2017年09月24日

北海道行政書士会での研修

9/22-23の2日間、調停人養成講座の基礎編研修を実施。

全道から参加頂き、また、助言弁護士のお二人、また東京の伊藤浩さんも参加してくださった。
参加者は25名。

行政書士会単位会で、まとまった時間を取った研修は、とても久しぶりのように思う。

2017年09月19日

映画「おとなのけんか」

子どもがケンカをして怪我をさせたということで、その両親が話し合う……うちに、どんどんケンカになっていくという話。ゲオのレンタルビデオで見た。

もともとは、舞台劇だったそうで、舞台劇のタイトルは「God of carnage」、映画の原題は「Carnage」。Carnageというのは、虐殺の意味。

脚本家の4人の登場人物全員への悪意をたっぷり込められた作品で、ブラックユーモアが濃密。

被害者の両親対加害者の両親という形で話し合いははじまるが、夫婦間の互いへの失望が話されたり、男性連合、女性連合ができたり、子どものことそっちのけの男同士の対決、女同士の軽蔑のし合いも出たりと、目まぐるしい。

加害者側の父親が弁護士で、謝罪するために相手の夫婦の家にいるのに、ケータイに出て、クライアントへの助言をしまくる。その内容も、製薬会社が薬害を疑われているが、握りつぶせという指示である。

2017年09月16日

熊大でのアンブライト博士による修復的司法ワークショップ

Mark Umbreit教授による3時間ほどのワークショップ。

仏教から、
Cultivate virtue. (徳を積む)
Do no harm. (悪をなさない)
Tame the mind. (Tame your ego.) (マインド、エゴをなだめる)
の3つを学んだ、といった話をおっしゃっていた。

本当のゆるし(Authentic forgiveness)は、奇跡として起きるが、その奇跡を待つための本物の活動というものがあるはずで、それを追求している迫力のあるワークショップだった。

会場に来られていた参加者も興味深い実践者や学習者ばかりという印象を受けた。

Being with the Energy of Forgiveness

2017年09月14日

中村絵乃 「アメリカの「対立から学ぶ教育」」


アメリカの「対立から学ぶ教育」~誰もがピースメーカーになれる教育実践|図書館|チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)

社会的感情的学習(Social and Emotional Learning)との関連を言及。

2017年09月11日

第8回対話調停カフェ、無事終了

以前参加させて頂いたNSD(ネオ・ソクラティック・ダイアローグ)の方法を参考にして、「例を使って考える」という試みとして、「ガマンって何」を考える試みを行った。

「カフェ」らしく、軽さと真剣さのある場にはなっていたとは思う。

ガマンとは他への配慮であると言った人もいれば、ガマンとは結局自分を守ることであると言った人もいたり。はたまた、ガマンとはヤセガマンであるといった禅問答のような考えも出たりと、興味深いやり取りが深まりつつあった。

次回の日程も11/4に決めました。調停デモをやります。

対話調停カフェ
https://www.facebook.com/events/170274123536060/

2017年09月03日

慎泰俊『ルポ児童相談所』

慎泰俊(2017)『ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援』 (ちくま新書1233)

児童福祉関係の勉強をしていて読んだ本。とても勉強になった。
現場の取材をかなりした上で作られていて、問題提起に説得力があるだけでなく、現場への敬意が感じられる内容になっている。

しかし、それにしても、児童相談所にある一時保護所の運用がこれほどひどいとはと驚かされる。
現在の一時保護所では、多くが虐待の被害者で、かつてのように非行少年が保護されているという割合は少ない。しかし、一時保護所の少なからぬ場所では、少年院的というか、刑務所的な扱いが未だに横行しているらしい。
そうでなく、人間的な保護シェルターとしての運営がされているところとの差があまりに激しいというのが著者の主張だ。

2年前の報道番組の動画が、YouTubeで見られるので、リンクしておくが、これは東京都の例で、いまだにコートを100周走らせるといった、体罰としか思えないことが、「個別指導」の名目で続いているのだという。

(1) 2015/05/07 news every 特集 児童保護施設の現実・子供たちの声に責任者は? - YouTube

「一時保護所」とは、どういう場所なのか|ちくま新書|webちくま

(1) 少子化対策 児童相談所 一時保護所 慎泰俊 - YouTube

厚生労働省:「新しい社会的養育ビジョン」

2017年08月29日

ガワンデ『死すべき定め』

ガワンデ アトゥール(原井宏明 訳)『死すべき定め : 死にゆく人に何ができるか』(みすず書房・2016年)

