではあるけれど、書くのは大変だったのではないかとも思った。

ファシリテーションに興味がある人に勧める本として、南山でまとめられた『人間関係トレーニング』が紹介されることが多いと思うが、この本を勧めるのもありなのではないかとおもった。



 場を開く以上、そこには主催者のなんらかの意図や期待がある。それが全くない「場」はあり得ないだろう。
 けど、この期待の種類や質、あるいは持ち方によって、ファシリテーションはアジテーション(煽動)にもプレゼンテーションにもなる。そのバランス感覚の拠り所は、コミュニケーションを大切にする意志が具体的にあるかどうか。つまり、「ことと次第では、自分はこれまで立っていた位置から動くことや変わってしまうことも厭わない」という姿勢がファシリテーターにあるかどうかによると思う。
P107

過去のエントリー:フォーラムg

2015年07月16日

本:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』

井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年・毎日新聞出版)

井上達夫『リベラル・・』を読んだ。

毎日新聞の記者を相手に話した内容を本にまとめたもので、非常に読みやすい。
読みやすいだけでなく、突っ込んだ話もいろいろ書いてあって面白い。

むしろ保守的な読者が読めば、この本を面白く感じられるのではないか。
9条関係の議論に注目が集まるだろうけれど、慰安婦問題での「アジア女性基金」でなされたことはもっと肯定的に受けとめられるべきだといった主張などもある。ドイツの「反省」が意外と限定的だという指摘もしている。

日本は結局のところ、非白人、非クリスチャンの国家なのに、西洋主要国のグループに「入れてもらって」なんとかかんとか100年以上やってきている。そのときに頼りになるのは、西洋主要国の「正義」の感覚であり、考え方であって、ここをまじめに受けとめることこそ、日本がこれからも世界の中で、なんとかかんとかやっていくために必要な拠り所になるはずだ。その西洋的な正義の感覚、考え方こそが「リベラリズム」である。しかしながら、日本で党派的に「リベラル」とされている人々の思考停止ぶりは目を覆うばかりであり、そこを否定することなしに、日本でリベラリズムを位置づけることはできないだろう……といったところが、本書の基本的な立ち位置だとおもう。

学者だって使い道があるよと。

六本佳平先生の授業をきっかけにして、現実の弁護士が魅力的でないと失望したといった話や、ロールズがリベラリズムが及ぶ射程を狭く考えるようになってしまったことへの失望の話題も興味深かった。
ロールズの輸入代理店みたいな仕事はしたくなかったという話は、全くの本音だと思う。

この本についての、イスラム学の池内恵さんによる文章もおもしろい。

井上達夫『リベラルのことは嫌いでも・・・』を読んでしまった | 中東・イスラーム学の風姿花伝

2015年11月19日

介護民俗学

最近読んでヒットだったのは、六車由美さんの介護民俗学の2冊だった。

六車 由実『驚きの介護民俗学』(医学書院・2012年)
六車 由実『介護民俗学へようこそ! : 「すまいるほーむ」の物語』(新潮社・2015年)


介護ケアの専門家となった著者が、民俗学の聞き書きという手法で、要介護者であるお年寄りのお話を聞く。活動の実践の記録である。
聞き書きで、ケアをする者・受ける者という固定的な関係を壊して、新たな関係を作る可能性が拓かれる-ということである。

著者は、1970年生まれで私とほぼ同世代。

著者と語る『驚きの介護民俗学』 六車由実 2012.7.25 - YouTube

デイサービス・すまいるほーむのブログ

2016年01月16日

牧野伸顕『回顧録』

年末から正月にかけて、城山三郎の『少しだけ無理をして生きる』と、『落日燃ゆ』を読み、続いて牧野伸顕『回顧録(上)』「回顧録(下)』を読んだ。

福岡のことをもっと知りたいと思い、廣田弘毅の話を読み、もちろん興味深かったのだが、小説は小説なので。その点、『回顧録』はオーラルヒストリーそのもので、しかも聴き手は孫にあたる吉田健一。

