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ワークショップな10冊プラスワン

 聴くこと、コミュニケーション技術、会議をうまく進めるテクニックなどを扱った本は、街の書店に山積みされています。どれも似ているように見えますが、本質的なところに触れているものと、浅いテクニックの寄せ集めとに分かれるようにわたしには感じられます。
 21世紀の社会科学にとっては、客観的で検証可能な外部としての社会システムのデザインの技術ではなく、「自己を含む集団」に対して統治していくための技術であり思想が重要であると考えます。
 易しそうに見えても高度なものが多いのがこの分野の特徴だと思います。インタフェースが洗練されすぎていて、その奥深さがかえってわかりにくいのかもしれません。ともあれ、ぜひ一読いただきたいものばかりです。

津村俊充・山口真人[1992,2005]『人間関係トレーニング』(ナカニシヤ出版)

 南山大学人間関係研究センターの先生方が作った本。長らく実験系全盛だった日本の心理学の世界にあって、ワークショップやファシリテーションにうん十年取り組んでおられた老舗です。わたしは、2日間のグループダイナミックストレーニング、3泊4日間(プラス半年後の1日研修)のTグループに参加したことがあります。この本を読むだけではなかなかわからないことが、トレーニング後に読んで見開かれるような箇所も多々ありました。

マイケル・ドイル、デイヴィッド・ストラウス、斎藤聖美(訳)[2003]『会議が絶対うまくいく法』(日本経済新聞)
 
 タイトルや本の装丁などを見る限り軽めのビジネス書の雰囲気ですが、ビジネスファシリテーションを扱った古典といってもよい本です。ホワイトボードや模造紙などで情報を共有することの意味を、「グループの短期記憶」として位置づけます。ファシリテーターをやってみたいと思ったら、「書記役」を買ってでるとよい、といったとても実際的なアドバイスもあります。もっとも、その申し出が有効に働くグループとそうでないグループはあるでしょうが・・
 

野田俊作[1989]『アドラー心理学トーキングセミナー―性格はいつでも変えられる』(星雲社)

 アドラー心理学は別名個人心理学(Individual Psycology)とも言われるように、個人を分析可能な要素の集合ではなく一個の全体と見る考え方です。したがって、集団を扱う社会心理学ではありませんが、実践において、アドラーが行っていた公開カウンセリングは、グループ療法の一つに位置づけられることもあるようです。アドラー心理学が言う、共同体感覚、課題の分離などの概念は、言っていることを理解することはさほど難しくないにもかかわらず、扱い方や実践方法が難しいと思います。アドラーは、不完全である勇気ということも言いましたが、ファシリテーターの基本的態度はこの点にあるのではないでしょうか。

河合隼雄[1998]『河合隼雄のカウンセリング入門―実技指導をとおして』(創元社)

 スイスのユング心理学研究所から帰ってきた37歳の河合隼雄さんが行ったワークショップの記録です。カウンセリングにおける「聴くこと」だけを扱っていますが、ロールモデルを示しながらワークショップを行っている様子がよくわかります。冗長な印象を受ける部分があるかもしれませんが、ワークショップはオーラルな、辛気臭い活動なので、忠実に再現すれば当然冗長になります。カウンセリングにおいて、カウンセラーが影響を受けて変化する部分がないと、クライアントが治るということはないとも言っています。

過去に書いた、読書メモ

中野民夫[2001]『ワークショップ―新しい学びと創造の場』(岩波新書)

 ずばり、ワークショップと題したこの本は、ファシリテーションの実務家からも定番として、尊敬を持って扱われているような印象を持ちます。わたし自身は、中野氏の半日程度の短いワークショップに参加したことがあります。ファシリテーションを学ぶにはどうしたらよいと思うかと彼に質問したところ、ワークショップに参加していくのがよいと思うと答えたのが印象的でした。博報堂にお勤めのエリートサラリーマンという理知的な匂いと、スピリチャリティーを追求した優しい感じが高度に調和しているところがすばらしいと思いました。

平田オリザ[1998]『演劇入門』(講談社現代新書)
 
 大阪大学の教授にもなられ、もはやエスタブリッシュメントと言ってもよい現代演劇の演出家です。内輪だけの会話の場面を作るのではなく、内輪の世界に他者が割り込むことで現れるセミ・パブリックな空間を成立させることが、リアルな演出を成り立たせる具体的な方法だといいます。本書で、古代アテネにおいて、民主主義と哲学と演劇は同時に生まれたのだと言いますが、民主主義が深化するには、哲学と演劇も同時に次の段階に進む必要があるのかもしれません。
  