重たい内容だった。が、決して、単に沈ませる本ではない。

家族の生死を考えさせずにはおれない本である。

と、同時に、自分の研究面でもヒントになりそうだと思ったところも多かった。

医療倫理学者であるエゼキエル・エマニュエルとリンダ・エマニュエルが書いた、外科医と患者の関係性のあり方が紹介されていた。彼らは、インフォームド・コンセントを超える関係性として、解釈的(interpretive)と対話的(deliberative)を挙げている。医師側の態度は、お任せしなさい(パターナリズム)か、自分で決めなさい(自律)の両極端になりがちだが、人(患者)は、もっと違う関係を望んでいる。「人は情報と決定権(コントロール)をほしがるが、助言(ガイダンス)も欲しい」(P199)のである。患者にとっては、助言というより、むしろ意味づけが欲しいという意味で、だからこそ患者に対して、「私は心配しています」とガワンデが言っている(P205)。

ビル・トーマスの実験(W. Thomas, A Life Worth Living (Vanderwyk and Burnham, 1996))、ウィルソン(K. B. Wilson)の「介護付き生活センター」(Assisted Living)についての取り組みについても勉強になった。

著者のサイト(英語):
Being Mortal | Atul Gawande

訳者のサイト:
原井宏明の情報公開
ガワンデ著「死すべき定め」その2

Being Mortal | FRONTLINE | PBS

2017年08月28日

里親制度の家族社会学

園井ゆり(2013)『里親制度の家族社会学: 養育家族の可能性』 (MINERVA社会学叢書)

社会学の研究書なのだが、大変興味深い。

里親にインタビューをしているので、里親側からの視点で問題が語られる。

児童相談所としては、実親の意思を尊重せざるを得ないが、「生木をひきはがすように」して里親から離される(P183)ケースがあり、そうまでして引き取った実親は1週間で育児を放棄する。その後また里親宅に戻るが、しばらくするとまた実親が引き取りたいと言ってくる。そしてまた実親に引き渡し、実親が1ヶ月で児童虐待。

その後、その子は、児童養護施設に送られる。実親が言った言葉は、「この子が幸せになるのは許さない」「この子が幸せになるのは、・・さんとこで幸せに生きていくのは絶対許さない」。

2017年08月20日

第8回 対話調停カフェ


第8回 対話調停カフェ


日時: 2017年9月9日 14:00 - 17:00
場所: 九州大学文系合同講義棟 207教室 (箱崎キャンパス)

例を使って考える - ガマンって何?

対話型調停では、それぞれの当事者が互いに要求し合っている状況で、どちらの言い分がもっともらしいかと考えるのでく、背景の事情を語り合うように促すべきと考えます。
ある言い分の背景には、何か具体的なできごとがあったのか、何か思いこんでいたのかという言い分を確かめるのです。
今回は、哲学対話(ネオ・ソクラティック・ダイアローグ)の方法論を参考に、「例を使って考える」という話し合い方を試したいと思います。

予定している話題は、「ガマンって何?」をです。(話題は変えるかもしれません。)

メールでお申し込みください。(hideaki@hirie.sakura.ne.jp)

2017年08月16日

哲学対話セミナー(NSDセミナー)

8/14-15の2日間の、松川絵里さんの進行によるNSD(ネオ・ソクラティック・ダイアローグ)セミナー(@岡山)参加してきた。

参加者6人限定で、朝10:30-16:30から両日というスケジュールだったが、二日目はやや延長戦ありで。
内容について細かく話すことはできないが、そのやや苦い経験を含めて、すばらしい体験だった。
はじめてのNSDセミナーが、松川さんの進行での経験となって、とてもよかったとおもう。

共同による真理の探究として、哲学対話を進めていく。

抽象度のある一般的な問いを立て、その上で、時間をかけて具体的な例を選び、吟味し、描写し、再び一般的な問いに対する答えを探す。

私自身が行っている対話による紛争解決の考え方、実践との共通点も非常に多く見つけることができた。また、こうした進行のためには、ラボラトリートレーニングで大事にされている方法や構造についての知見も役に立ちそうだと思えた。
例の記述というナラティブを大切にするという意味で社会構成主義的だとも思ったし、自分の実体験を例に挙げるという意味で、つまり、体験に根ざした言葉に限定して思考しようとするラディカリズムを感じた。

なかなかディープだったのだけれど、さしあたりは、この程度の記録にて。

facebook: 哲学者の対話レッスン



紛争管理研究センター

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