『回顧録』は、あとがきで吉田健一がわざわざ歴史の概説を目的としたものではなく、牧野個人の体験や回想を記すためのものと断りが必要なほど、歴史の表舞台の大事な話が体験として語られる。

残念ながら、第一次大戦後のパリ講和条約を最後に終わってしまっているが、その後のこともぜひ読んでみたかった。幣原喜重郎と重光葵の回想録を読むべきかな。

2016年02月14日

オープンダイアローグ

斎藤環 『オープンダイアローグとは何か』(医学書院、2015年)

統合失調症にも「効く」という、ミーティング、あるいは話し合いについて書かれている。

精神科医・心理療法士・ナースらの専門家が、当事者と家族等との関係者と、できるだけ当事者の家で、早い段階でミーティングが持たれる。そして、ミーティングは間隔を置かずに繰り返される。
投薬を含めて、その対処方針について、そのミーティングの中で話されたうえ(ナラティブセラピーのリフレクティングの影響を受けた実践という解説がなされていた)、当事者や家族を交えたミーティングの中で話し合って決められていく。

こういうやり方が投薬なしですませられる場合を圧倒的に増やし、投薬があったとしても最小限に限定される。しかも、予後も良好だという。

非常に興味深い話だった。

斎藤環氏の紹介に加えて、原著論文の翻訳が掲載されている。用語解説などもあり親切な作り。

fully embodied person について、スカイプなどではなく実際に目の前にいて話をすることが重要という訳注が加えられていた。その通りだと思うが、fully embodied person というのは、実際に肉体的に目の前にいても、それほど自動的に実現できるものではない。愛の可能性に開かれたものとして「存在」できるかどうかということを言っているのだと思う。

ドキュメンタリー映画『開かれた対話』(YouTube)

2016年04月04日

『クレイジー・イン・ジャパン』

中村かれん『クレイジー・イン・ジャパン[DVD付]: べてるの家のエスノグラフィ』 (2015年・医学書院 シリーズ ケアをひらく)

とても良い本。これぞフィールドワークだとおもう。

三菱自動車に勤めていて、そこで不正隠しに異を唱えようとしたところ、会社からの組織的なハラスメントを受けるようになり、そのうちに統合失調症を発症してしまった方が登場する。彼は、UFOについての幻聴を聞くようになる。しかし、彼が「走っている車からタイヤがとれるだの、エンジンから火を噴くだの言っていた」話は幻聴ではなく、現実だった。
狂っているのはだれだ、という話である。

DVDは40分ほど。

Karen Nakamura | Anthropology Department, UC Berkeley

Professor Karen Nakamura (4.14.2014) on Vimeo

2016年09月18日

へろへろ

鹿子裕文『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』(2015年・ナナロク社)

宅老所よりあいの雑誌『ヨレヨレ』を編集していた鹿子裕文さんの本。twitter
よりあいの森という規模の大きいプロジェクトへの道のりを描いている。
ドライブ感がある。

市民団体運営や、ファンドレイジングの教科書的にも読めるかもしれない。

よりあいの創業者の下村美恵子さんも、よりあいから「退職」されたという話が出てくる。
一つの時代が終わったということなのだろう。
よりあいのWebサイトで以前は販売していた雑誌『ヨレヨレ』については、バサっと削除されてしまっているようだ。
書かれていない物語もあるということ。

過去のエントリー:
谷川俊太郎と伊藤比呂美のイベント

モンドくんのお父さんのボギーさんのブログ:
ボギーの悪趣味音楽作法

2016年12月21日

増川ねてる『WRAPを始める!』

増川ねてる & 藤田茂治 (2016) 『WRAPを始める! : 精神科看護師とのWRAP入門 : リカバリーストーリーとダイアログ』 精神看護出版.

