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2009年08月 アーカイブ

2009年08月01日

富士通・IBM紛争続編

伊集院丈(2008)『雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟』(日本経済新聞)

以前のエントリーの続編。

汎用計算機の互換をめぐる紛争を扱っているが、『雲を掴め』では二者間交渉であったのに対して、この本では、AAA(米国仲裁人協会)での仲裁そのものが扱われている。
AAAに申立をしたのはIBMだが、富士通がJCAAに反訴するという場面も出てくる。じきに取り下げるが。

巨大ビジネスでADRが使われるという話は良く聞くが、当事者自身がこれだけ詳しくADRの中身の話を書くのは珍しい。
汎用機ビジネスそのものが時代遅れになったから証せる話だとも言える。

米国の弁護士の仕事の仕方という意味でも興味深い話が出て来た。
顧客自身からの要求への拒絶権も与えられた形で、「事実が何であるか」の調査を詳細に行う。
実際にソースコードを書いている人間に、誰から仕様を受け取って誰に渡したか、というレベルでの調査を下請企業も含めて行う。(P68)

仲裁廷は、IBM側から一人、富士通側から一人と、第三の存在としてもう一人の合計三人で行われているが、後半に第三の仲裁人が辞任して二人仲裁人として進行される。
このあたりの手続的なルールについてももう少し詳しく知りたいと思ったが、学術書ではないからそのへんはよくわからない。
富士通側が選任したスタンフォード大の教授は、調停的な進行を好み、当事者相互の互恵性を見つけたいという意欲が強かった。このことが、この仲裁を富士通有利に進めた大きな原動力になっている。

2009年08月02日

論文ダウンロード

先日でた「仲裁・ADRフォーラム」第二号の原稿をWebに上げて良いという出版社の許可が出たようですので、自分の原稿だけ公開します。

「自主交渉援助型調停と法の接点」(PDF 9Mバイト)

感想などをお聞かせいただければ幸いです。

日本仲裁人協会編(2009)『仲裁・ADRフォーラム vol.2』(オンブック)
amazon

2009年08月03日

雲の上の紛争解決

IBMと富士通の紛争の仲裁人はMnookin教授(当時スタンフォード、現ハーバード)だったようだ。

則定隆男(2002)「<論文>ADRの推進力としての問題解決的アプローチ : IBM・富士通紛争解決事例を通して(商学部開設50周年・商科開設90周年記念号)」関西学院大学 商學論究 50(1/2) pp.527-547

先日の本と読み合わせるとおもしろい。
Win-Winだったのか、Lose-Loseだったのか。

Mnookin自身も論文に書いているようだ。
Mnookin(1992)"Creating Value through Process Design: The IBM-Fujitsu arbitration" Arbitration Journal, September 6-11

2009年08月04日

仕掛けすぎて、無駄に忙しくなりすぎないために

『雲の果てに』の中で、軍人出身の社長から、主人公が、日本陸軍の作戦要務令を教わる場面が出てくる。社長曰く、「空白は駄目だ。何か仕掛けなければ全滅する」(P98)。

ADR運動も、何に対する戦いかよくわからないが、動いていくことが大事だと思う。
かつ、消耗しきってしまわないように、動き方、戦い方を編み出していかなければならない。

以前のエントリー:富士通・IBM紛争続編

2009年08月05日

資料準備の仕方

二弁夏季勉強会には二年連続で出席させていただいたのだが、去年参加したときに、結構厚い資料なのに、資料全体に通し頁番号がふってあるのに気づいて、さすがだなと変なところで感心した。

弁護士さんも人それぞれで、案外おおざっぱな人も少なくないように思うが、几帳面さにはっとするときもある。こういう資料準備の仕方みたいなところには、気配りが行き届いている。
確かに大勢での話し合いの時に、何頁に書いてあるという話をできるというだけで、落ち着いて話ができる面がある。

この団体は信頼感があるとかないとかということは、案外、些細なところで決まるのではないかとおもう。

運動は事務なり。事務は運動なりだ。

2009年08月06日

意図開き

この間公開した論文は、司法書士会や行政書士会で調停技法研修の講師をしていて、一般の受講者だけでなく調停センターの運営側にさえ意外と理解が少ないと思った箇所について書いてみたつもりだ。

