中原淳, 金井壽宏(2009)『 リフレクティブ・マネジャー』 (光文社新書)
読み終わった。
経営学と教育学の対話ということが強調されていたが、むしろ世代の違いのほうからくる実感の差のところが面白かった。
金井先生の修羅場(ハードシップ)は買ってでもという話に、中原先生は、我々の世代は毎日が修羅場で、こういうことを言われるのは・・と抵抗を示している。
わたしは若くはないが、この点は、若い世代の見方に共感するなぁ・・
「正統的周辺参加」という概念があるということを知った。
仕立て職人が、ボタン付けから手伝っていき、そのうち服全体を仕立てられるようになるという話だ。
昔からどこでもある話なのだが、このあたりが、社会の中で傷んでいる気がする。
ADRの文脈でも、「実践と勉強の場であるコミュニティ(=実践共同体)」と言えるような場がなかなかなく、個人の調停者のやりっぱなしでしかないという問題がある。
司法調停でむしろ実務研修重視という流れが少しずつ大きくなっているようだが、ADR政策として、ここをいかに養成するかということが問われているとおもう。
詳細な読書メモとしては、
せきねまさひろぐ
など。
ここまで書かれていると読んだ気になってしまうかも。