WRAPについては、岡山・津山の高木成和弁護士に教えて頂いた。

この本は、精神障害当事者が、「自分取扱説明書」を作ってリカバリーを果たすという方法論が紹介されている。

べてるの活動、特に当事者研究、SSTにも似ているが、WRAPはもう少し理念からスタートする個人主義的な感じがした。私もまず自分でもやってみようと思っている。

この本では、コモンくんと呼ばれる看護師の藤田茂治さんが裏方を務めて、精神障害当事者だった増川ねてるさんが表に出て作られている。ゲストを招いての対談コーナーや、別の執筆者による寄稿コラムのコーナーもあり、盛りだくさんな内容。

特に、支援者自身が自らの当事者性に向き合わないとこのWRAPを行ったり伝えたりすることができないという問題が、繰り返し扱われていて、とても興味深かった。

MEDプレゼン2014 増川ねてる WRAPファシリテーター(アドバンスレベル)/地域活動支援センターはるえ野センター長 - YouTube

WRAPの道具箱

2017年01月10日

本:矢原隆行『リフレクティング』

矢原隆行(2016)『リフレクティング: 会話についての会話という方法』ナカニシヤ出版

ナラティブ・アプローチ、あるいは、オープンダイアログの源流の思想として知られるトム・アンデルセンの考え方の紹介を中心に、筆者自身の実践的思索を加えてまとめられた本。

矢原先生は、九州大学大学院文学研究科の社会学の博士課程におられた方で、現在、広島国際大学の教授。
チャイルドラインびんごという子ども向けの電話相談活動のスーパーバイズも続けておられるらしい。

リフレクティングの手順を画一化したいというようなことではなく、むしろ、伸び伸びと様々な現場で使われるように、スーパービジョンや、事例検討会、職種間連携などでの活用方法を具体的な現場の事例と共に紹介されている。介護職と看護職の職種間連携の活用などもなるほどと感じさせられる。
同時に、「リフレクティング」という流行のキーワードを消費するような「ためにする」活動に対しては、冷淡ないし警戒的で、そのあたり静かな怒りがこもっているところにも、この本の魅力があると思う。

リフレクティングの基本的意義を考えるとき、この最小構成としての「三人」という数には、とても大切な意味が含まれています。 P30

あらためていえば、そこではリニアな二者間の会話に比べ、じっくりと内的会話を行うための「間」と、内的会話を次なる外的会話に新たにうつし込んでいくための「間」、そして、それらを各々の参加者がダイナミックに立場を転換させながら折り重ねていくダイナミックな「場」が創出されているのです。 P31
とあるように、著者のリフレクティングへの理解は、三者関係を基本構造として、一般的な二者間の話し合いとは違う動きをつくるところにみている。

私の立場では、上記は、メディエーションへの記述そのもののように見えてくる。

ADRは、Alternative Dispute Resolutionというより、Authentic Dialogue and Reflectionの略であるべきではないかと、半ばは、思いつきと言葉遊びだが、半ば真剣に考えているのだけれど、そういう方向での理論化にあたって、大変参考になりそうだと思った。
ラボラトリートレーニングやPCAGIPとの関係でも考えてみたい。

2017年02月15日

須藤八千代『母子寮と母子支援施設のあいだ』

須藤八千代 (2010) 『母子寮と母子生活支援施設のあいだ : 女性と子どもを支援するソーシャルワーク実践』 (増補)明石書店.

横浜市のソーシャルワーカーだった著者が、大学の教員になった後になされた研究をまとめたもの。

同じ母子支援施設の職員たちのあいだから「けじめがない」と批判されている「A寮」についての詳しい聴き取りを紹介することで、母子支援施設の運営の現在を浮かび上がらせている。

これは、すごい本。

特定非営利活動法人ウイメンズ・ボイス

2017年08月28日

里親制度の家族社会学

園井ゆり(2013)『里親制度の家族社会学: 養育家族の可能性』 (MINERVA社会学叢書)

社会学の研究書なのだが、大変興味深い。

里親にインタビューをしているので、里親側からの視点で問題が語られる。

児童相談所としては、実親の意思を尊重せざるを得ないが、「生木をひきはがすように」して里親から離される(P183)ケースがあり、そうまでして引き取った実親は1週間で育児を放棄する。その後また里親宅に戻るが、しばらくするとまた実親が引き取りたいと言ってくる。そしてまた実親に引き渡し、実親が1ヶ月で児童虐待。