法律家である○○士がなぜ対話促進などというまどろっこしいことをするのかという疑問や、対話促進調停ならばどんな結果であれすべて当事者の責任だとするような誤解への、暫定的な回答として書いたつもり。

法情報の提供の話はもう少し突っ込みきれなかったので、この点だけをさらに掘り下げて書いてみたいと考え中。

また、二弁夏季勉強会で話した、事例で見る調停の価値についても、論文の形で公表したいと思って、少し進めている。

以前のエントリー:論文ダウンロード

2009年08月07日

制度の違いと文化の違いの混同

静岡で土地家屋調査士をしておられる宮澤正規氏がコメントを書いてくださったので、少し反応してみたい。

土地家屋調査士ADRに関する雑感(Ⅱ)

裁判所の民事調停がある程度使われ、士業団体その他の民間調停が使われないのはなぜかという問題で、「日本人のお上に頼ろうとする意識」に理由を求めておられる。
わたしはこの点には同意しない。

法意識の違いが制度利用の違いの原因となっているという説明は、現在、学問的には否定されつつあると思われる。(例えば、河合隼雄,加藤雅信(2003)『人間の心と法』有斐閣、に示されている日中米の法意識の比較調査では、法意識そのものの違いに意外な結果が示されている。)
少なくとも、証明はされていないということは言っておきたい。

わたしは利用者の意識の問題(または文化の問題)と、民間調停に財政的基盤がないという制度の問題を混同すべきでないと思っている。
米国の「民間調停」には、会社経営のようなスタイルでサービスとして調停を行うビジネス調停と、地域へのボランティア活動を基調とするコミュニティ調停がある。コミュニティ調停については、ビジネスとして成り立っておらず、裁判所その他の補助金で運営されている。米国のコミュニティ調停を「活発である」と見るか「停滞している」と見るかは立場によって異なるが、少なくとも件数ベースで日本の民間調停と比較すれば現在でも非常に多数の実施がある。米国のコミュニティ調停が利用され、日本の士業団体調停が利用されないのは、「お上意識」などではなく、料金体系、財政基盤が決定的なはずだ。(最近は、市民の認知度すら大した問題ではなく、むしろ士業専門家の理解と、機関運営者の意欲・能力の問題なのではないかと思うようになってきた。)

司法調停と民間調停の比較についても論文を準備しているのでそちらで書いてみたい。
(その論文では、司法調停の良さを正面から取りあげる。)

しかし、ADRに取り組んでいる人が、自分の言葉で率直に現状を語っていくのは良いことだと思う。
また、民間調停に取り組んでいく人が、司法調停の良さを評価していくことも大事だと思う。
宮澤さま、ありがとうございました。

「調停技法勉強会・募集締切」

8/10(月)の調停技法勉強会ですが、人数が想定よりもかなり上回りましたので、募集を締め切りました。

仲裁人協会・調停技法勉強会の案内

FAXまたはメールで申し込みをされた方は問題なく参加いただけますが、受け付けられたか不安がある方など、緊急の連絡が必要な方はお手数ですが入江(070-6965-8055)まで電話いただければと存じます。

2009年08月08日

川島武宜:軽業のような調停

川島武宜と調停というのも、論じるのが難しい。
・『日本人の法意識』の著者
・調停実務家
・穂積重遠の生徒(あるいは、歌舞伎鑑賞仲間)
・建設工事紛争審査会制度の設計者
・原後山治、廣田尚久の先生
といった顔がある。

