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本:「出会う」ということ

竹内敏晴(2009)『「出会う」ということ』(藤原書店)

あとがきが書かれたのが今年の9月5日。亡くなったのが9月7日。

竹内さんのレッスンでは、「したくないことはしない」が、「したくないことはしなくていいなんていういい加減な場ではない」(P181)。
禅問答みたいだが、しかし、自己決定ということには、そういう厳しさがある。

(引用注:出会いのレッスンの例として) ・・どんなことが起きるかと言いますと、中年の男の人と女の人でやった例ですが、男の人が歩き始める。振り向いて歩き始めた途端に下を向いて、キョロキョロなにかを探すみたいに歩いていく。周りを全く見ない、下だけ。あっち向いたり、こっち向いたりしながらずーっと歩いていく。もう一方の女の人は振り向いたけれども、どうしたらいいかわからない。男の人がどんどん通りすぎて行ってしまうんで、その前に立ちふさがった。男はびっくりして、よけようとしたけれども、女はまた男の前に立ちふさがる。男は怒って押しのけようとしたんで、取っ組み合いみたいな形になっていった。男から言いますと、自分が行こうとしたのをわけもわからず邪魔された。なんでそんなことをするんだって腹を立てた。被害者意識みたいものにどんどん閉じこもっていく。女の人に聞いてみたら、向かい合って、歩いていこうとしたら、向こうから人が来る、こっちに気がついて、あいつと付き合うのはごめんこうむるというんで、それて行ってしまうならわかるけれども、初めから目もくれず何も存在しないみたいに歩いてくるから、前に立って、わたしここにいるわよということを示したかったという。 ・・ それをたまたま、男の人のつれあいの方が見ていまして、十何年の夫婦生活を一目で目の前で見たって、涙を流した。こちらは笑っていいのか、同情していいのか、といったようなことがあった。 P31-32
三〇~四〇代の、子どもの問題に子どもと一緒になって取り組もうと一生懸命になっている人たちは、今ひどく孤立しているという話がある。いろいろ自分なりに考えて、こうではないでしょうかというような意見を上司に言おうとすると、管理職の方はそういう疑問を提出されたこと自体が自分に対する批判だと受けとめる。批判がいくつか出て来たということ自体自分の上司に、あるいはもっと上の教育委員会なりなんなりに対してマイナス点になるので、批判が出たということ自体を封じようとする。それに閉口して、では若い教師たちに意見を尋ねてみると、若い連中はなんでわざわざ意見を持ち出すのかわからない。というわけで、三〇代半ばから五〇代にかかるぐらいの教師たち、今まで中心の働き手だった人々が次々に孤立して、鬱になってひきこもったりやる気がなくなって、やめてしまったりというような状況がある。P167

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2009年11月03日 07:36に投稿されたエントリーのページです。

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