黙るに時あり
少しブログを休みます。
何ヶ月後か、もう少し先かはわかりませんが、いつか再開するでしょう。
また、お会い致しましょう。
少しブログを休みます。
何ヶ月後か、もう少し先かはわかりませんが、いつか再開するでしょう。
また、お会い致しましょう。
静岡県司法書士会のADR関係者忘年会に参加してきた。
県内自治体の職員の方で、DV加害者への支援を行っている方から、活動を教えていただく。
暴力をふるいたくなった人が、とりあえずクールダウンするために、一人になるという練習(これをタイムアウト法という)をするという方法があるのだそうだ。
一種のソーシャルスキルトレーニングだとおもう。
家族療法でいう「システム」に、加害者(多くは男性)も取り込まれている。そこに働きかける、素朴だが自分で有効だと思える方法を自分の手でつかんでいくのだということだ。
DV加害者も、支援グループに属することで、別の方法をとれるようになる場合もあるという。
ただ、男性は一般に相談したがらないし、DV加害者支援という文脈ではなおさららしい。
調停と、この種の当事者支援グループが連携できたらすばらしいとおもう。
園尾隆司(2009)『民事訴訟・執行・破産の近現代史』弘文堂
著者は東京高裁の部総括判事。
江戸時代後期から現代に至る民事の手続法の歴史を書いている。
本格的な書物だが、実務家に読まれることを想定して書かれており、ストレートな記述で読みやすい。非常に勉強になる。
歴史の話だけでなく、比較法的な視点もあり、法動態学のテキストという趣の本。
司法省にとっては、その資質からみて、勧解吏は抱えなければならないほどの職種ではなく、また、このように急激に増減が生ずる勧解事件を常勤の吏員で処理することに疑問が生じたものと推測できる。 P126
勧解手続消滅の事情について、民事訴訟法制定という事情だけでなく、もう少し突っ込んだ事情として、「司法のリストラ」とでもいうべき状況を推測して書いている。
調停制度の政策的意義として、「急激に増減が生ずる事件を非常勤の調停委員で対応する」というところに求めているところも面白い。非常に当たり前な話なのだが、民訴の学者などからあまりそういう説明は聞かない。
大正期の調停立法についても、勧解の復活という視点での説明をしている。
ADRの一つである調停の期日に出頭しないことを理由に過料の制裁を科するのは、・・、江戸時代以来の考えを残す、異例な定めである。訴訟の当事者が本人尋問の呼出に応じなくても、過料その他の秩序罰を受けないこととの均衡も失する。 P270
早稲田総研インターナショナル・コンフリクト・マネジメントセミナー:2010年度開講スケジュール|Quonb
わたしが担当するのは
■法律コース
【実践入門編】 ● 2010年5月14日(金)、15日(土)
【実践中級編】 ● 2010年6月25日(金)、26日(土)
です。
法律家でなくても参加できます。
info-conflict@w-int.jp
に連絡しておくと、申し込み開始時に教えていただけるようだ。
12/15は、調停技法勉強会があり、テーマは「自主的紛争解決」という大きなもの。
具体的には、工事の音がうるさいという近隣紛争についての応諾要請のロールプレイと、兄と妹の相続争いの調停ロールプレイが中心に扱われたが、『調停のプロセス』からの文献のレビューもあり、なかなか盛りだくさんだった。
二つの事案は設定がよく作り込まれていて、実際の紛争の難しさをうまく表現している。
中村芳彦先生が担当されているロイヤリング講義のうち、11/23から12/14までの4回分を一緒に担当させていただいた。
12/14は、日弁連のロイヤリング研究会から、ロースクールの教官の見学があった。
「課題の特定」を扱うということで企画した。
中村先生に講義をしていただいて、わたしは役者さん相手にデモをした。
学生さん達には4回掛かりでやっているので、多少は伝わるものもあったとおもう。
とっさのふるまいが難しいという実感や、そうは言っても学習すべき型があるといったコメントがあった。
見学の先生方にはどうかなぁ・・
ロースクールでのADR教育にもう少しまともに取り組んでいただけるようになるきっかけになればよいと思っているのだけれど。
橋本治の小説。
ゴミ屋敷の住民の話である。
先月出たアジア法学会のシンポジウムで中国の弁護士が、ゴミ屋敷問題のようなものがあれば、中国なら人民調停が使われると思うと発言していた。
中国の人民調停は、当事者の申立がなくても、調停委員会の発意で事件として扱うことができる(おそろしい)仕組みらしい。
日本ではどうするか。その状況が前半で描写される。死ねばいいのよと呪いの声をあげつつ心療内科に通う近隣の住民がいたり、ワイドショーでとりあげ「困りますね」という一言で次の話題に移ったり、そのワイドショーを見て野次馬の自動車が近隣で渋滞を作り出したりという、喜劇か悲劇かよくわからない状況が、橋本治らしい過剰な丁寧さとしばしばの突然の飛躍によって描写される。
後半では、そのゴミ屋敷の主の一生が語られる。
わからない人物をわかろうとするためには、それ相応の構えがもとめられる。
おまえらの言っている「コミュニケーション」なんて、どの程度のものだ、という叫びのような小説だと思った。
子どもが行きたがったので一緒に3D吹き替え版を見てきた。
どうも最近涙もろくなっているのか、結構たくさんの場面でホロホロとしてしまった。
妻が亡くなったから旅に出たというより、老人ホームに行きたくなかったから旅に出たのでないかと、長男がもっともな質問をしていた。
家の前で工事の人を殴ってケガさせた結果、なぜ老人ホームに行かなければならないのか、そういう判決だったのかという質問もされたが、たぶんそうなんだろうとおもったがよくわからない。
今年は例年の明治大学でではなく、神泉の行政書士会館だった。渋谷から歩くと遠い。
34人の参加だったが、応募はもう少し多かったらしく、事前に文献を読んでレポートを提出したり、面接を行ったりしている。
研修会の人数集めに四苦八苦している団体が多いが、東京都行政書士会はそうではないらしい。
6日間のプログラムなので、丁寧に進めることができ、やりやすい。
一つは調停人が複数の場合で、もう一つは当事者が多数の場合。
前者は、co-mediationの訳。後者は、共同訴訟からの類推からと思われる使われ方。
こういう基本的な用語が混乱している。
どう整理すべきだろう?