 私はかつて数年間調停委員をやりまして、このことをしみじみと痛感したのであります。「それは調停下手だからだろう」と言われるかもしれません。私は決して上手であったとは思いません。しかし、どんなに条理を尽して説明しても、その人の身分や名誉に訴えても、「正しい解決」とか「正義」ということを理解しない人、要するに経済的損得しか考えない人は、「正しい調停」に応じてくれません。こういう例がございました。これは密輸入をやっていた人の離婚事件でしたが、「金がないから出せない」という一点張りで、財産分与、慰謝料の支払いに応じない。ところが、話し合いの途中で、その人の取引銀行がどこだということをチラッと耳にしたんです。そこで、その銀行の某支店に家庭裁判所が公式にその人の口座の有無と預金残高とを問い合わせたところ、相当の預金があることがわかりました。そこで、その次の調停期日に、「あなたは金が全然ないと言ったが、××銀行のあなたの口座には現に×××万円の預金があるではないか」と言ったんです。そうしたら、その人は非常にあわてました。それは密輸でもうけた秘密の金だったからでしょう。「それが知れたら大変なことになる。仰せの金額は直ちに払います」と言って払ってくれまして、調停が成立しました。これは、全くの「怪我の功名」でありますが、そういう軽業(かるわざ)みたいなことをやらなければ、調停が成立しないこともあるのです。こういうことは、皆様も恐らくご経験がおありだと思います。十分に金を持っていることがわかっていても出さない当事者は、いくらでもあるわけです。そういう人間を相手にして調停を成り立たせようとすると、調停委員の方は無原則に譲歩することを余儀なくされてしまいます。  そういう譲歩をしてまで調停を成り立たせることが正義の観念に照らして正しいとお思いになっている方は、一人もいないだろうと私は思います。なぜそういうことをしなければならないのか、そこが問題だと私は思うんです。それに対する手っ取り早い答えは、今日、調停の場で調停委員がとりうる手段方法は結局説得しかないということに尽きるでしょう。もっとも、うっかり「説得」などと言いますと叱られるでしょう。カウンセリングの専門家は、調停で「説得」などと考えるのは間違っているという批判をしておられる、と聞いています。「説得」ではなくて、自発的にそう思うようにするカウンセリングのテクニックが必要であり有用であることについて、私はいささかも異論をとなえるものではありません。そうして、カウンセリングの「スーパー名人」なら、どんな因業な人間でも考えを変えさせることができるのかもしれません。私もそういう名人の軽業的な例を知っています。しかし、すべての調停委員が「スーパー名人」的な離れ業をして「力の支配」を排除できるというようなことは、現実には不可能なことでしょう。少なくとも問題を現実的に考えるかぎり、そういう超現実的理想状況を前提して今日の調停--特に家事調停--の問題を考えることは許されないと思います。現実はどうかと言いますと、全く非常識な額の支払で、財産分与の調停をまとめるケースは、今日相当の数にのぼっています。稀には大きな額の財産分与もありますが、大ていはあまりに小額です。今日の家裁の調停で認められている財産分与の額の大部分を、客観的に正しいと思っておられる方があったら、それは今日の国民の大部分の考えとはかけ離れている、ということを私は力説したいのです。しかし、私はそういう調停が多いことを「非難」しているのではありません。そういう調停をせざるを得ない、因業なことを主張する当事者を抑えることができない、調停を成立させようとすればあの金額でもやむを得ないのだ、という事実を率直に認識する必要があると思うのです。言い換えれば、現実には、調停においては、力の優位に立つ者の「力の支配」が存在しているということ、説得とかカウンセリングという手段の果たしうる能力には事実上限界があるということは、明らかであります。さらに、この現実は、裁判所における・裁判官を調停委員会の一員とする調停としては、本来の理想ないし趣旨に反する、ということを認めることが必要であると、私は考えるのであります。 P380-381

初出 『ケース研究』158号1976年
川島武宜(1982)「調停における当事者の力関係」『川島武宜著作集 第三巻 法社会学』岩波書店

・職権探知のあり方
・説得とカウンセリング
・コミュニケーションスキルの限界
など、興味深い論点が出てくる。

2009年08月09日

全青司ADR情報交換会

8/8 13:00-17:00
全青司が主宰したADR情報交換会に出席させていただいた。
司法書士会以外の参加者も認めるというスタンスの情報交換会だった。
22機関の参加だったのだが、なぜかわたしも”一機関”の扱い。
不思議な立場だが参加させていただいた。

若い実務担当者が中心の情報交換会だったが、1回目としては大成功だったのではないか。
愛媛から松下さんもかけつけ、激励をされていた。

まずトレーニングを受けてみるとか、まず機関をたちあげてみるということはとても大事なこと。
ただ、その次にやるべきことというのが案外難しい。
もっと刺激の強いトレーニングを受けるというのもいいし、認証に向けて努力するのもいい。
でも、「社会に対して踏み出していくこと」なしに、内向きの議論に埋没してしまうと、活力はすぐになくなる。
わたしは、外に向かって働きかけをしていくのが何より大事だと思うし、外に向かっての働きかけを絶えず反省し、修正していきながら継続するのが大事だと思う。
現にそうやり始めているところも出てきている。司法書士会全体としてそういう動きを大切にして育てて欲しいと心から思うのだ。

