橋本治(2005)『ちゃんと話すための敬語の本』 (ちくまプリマー新書)
敬語は、人間関係の距離を調整する道具であるという立場で、敬語が使えるようになろうと青少年に呼びかけている本。という体裁をとっている。
結論としては、ポライトネス理論の滝浦真人さんの考え方と基本的には同じ。
敬語を本当にちゃんと使うと時代劇のようになるので、現代ではちゃんと使わないのがちゃんと使うことになるという、橋本治らしい、まわりくどい説明をしている。
敬語の暗黒面として、目上の者は目下の者に命令文しかないという話もあって、個人的にはこのあたりが気になった。
また、社会が人間の上下を決めるのはヘンであるという指摘もしている。
この話を延長していくと、人間関係の対等性を前提としながら、しかも適切に距離を調整できるツールとしての新しい日本語が必要だという話になりそうな気がするのだけれど、そこまでは書いていない。
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