その後、その子は、児童養護施設に送られる。実親が言った言葉は、「この子が幸せになるのは許さない」「この子が幸せになるのは、・・さんとこで幸せに生きていくのは絶対許さない」。

2017年08月29日

ガワンデ『死すべき定め』

ガワンデ アトゥール(原井宏明 訳)『死すべき定め : 死にゆく人に何ができるか』(みすず書房・2016年)

重たい内容だった。が、決して、単に沈ませる本ではない。

家族の生死を考えさせずにはおれない本である。

と、同時に、自分の研究面でもヒントになりそうだと思ったところも多かった。

医療倫理学者であるエゼキエル・エマニュエルとリンダ・エマニュエルが書いた、外科医と患者の関係性のあり方が紹介されていた。彼らは、インフォームド・コンセントを超える関係性として、解釈的(interpretive)と対話的(deliberative)を挙げている。医師側の態度は、お任せしなさい(パターナリズム)か、自分で決めなさい(自律)の両極端になりがちだが、人(患者)は、もっと違う関係を望んでいる。「人は情報と決定権(コントロール)をほしがるが、助言(ガイダンス)も欲しい」(P199)のである。患者にとっては、助言というより、むしろ意味づけが欲しいという意味で、だからこそ患者に対して、「私は心配しています」とガワンデが言っている(P205)。

ビル・トーマスの実験(W. Thomas, A Life Worth Living (Vanderwyk and Burnham, 1996))、ウィルソン(K. B. Wilson)の「介護付き生活センター」(Assisted Living)についての取り組みについても勉強になった。

著者のサイト(英語):
Being Mortal | Atul Gawande

訳者のサイト:
原井宏明の情報公開
ガワンデ著「死すべき定め」その2

Being Mortal | FRONTLINE | PBS

2017年09月03日

慎泰俊『ルポ児童相談所』

慎泰俊(2017)『ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援』 (ちくま新書1233)

児童福祉関係の勉強をしていて読んだ本。とても勉強になった。
現場の取材をかなりした上で作られていて、問題提起に説得力があるだけでなく、現場への敬意が感じられる内容になっている。

しかし、それにしても、児童相談所にある一時保護所の運用がこれほどひどいとはと驚かされる。
現在の一時保護所では、多くが虐待の被害者で、かつてのように非行少年が保護されているという割合は少ない。しかし、一時保護所の少なからぬ場所では、少年院的というか、刑務所的な扱いが未だに横行しているらしい。
そうでなく、人間的な保護シェルターとしての運営がされているところとの差があまりに激しいというのが著者の主張だ。

2年前の報道番組の動画が、YouTubeで見られるので、リンクしておくが、これは東京都の例で、いまだにコートを100周走らせるといった、体罰としか思えないことが、「個別指導」の名目で続いているのだという。

(1) 2015/05/07 news every 特集 児童保護施設の現実・子供たちの声に責任者は? - YouTube

「一時保護所」とは、どういう場所なのか|ちくま新書|webちくま

(1) 少子化対策 児童相談所 一時保護所 慎泰俊 - YouTube

厚生労働省:「新しい社会的養育ビジョン」

2018年04月26日

大藤修『近世村人のライフサイクル』

大藤修『近世村人のライフサイクル』(2003年、山川出版)が面白かった。

日本史リブレットという薄く、用語解説なども行き届いていて読みやすい形態の本だった。

家意識が庶民レベルにまで拡がったのが、江戸時代だということらしい。
冒頭に、マルクス主義的な発展段階に当てはめて理解しようとする歴史観から脱却して、実態をそのまま見ようという意識での歴史研究が拡がり、大藤先生自身もそういうつもりでやっていたという率直な立場表明もあり。

2018年09月29日

ダンサンブール 『「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本』

ダンサンブール トーマ(野澤 真理子=高野 優訳)『「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本』(紀伊國屋書店・2004年)
amazon