ADR機関情報交換会開催のご案内(平成21年8月8日開催) (全青司 全国青年司法書士協議会)

2009年08月10日

珍風景

戦後すぐに編纂された『調停読本』は、法を重視しないなどという批判を学者から受けている。
しかし、法を重視すべきという記載も見受けられる、「人情と筋と法とをほどほどに」(P98)というバランス感覚が悪いとは思わない。

事例ベースに書かれていて、読み物としても案外おもしろい。

委員が、本気で怒ったが為に当事者との間に争が生じ、主任判事に於て先ずその争を調停し然る後に本来の調停をしたという珍風景を呈した例がある。委員の信用と調停の威信を失墜すること大きいと謂わねばならない。すべて委員は常に品位を重んじなければならない。 P183
日本調停協会連合会編(1954)『調停読本』(最高裁判所事務総局)

わたしが『調停読本』で一番問題だと思うのは、

のびのびは 人の迷惑 国の損(P171)

と、全体主義的なイデオロギーが克服されていない点だ。
司法調停が、1940年体制という性質をあらわにしている箇所だと思う。

2009年08月11日

調停技法勉強会(準備会)を実施した

昨日(8/10)、仲裁人協会で調停技法勉強会(準備会)を実施した。

開催直前に申し込みが増え、最後は締切せざるを得ない状態だった。
(お断りさせていただいた方、すいません。)

様々な士業、カウンセラー、医者、企業の方などさまざまな参加をいただけ、多様性に富んだ会になりそうだ。

準備会そのものもグループワーク主体で構成してみた。
配付資料を極力少なくして、ふせんとマーカー、A3・A4の白紙くらいしかない状況下での進行にした。
普段のトレーニングでは配付資料過多なので。

かなり詳しい方と、そうでもない方が混じっているが、それもまた良いのではないかと思っている。
ただ、昨日の段階では、やはり戸惑っておられた方もいたので、これからゆっくりやっていきたい。

会そのものは非常に熱気のある雰囲気で進んだ。

やや強引に参加者に役割を割り振らせてもらったのだが、楽しんでいただけるとありがたいとおもうし、わたしも楽しむ意識でやっていきたいとおもう。

参加頂いたみなさま、これからよろしくお願い致します。

2009年08月12日

東京大学ワークショップ部

東大ワークショップ部

クラブ活動というアプローチか・・

過払問題の現在

過払金狂想曲: 田舎弁護士の訟廷日誌(四国・愛媛)

フィクションだから書ける真実というのもあるなぁと。

2009年08月13日

NTTユーザ協会・もしもし検定指導者級研修

電話応対研修の一部として、メディエーション研修が取り入れられている。

愛媛和解支援センターには、プロのアナウンサーでマナーやカウンセリングの講師もされている方が活躍しているが、話をする、話を聴くプロはメディエータとして向いている人も多いかもしれない。

2009年08月14日

本:臨床家事調停学

飯田邦男(2009)『こころをつかむ臨床家事調停学―当事者の視点に立った家事調停の技法』(民事法研究会)

主任家裁調査官である著者から献本いただいた。ありがとうございます。
当ブログも読んでくださっているらしい。

あとがきを見ると、山口ADR研究会という家事調停委員向けの8時間の研修を元に作った本らしい。
次々成果をまとめられるのは能力だなぁと、我が身を省みてしまう。

以前のエントリー:本:実践家事調停学

以前のエントリーでは、「違和感」を書いた。
その「違和感」がなくなっているか、あるいは、別の「違和感」が出てくるか、詳しく読んで研究してみたいと思っている。

2009年08月15日

景気との戦争

東大経済学部教授の岩本康志氏のブログに、なんともすごいグラフが載っている。

景気との戦争 - 岩本康志のブログ - Yahoo!ブログ


しかし,上の図を見ると,誰でも第2次大戦時と比べたくなるだろう。リアルな戦争にこれだけの戦費をつぎ込めば厭戦感が支配的になるところだが,現在のわが国では一層の景気対策を求める主戦論者がまだ優勢のように見える。

これだけ赤字を垂れ流しても、働きたい人に仕事がないという状況はどういうことなんだろうかとおもう。
『無人島の十六人』とか、中島敦とか、戦中に出版された小説が面白いと最近感じていただけに、このグラフが持っているインパクトを感じる。

