平田オリザ『わかりあえないことから : コミュニケーション能力とは何か』(講談社・2012年)
コミュニケーション教育における、「異文化理解能力」と、日本型の「同調圧力」のダブルバインドについての明晰な指摘。
心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いていないだろうか。
P208
と、コミュニケーション教育の目標を、「異文化理解能力」に置く。ただし、西洋型の異文化を尊重するコミュニケーションも、結局は多数派にあわせる側面がでるからという実際上の処世技術に過ぎないという割り切りがある。
私たちは国際社会の中で、少なくとも少数派であるという自覚を持つ必要がある。また、そこで勝負するなら、多数派にあわせていかなければならない局面が多々出てくることも間違いない。ただそれは、多数派のコミュニケーションをマナーとして学べばいいのだと、これも学生たちには繰り返し伝えている。魂を売り渡すわけではない。相手に同化するわけでもない。 P147
わたしは、ここがいいなとおもった。