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制度の違いと文化の違いの混同

静岡で土地家屋調査士をしておられる宮澤正規氏がコメントを書いてくださったので、少し反応してみたい。

土地家屋調査士ADRに関する雑感(Ⅱ)

裁判所の民事調停がある程度使われ、士業団体その他の民間調停が使われないのはなぜかという問題で、「日本人のお上に頼ろうとする意識」に理由を求めておられる。
わたしはこの点には同意しない。

法意識の違いが制度利用の違いの原因となっているという説明は、現在、学問的には否定されつつあると思われる。(例えば、河合隼雄,加藤雅信(2003)『人間の心と法』有斐閣、に示されている日中米の法意識の比較調査では、法意識そのものの違いに意外な結果が示されている。)
少なくとも、証明はされていないということは言っておきたい。

わたしは利用者の意識の問題(または文化の問題)と、民間調停に財政的基盤がないという制度の問題を混同すべきでないと思っている。
米国の「民間調停」には、会社経営のようなスタイルでサービスとして調停を行うビジネス調停と、地域へのボランティア活動を基調とするコミュニティ調停がある。コミュニティ調停については、ビジネスとして成り立っておらず、裁判所その他の補助金で運営されている。米国のコミュニティ調停を「活発である」と見るか「停滞している」と見るかは立場によって異なるが、少なくとも件数ベースで日本の民間調停と比較すれば現在でも非常に多数の実施がある。米国のコミュニティ調停が利用され、日本の士業団体調停が利用されないのは、「お上意識」などではなく、料金体系、財政基盤が決定的なはずだ。(最近は、市民の認知度すら大した問題ではなく、むしろ士業専門家の理解と、機関運営者の意欲・能力の問題なのではないかと思うようになってきた。)

司法調停と民間調停の比較についても論文を準備しているのでそちらで書いてみたい。
(その論文では、司法調停の良さを正面から取りあげる。)

しかし、ADRに取り組んでいる人が、自分の言葉で率直に現状を語っていくのは良いことだと思う。
また、民間調停に取り組んでいく人が、司法調停の良さを評価していくことも大事だと思う。
宮澤さま、ありがとうございました。

コメント (2)

入江先生
私の拙い感想にご指摘をいただき誠にありがとうございました。今後も先生のブログを拝見させていただき研鑚していきたいと思います。

ヱ:

お礼を言うべきはこちらのほうです。本当にありがとうございます。

有力な学者も、「制度と文化の混同」をしているとわたしは思っています。ですから、わたしの方がまちがいという可能性ももちろんあります。

現時点で、わたしはこう考えるということをお互いに率直に話し合うのが大事だと思っているのです。

どうしても文章が偉そうになってしまうのは、わたしの人徳(あるいは、学問的な説得力)がないからなので、ご寛容いただければ幸いです。

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2009年08月07日 08:12に投稿されたエントリーのページです。

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