経由:城繁幸:本土決戦2009

2009年08月16日

和田直人「土地家屋調査士会型ADRと認証制度」

和田直人「土地家屋調査士会型ADRと認証制度」月刊土地家屋調査士No.606, 2007年7月号

ADR法を使って、独善の押しつけになりやすい士業団体ADRの手続を、利用者目線で見直せというもの。

最高裁裁判官国民審査のための参考資料

神奈川青年司法書士協議会・最高裁裁判官国民審査のための参考資料

あんどうゆきさん経由

福岡県弁護士会の医療ADR

福岡県弁護士会 医療過誤に仲裁制度 裁判せず迅速解決 10月導入、費用低額(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

2009年08月17日

調停トレーニングについて考えていること

わたしは、調停トレーニングについて
1.調停トレーニングは、現在のところ、未完成である。
2.しかし、多くの人にとって、受講する意義は大きいと思われる。
3.ただし、調停トレーニングを受講する以外にも、調停(メディエーション)を理解するためにできることはある。

という認識を持っている。

1.について。
米国等で発展してきたものを紹介されている段階である。日本では、2000年頃から本格的なトレーニングが始まっているが、まだまだその蓄積は浅い。日本における調停等の紛争解決の実践からの教訓が十分に反映されていると言えるほどのものではない。

2.について。
とはいえ、実際にトレーニングに参加された方の多くの感想は、想像していたよりもはるかに体系的で、有用性が実感できるというものである。これは、裁判所の調停委員や、弁護士会の和解あっせん候補者として活躍されている方の感想でもある。また、普通のサラリーマンであっても、社内の日常的な仕事に生かせるスキルが学べたという感想を持って下さる人も多い。日常生活のスキルとしてもおもしろいものがある。

3.について。
ただ、トレーニング受講は、時間もかかるし、お金もかかる。日本中どこでも実施されているというわけではないから、きっかけがないと踏み切れないだろう。
また、調停トレーニングだけが、調停を学ぶ方法ではない。レビン小林久子先生の書籍をはじめ、日本語で学べる本もいくつかある。論文レベルではもっと多い。

わたしは、調停については、スキルと制度の両面が重要であるが、一番大事なのはその理念、そして理念に基づく運動だとおもっている。
そして、理念は、最終的には、その人の言っていることではなく、その人の実際の行動からしか伝わらない。

2009年08月18日

富士通-IBM紛争における弁護士の働き方

富士通とIBMの紛争を書いた『雲を掴め』『雲の果てに』では、企業と弁護士の関係という意味でも興味深い。
富士通法務の著者が、米国の弁護士事務所に対する思いが深いのに対して、日本の弁護士に対してあまり記述がないというところが気になる。
『雲の果てに』の最終局面では、IBMとの和解を勧める自分たちの代理人弁護士に対して「臭う」と、不信感を描き、その和解案を蹴って、それ以上の仲裁の結論を得ている。こういう箇所もあるので、米国の弁護士事務所を完全に評価しているわけでは必ずしもないのだけれど、全体としてはよくやってもらえたというか、一緒に闘った仲間という評価を持っているように思える。
一方、日本の弁護士については、『雲の果てに』で描かれている仲裁の場面で、何人かが富士通チームに入っているようだが、基本的には富士通法務と米国事務所で協議して闘い方を決めているようで、影が薄い。『雲を掴め』では、序盤に顧問弁護士の助言が全く役に立たなかったというくだりが出てくる。

紛争を扱う場所がAAAであり、米国法の世界だから、米国の弁護士に頼むのは当然ということではある。しかしその点だけでなく、紛争に対する入り込み方が、企業ニーズに対して日本の弁護士の関与が浅すぎるという面があるかもしれない。
米国の弁護士はいちいち死闘にするから、企業の体力を奪うという面もあり、社会全体として日本の弁護士が米国弁護士事務所型にしていくべきという話ではないだろうとおもう。しかし、紛争への関与が深くならないかぎりは、企業法務としての市場は大きくならないだろう。
ビジネスとしてのADRとして、富士通-IBM紛争のような大規模なものを想定するとするなら、弁護士の紛争への関与度の深さも視野に入れないと間違ったことになるだろうと思った。