レビン小林久子[1998]『調停者ハンドブック―調停の理念と技法』(信山社)

 90年代半ばに登場し、古色蒼然とした調停の世界に革新をもたらすきっかけになった歴史的な本です。日本で行われていた(なお現在も主流である)別席調停でなく、米国型の同席調停を進めるための具体的なハウツーまで含まれています。同席であることと、パラフレズなどの傾聴技法が目を引いているようですが、IPI分析(主張だけでなくイシュー(課題)と利害を分析する)などの交渉理論にも言及しており、現在でも、現代調停を学ぶ最初の本としてはこれがよいと思います。BATNAのことをBANTAと書かれているのはご愛嬌というか、校正者も気づかないほど当時マイナーだったということなんでしょうね。

鶴見俊輔[2001]『大切にしたいものは何?―鶴見俊輔と中学生たち』(晶文社)

 京都に住む哲学者の鶴見俊輔が、KBS京都というテレビ局が企画した中学生向けの特別授業を記録した本です。江戸時代に寺子屋で行われていたように、自分で問題を立てて自分で答えを見つけるという活動をしています。ワークショップという言葉はでてきませんが、ファシリテーションの見本だと言ってよいとおもいます。主役は中学生たちですが、鶴見氏自身も、終戦直後は、先生が今まで教えてきたことは間違っていたことを率直に認めたうえで、手探りで教育を行っていて、それはむしろとてもよい教育だったといったことなども話しています。

続き:
鶴見俊輔[2002]『きまりって何?―みんなで考えよう〈2〉』(晶文社)
鶴見俊輔[2002]『大人になるって何?―みんなで考えよう〈3〉』(晶文社)

森俊夫・黒沢幸子[2002]『森・黒沢のワークショップで学ぶ解決志向ブリーフセラピー』(ほんの森出版)

 原因分析ではなく、解決に対するサービスを提供するというブリーフセラピーの考え方を、やはりワークショップの手法で説明しています。わたし自身は、ブリーフセラピーの考え方は、使い方次第では誤用を招くものではないかという印象を持っています。例えば、不登校の子どもがいて、不登校という現象をすぐに「解決」することが、本当によいことなのかは一概に言えないと思うからです。ブリーフセラピーの手法では、ともかく学校に押し込めたいという親や学校にとっても「使える手法」であることが問題なのではないかと考えます。しかしながら、この軽快な本は「ブリーフ」とは言っても、安直ではない骨太な内容なので、著者にお会いしてぜひ上記のような疑問をぶつけてみたいと思っています。

トレバー・コール[2002]『ピア・サポート実践マニュアル』(川島書店)

 ピア・サポートとタイトルにありますが、ピア・メディエーション(子ども同士の相互調停)のマニュアルも含まれています。わたしが米国でメディエーションのインタビュー調査をしたときに、メディエーションの本質を知るには、ピア・メディエーションの本を読むとよいと教えてくれた人がいました。ピア・メディエーションについて日本語で読める貴重な本と言えます。

岡倉覚三[1961]『茶の本』(岩波文庫)

 茶は不完全さを崇拝するカルトである、という宣言から始まるこの岡倉天心の本は、ファシリテーションの理論書として読み直されるべきではないかと考えます。「おのれ自身が悪いと知っているから人を決して許さない。他人に真実を語ることを恐れているから・・、おのれに真実を語るを恐れてうぬぼれを避難所にする」・・
 ワークショップやファシリテーションは単なる欧米の流行というより、欧米におけるアジア化現象と見る見方も可能なのではないかと考えます。

コメント (2)

よしよしえ:

先日よりたいへんお世話になっております。
ご紹介の本、ぜひ読んでみたいと思います。
メディエーションの入り口でその道のはるかさに気が遠くなる思いの日々。道しるべをご紹介いただいたようでうれしいです。
ありがとうございます。

ヱ:

書き込みありがとうございます。

気が向いたものをぜひ本屋等で手にとっていただけたらと思います。
どれも読み物としてもおもしろいです。

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2006年11月06日 05:41に投稿されたエントリーのページです。

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