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河合隼雄のカウンセリング入門

河合隼雄のカウンセリング入門―実技指導をとおしてを読んでいる。

お世話になっている人から、読んでみたらと言われて読んでいるが、非常に面白い。

約40年前の河合先生自身のワークショップをそのまま本にしたような構成になっている。

河合先生自身、37歳のころ、ユング心理学研究所からの帰国したばかりの奮闘の記録で、まえがきによれば出版された98年ごろのご本人の目から見て「微苦笑」させられるということだが、それだけに非常にピュアなものがあらわれている。

ワークショップをやるとこういう受講者いるよなぁ、みたいなやりとりがたくさんある。
そういう意味では今でもあまり変わっていないのかもしれない。

傾聴関連のトレーナーの人は、必読だと思った。

以降、読書メモ。

おばあさんが、「お嫁さんが悪い」と言っていることは事実ですね。しかし、おばあさんが”お嫁さんが悪いと言う”ことと、”実際にお嫁さんが悪い”ということは、別のことですね。これはカウンセリングにとって非常に大事なことです。 P29

世の中で善意というものほど怖いものはありません。
P36

だから、われわれの常識とか経験とかで解決できるものは、どんどんやったらいいと思います。怒って治るものなら怒ればいいし、話し合いに行って治るんなら行けばいい。説教して治るんなら説教したらよろしい。してはいけないということはないんです。しかし、説教も話し合いも叱責も効き目がないというときがある。そこからカウンセリングは始まる。そういうふうに思ってほしいですね。
P47

ですから「受け入れる」なんて言っても、はじめのうちこそやさしいですけれど、もっと受け入れだしたら、自分の人生観とか、倫理観とか、考えとか、感じとかが、相手のそれと腹の中でガチャンと当たるわけです。本当はその辺から始まるわけです。腹の中でそういうものがあたるぐらいでなかったら、カウンセリングにはなりません。
P86

・・カウンセリングというのは悩みをなくすというようなものではなくて、「悩みを正面から悩む」ものだと言えるでしょう。
P126

―― その投薬はだれがするんですか。
河合 薬はその子が持っています。
―― その子が持っているなら、それだけ解決できる能力があるわけですね。それが死に追いやられるようなことが起きます場合は、どうなんでしょうか。今の場合はそういうことはないだろうと思いますけれど。
河合 今の場合でもわかりません。
―― そういうのに対して投薬というか、救いというか…。
河合 「投薬」という言葉が出ましたけれども、薬を飲まして治すのはお医者さんで、その子が薬を見つけ出すのを助けるのがカウンセリングです。だから、そういう気の長い話は俺には向かんと言われる方は、やめたほうがいいです。
P133

河合 ・・一般的には、記録をとるのはあまり好ましくないです。
―― そのときは、後で整理をするんですか。
河合 クライエントが帰ってから書きます。僕は外国におりましたとき、はじめ訓練でやらされましたが、ぜんぜん記録をとらずに話をする。終わってから、その話した言葉のとおり、思い出して書くんです。大体できますよ。たとえば、こうこう、こういう話をしました、ということでなしに、こちらの言ったことを、ひと言ひと言思い出して、その通りに書くのです。それができるくらいでなければ話にならない。
P142

いちばん大事なことは、クライエントの言うことを、クライエントの心の枠に従って、クライエントその人の気持ちになってついて行くということです。これは例で言いますと、クライエントがやってきて「実は学校に行けなくて困っております」と言ったとき、「いつから行けませんか」とか「おとうさんはどう言いますか」とかいうことを聴きたいでしょうが、そういうことは聴かずに、ともかく向こうの言うことにくらいついて行く。学校に行けないんだという気持ちを尊重して、それを聴いてゆく。そういうつもりでやってみてください。ともかくやってみたら話が始まります。
P154

技術も態度も両方必要
P174

クライエントによって自分が成長しないようなカウンセラーだったらクライエントは治らない。患者がよくなっているときは、何らかの意味においてセラピストもどこかで成長していなかったらだめです。それは本当に相共にするものです。
P177

―― クライエントをモルモットにするわけですね。
河合 そういう客観的な態度ではなく、共に生きていくということです。
―― カウンセラーの進歩発展のためにクライエントを犠牲にしてもかまわんというようなことを聴きますが。
河合 それは言葉のあやでしょう。
―― 一ぺん会って、それで終わってしまう。自分のやり方が悪かったのではないか、といろいろ考えて、次には少し成長します。しかし、その患者に対しては、何か悪いことをしたような気になる。
河合 しかしそれを、「クライエントをモルモットにしている」というのは非常に表現が悪いと思います。つまり、「ここでこんなふうにやったらいい。これをやってどうなるか見てやれ」それは駄目です。沈黙になってくると、破れかぶれで、「沈黙はたまらん、わしは黙っていられない。こういうことを言ったらこいつはどうするか――帰ったな。では今度はやめとこう」これは絶対駄目です。それはカウンセリングではない。そういう考え方でやったら治るはずがない。
P182

だから案外座ることとか、瞑想することとか、ヨーガというのは、からだを整えたり、息を整えたりすることと、心を整えると言うか、話し合いによってカウンセリングするということと、どこかで関係しているように思います。
P232

ここでいちばん大事なのは、自分が聴きたくないという気持ちが起こったときは聴かなくてもいいということです。自分の気持ちに忠実でないとだめです。もうそんな残忍な話は血の通った人間として聴きたくないと言う場合は、「やめてくれ」と言うか、あるいは不愉快であるということを明瞭に示す。そして、「あなたの話は何でも聴くといったけれども、それだけは聴きようがありません」ということを正直に言う。それをやらずにずるずると聴くのは危険です。
P266

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2006年10月07日 17:21に投稿されたエントリーのページです。

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