2009年08月19日

「調停」疑なきにしもあらず

兼子一教授発言: 戦争中に一般民事調停がつくられて、できるだけ広い範囲の事件を全部調停に持ち込めるようにした空気は非常にけっこうなことだという意見も考えられますが、私は、戦争中のあの意識というものには、国民は一致しなければいかぬのに国民同士でけんかするとは何ごとだ、全部簡単に片づけるから持って来いという意識が多分にあったので、あのときの考え方を今すぐ持ってこられては困ると思った。 P29 座談会、兼子一 他(1952)「「調停」をめぐる座談会 2 「調停」疑なきにしもあらず」『ジュリスト』20号 1952.10.15 26-31頁。(参加者:東大教授 兼子一、東京地裁判事 柳川真佐夫、弁護士  久米愛)

研究者の間では有名な座談会だが、実務家では読む人が少ないかも知れない。
「のびのびは 人の迷惑 国の損」という位置づけを捨てていない戦後調停は、戦中体制をひきずっていることは明らかであるが、戦後しばらくは、その点についての警戒心が強かったようである。
上記の兼子教授の発言はその代表的なものであるとおもわれる。

兼子一教授発言: これは一般に日本の裁判所のあり方にも関係するので、ことに第一審裁判所なんかについて日本の裁判所というのは、今まで裁判官が一人で全責任を負ってやる、人の調査に信頼しない、手足は使わないという考え方でしょう。訴訟の正式の審判は別にして非訟事件的なものにはある程度行政機関的運用を認めて、責任はなるほど裁判官が負うのだけれども相当調査官的なものを使って、それの調べたところなり、あるいはそれの意見によって裁判してもいいのだというふうなことが、もうちょっと機構として出て来ていいのじゃないかと思うのです。 P30

同じ座談会の、この発言もとても興味深い。

2009年08月20日

デメ研マニフェスト

デメ研・ニュース: 社説・デメ研マニフェスト ver.01 1.参加型社会に向けて

落語論

落語論 - 情報考学 Passion For The Future

日本語とジェンダー

ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE   : 日本語とジェンダー

特に、日本語を教える時、あるいは教材開発場面というのは、一方で規範的・伝統主義的・現実迎合的であらねばならず、一方で、それらを開発する人びとが意識的な人びとであるが故に、葛藤するところなのだろう。そこから、あらたな改革の方向性が生み出されてくることも期待したい。

2009年08月21日

東京ガールズ不動産

東京ガールズ不動産|女性限定シェアハウス,ルームシェア物件や女性向け賃貸物件を紹介しています。

女性専用の不動産案内サイトで、ルームシェアを売りにしているらしい。

NYなどでは、当たり前に行われているルームシェアだが、東京でも・・ということらしい。

ところで、ルームシェアの生活は、メディエーションニーズがとても高いのではないかと思われる。わたし自身、中学生の頃に寮生活をしていたが、紛争に次ぐ紛争であった。(もちろん、というか、わたしが悪かったことも多かった・・)

2009年08月22日

国民生活センターのADR実施状況

国民生活センターADRの実施状況と結果概要について(報道発表資料)_国民生活センター

ADR:国民生活センター、仲介開始4カ月 裁判より早い和解も - 毎日jp(毎日新聞)

痛いテレビ : Yahoo!が国民生活センターの呼び出しを無視して叱られる

Yahooが名指しの対象になった背景を邪推してみると、
・法務部がしっかりしている上での応諾拒否なので確信犯的だったから
・古くはパラソル部隊などの活動が消センの苦情として集まっていたことなどの積年の恨み
あたりかな。あくまで、邪推ですけど。

理論的には、ADR自身が権力的になることを指向する方向と、ADRは非権力的手続に徹して、裁判や行政上の審査権限などの権力的な手続との連携を指向する方向が考えられる。
わたしは、後者の場合のほうが有効なのではないかと基本的に考えている。しかも、全面的な連続ではなく、しかるべき敷居を作った上での抑制的な連携のほうがかえって機能するのではないかと考えている。

消費者庁は道州レベルでと、以前に書いたけれど、消費者行政に地方自治の観点を入れて、様々な試行錯誤を許容できる仕組み作りが大事だと思う。

2009年08月23日

長野県行政書士会で調停技法トレーニング

8月22日に長野県行政書士会で、調停技法トレーニングで講師をさせていただいた。(1日、6時間、参加者24名)