NVCについての本。

2018/9/25

読了。
NVCのセミナーを元にした「基本書」的な内容で充実していた。タイトルは軽めだが、非常に論理的。著者は、フランス人で元弁護士。

観察・感情・欲求・要求の4つを分けてかつ、統合的に扱うことの大切さを説いている。
考え方としては、メディエーション・トレーニングで言われていることと重なっていることが多かったが、より日常的な適用が想定されて説明されていて、勉強になった。……というより、身につまされて、アイタタタ、そうか自分はこういう攻撃的コミュニケーションをする傾向があるのだなという発見もあった。

我慢するー奴隷になるは、自分自身への暴力で、暴力的コミュニケーションの一形態だという説明があった。なるほど、と思う。

感情の表現の際に、その背後にある欲求とセットにするべきである点、欲求と要求を混同しない点なども参考になった。



>私たちは何をするにしても、〈相手が愛してくれなくなるのが怖いから〉という理由で行動します。相手を愛していて、相手のために何かするのが嬉しいからではなく、相手から何もしてもらえなくなるのが怖いからなのです。でも、これでは愛情を買っているのと同じだとは思いませんか? そう、私たちはこんなふうにして親密な人間関係のなかに〈取引き〉を入れているのです。そして結局、相手がどう思っているかが不安になって、相手の動向をうかがってしまうのです。p.156

>……私はよくセミナーに参加した人たちから〈暴力的でないコミュニケーション〉を継続的に実践するにはどうしたらいいか教えてほしいと言われますが、そういった時には次のような方法を提案しています。それは〈一日三回、三分間〉という方法です。これをするには、まずは三分間だけ、〈私はだめな人間だ〉とか〈本来はどうあるべきか〉とか〈もっとうまくやろう〉とか考えたりせずに、ただ自分の心に耳を傾ける時間を作ってください。先のことや心配ごとは忘れて本来の自分になりましょう。何かを変えようと思ったりしないで、三分間、自分の心の状態を確認するのです。自分の心と向き合って、〈自分がちゃんとそこにいるかどうか〉を確かめてください。つまり自分に向かって「あなたはそこにいる?」と問いかけてみて、本当に心から「私はここにいるよ」と答えられるかどうかを確認するのです。そして、これを一日三回実行しましょう。こうやってありのままの自分でいられるようになってはじめて、相手にもありのままの自分でいてもらえるようになるのです。p.299

>悪とは、己れの飢えと渇きで苦しんでいる善そのものではないのか カリール・ジブラン p.304

2018/9/29

#本
#NVC

2020年02月25日

『福祉的アプローチで取り組む弁護士実務』

弁護士とソーシャルワーカーの協働を考える会『福祉的アプローチで取り組む弁護士実務』を読んでいます。非常に興味深いです。

『弁護士のための初めてのリーガル・ソーシャルワーク』も良い本でしたが、まずは「やってみました」「やってみましょう」というスタンスでした。他方、『福祉的アプローチで……』は、「弁護士としての仕事を精緻化させるために、福祉的アプローチを取り入れる(平林)」というスタンスで、踏み込んでいます。著者間の関係性の深さが生きていると感じます。

巻末の座談会で、坪内弁護士が、福祉は優しい人がやるもので、自分には関係がないものという意識がかつてあった、という発言をされていて、ユーモラスを感じさせるとともに、考えさせられました。支援的リテラシーは、自分は優しい人間ではないと思っている専門職こそ必要なのかもしれませんが、そこが届きにくいポイントだろうと思います。

また、鈴木愛子先生が、家事は本来福祉的アプローチが必要とおっしゃっていてとても共感しました。

弁護士になる前に福祉職の経験を持っている安井弁護士が、福祉の側も結局は人で、福祉につなぐという意識だけでなく、福祉の誰にどうつなぐがイメージできていないと、という趣旨の発言をされていて、このあたりにも、現状とあるべき姿のギャップの大きさを考えさせられます。

About 本

ブログ「私的自治の時代」のカテゴリ「本」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しい順番に並んでいます。

前のカテゴリは映画です。

次のカテゴリは藤崎生活です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type