長野県行政書士会では、単に研修を受けるだけでなく、試験をして適性があるもの、理解しているものだけを手続候補者にしているそうだ。(東京都行政書士会もそうだが・・)
すでに昨年、調停技法トレーニングを受け、試験に合格したものを対象とする講座だった。

目的意識確認
調停ロールプレイ1
調停デモ(フィッシュボール)
傾聴ワーク
調停ロールプレイ2

という構成。

2009年08月24日

会員外の参加を認めるトレーニングの意義

士業団体で調停トレーニングを企画する方と打合せをすることが多いが、その士業団体に限らず参加者を募集した方がいいですよと、いつも言っている。今回の全青司のトレーニングでは、それがかなって、誰でも参加できるようになった。(追記:どうもわたしが誤解していたようです。実際には、最初からではなく、二次募集があった場合に、募集になるということのようです。失礼いたしました。)愛媛和解支援センターでは、トレーニングの機会を、機関広報の機会とも捉えて広く告知している。

士業団体にとって、自分たちの貴重な予算を使うのだから、会員に参加を制限したいというのは、当然の発想である。しかし、参加者を外から求めるのは、以下のようなメリットがある。

1.緊張感を持ってトレーニングができる

外からの目があれば、横着な方に流れにくくなる。知り合い同士でなれ合いの参加になると、雑になるばかりで研修効果が低くなる。ベテランのトンチンカンな発言などで振り回されにくくなる効果もでる。

2.外部からの期待が理解できる

同じ士業団体内だけで議論をしていても、本音では、自分のお客さんには裁判所の民事調停を勧めるよな、などという感想を持ちつつ、表面的に、これだけの資源を投入しているかぎりなんとか当該団体のビジネスチャンス拡大につなげなければならないといった、概念的なレベルにとどまった、利用者不在の、士業団体内の論理に終始しがちである。
外部の参加者が持っている期待は、一般利用者のそれに近いものがあり、具体的な組織設計イメージにつながる意見が得られる。結局は、それが機関のアイデンティティにつながってくる。

3.機関の広報効果

研修企画をする側は、未熟な姿を見せたら信頼を失うと考えるかも知れないが、そんなことはない。謙虚に献身的に学んでいる姿を見ると、あるいは、組織を外部に開かれたものにしようとする誠実な姿を見ると、自分が困ったときにもここに持ち込もうという気持ちが出てくる。機関を立ち上げた後には、申立件数をどうやって確保するかの問題が出てくるが、漠然とした認知よりも、深いレベルでの応援団が増えないと事件の持ち込みにはつながらない。

4.人数確保

参加人数を確保して、研修会の頻度を保つことができる。

上記のように、トレーニングを、会員に参加を制限しないというのは、当該団体にとって大きな意味がある。
まずは、親しい団体との共催を考えても良いだろうし、近隣の重要な団体(例えば、自治体)への呼びかけを考えても良いだろう。

確かに、他の分野の研修会などではこのような発想はしないだろうとおもう。
上記4点示したように、ADRの研修には、知識だけを会内で共有すればよいというものとは違う意義がある。
これをADRについて知識がなかったり、印象だけで懐疑的な態度を持っている(それが悪いことではないが・・)役職者にきちんと説明して理解を求めるのは大変だろうとは思うのだが・・

2009年08月25日

あなたを苦しめているものは何ですか

川本隆史(2008)『共生から (双書 哲学塾)』(岩波書店)

倫理学の入門書。
観光案内的、ではあるのだけれど、とても勉強になった。

竹内敏晴、井上達夫、石原吉郎、ギリガン、最首悟、シモーヌ・ヴェイユなどの言葉を紹介しつつ、講義を進めるというスタイル。

「あなたを苦しめているものは何ですか」という問いを問えるものが、聖杯を得る資格を持つという伝説があるらしい。(P98)

2009年08月26日

アサーションの教育方法について

『アサーティブに断ろう』の授業記録と分析

というのを読んでいて、とても違和感をもった。
教材を公開する姿勢はすばらしいし、WEBサイトを見る限り、かなりまじめなよい先生のようだ。
しかし、ここで伝えている「理由を言って断る」練習というのは、はっきり言ってアサーション思想の矮小化ではないだろうか。

しぶしぶなわとびを貸してしまう「行動1」を選択してもかまわないし。
攻撃的な「行動2」を取る”気概”みたいなのが大事になるときだってあるだろうとおもう。
感じが悪いかも知れないけど、理由を言わずに断る自由だってあるはずだ。

行動が選択可能であること、解釈は相手に委ねられること、自分の選択は自分が引き受ける必要があること、ということが大切なのである。「理由を言って断る」という技法を練習するだけでアサーションを学習しているというのはいかがなものかとおもう。

子ども相手にはここまで明確に絞り込まないと、教育していることにならないということかもしれないが。

この授業の中で一番アサーティブなのは、この子↓だとおもう。

T23:はい、今の行動2と行動3、どちらがいいと思いましたか?
C21:行動3(大多数)
C22:どっちもやだ(一人)。
T24:理由は?
C23:どっちも貸してくれないから、やだ。

TOSSランドからのリンク。

2009年08月27日

裁判所の調停トレーニングに採用される道

どうやったら日本の裁判所の調停に、調停トレーニングが入るかを考えている。
アメリカだったら、調停トレーニングを入れた裁判所と入れない裁判所で分けて効果を測定するといったことができそうだが、日本ではなかなか、そういう正攻法なアプローチがとれるかどうかがわからない。
いくつか自主的な勉強会はあるようだし、そういうところで試しに体験してもらうというのがよいかもしれないのだが、なかなか出会いがない。

障害として、①トレーニングのコストと、②実務との整合の問題がある。

①については、トレーナーが無料でやりますと言えば、会場費などの問題はあるにしても、かなりの程度解消されるだろう。
問題は、②である。

一人、あるいは一部のグループだけで北米型の調停トレーニングを受講しても、相調停人や裁判官、調査官、書記官らと考えていることが違えば、やりづらいだろう。
別席で進めるかとかだけでなく、当事者に何から質問していくかという時点でも変わってくる可能性があるので、かなりギクシャクしてしまうかもしれない。
トレーニングを受けたことでかえってやりにくくなるようなら本末転倒だということで、結局普及しないのかも知れない。
しかし、それは実はトレーニングの質の問題で、扱う内容の順序や方法を見直し、利用しやすい体系として構成すれば解決できる可能性もある。

わたしの調停トレーニングに出て下さった調停委員の方からは、おおむね「意味があった」という評価をして下さっている。(単に、悪い評価が耳に入ってないだけという可能性はあるが)
その感触と、実際に、調停委員の協会や裁判所の中で調停トレーニングという話が出てこないという実態にギャップがあると感じている。
どの辺がポイントなのだろうか。

2009年08月28日

『対話する力』『コミュニケーション力を引き出す』

『対話する力』『コミュニケーション力を引き出す』読んだ。 - クリッピングとメモ

辛口な紹介ながら、読むべきだなと思わされた。

2009年08月29日

仲裁人協会で調停における実務上の諸問題研究

実務に関与している学者と、学者(的)活動もしている実務家の数名が集まって、標記の研究会を行っている。
まだ立ち上がったばかりだが、昨日(8月28日)に二度目の会合があった。
弁護士会、司法書士会、土地家屋調査士会、民事調停(高裁)、建設工事紛争審査会の調停実務を串刺し的に見ようという意欲的な試みである。

昨日の会合は非常に盛り上がったのだが、問題は、メンバーが忙しすぎることだ・・これからどう進めるかを考えないと。

2009年08月30日

書籍紹介「誤解だらけのうつ治療」

ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE   : 誤解だらけのうつ治療

離婚後の面接交渉を支援するサービス

NPOびじっと 離婚と子ども問題支援センター

債務整理という大市場出現きっかけをつくった司法書士

週刊法律新聞 (1820号/法律新聞社) : 一日一冊! * 弁護士の読書日記 *

司法書士嫌いの弁護士のブログでの、司法書士の記事批判。

2009年08月31日

フェアであることを目指さない

企業法務について:僕が7年弱の結婚生活で学んだ、とても大切なこと - livedoor Blog(ブログ)

夫婦は究極のワークショップという言葉は、中野民夫さんの『ワークショップ』(岩波新書、2001年、223頁)に出てくるのだけれど、「フェアであることを目指さない」という指針は面白いなと思う。

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