« 「調停技法勉強会・募集締切」 | メイン | 全青司ADR情報交換会 »

川島武宜:軽業のような調停

川島武宜と調停というのも、論じるのが難しい。
・『日本人の法意識』の著者
・調停実務家
・穂積重遠の生徒(あるいは、歌舞伎鑑賞仲間)
・建設工事紛争審査会制度の設計者
・原後山治、廣田尚久の先生
といった顔がある。

 私はかつて数年間調停委員をやりまして、このことをしみじみと痛感したのであります。「それは調停下手だからだろう」と言われるかもしれません。私は決して上手であったとは思いません。しかし、どんなに条理を尽して説明しても、その人の身分や名誉に訴えても、「正しい解決」とか「正義」ということを理解しない人、要するに経済的損得しか考えない人は、「正しい調停」に応じてくれません。こういう例がございました。これは密輸入をやっていた人の離婚事件でしたが、「金がないから出せない」という一点張りで、財産分与、慰謝料の支払いに応じない。ところが、話し合いの途中で、その人の取引銀行がどこだということをチラッと耳にしたんです。そこで、その銀行の某支店に家庭裁判所が公式にその人の口座の有無と預金残高とを問い合わせたところ、相当の預金があることがわかりました。そこで、その次の調停期日に、「あなたは金が全然ないと言ったが、××銀行のあなたの口座には現に×××万円の預金があるではないか」と言ったんです。そうしたら、その人は非常にあわてました。それは密輸でもうけた秘密の金だったからでしょう。「それが知れたら大変なことになる。仰せの金額は直ちに払います」と言って払ってくれまして、調停が成立しました。これは、全くの「怪我の功名」でありますが、そういう軽業(かるわざ)みたいなことをやらなければ、調停が成立しないこともあるのです。こういうことは、皆様も恐らくご経験がおありだと思います。十分に金を持っていることがわかっていても出さない当事者は、いくらでもあるわけです。そういう人間を相手にして調停を成り立たせようとすると、調停委員の方は無原則に譲歩することを余儀なくされてしまいます。  そういう譲歩をしてまで調停を成り立たせることが正義の観念に照らして正しいとお思いになっている方は、一人もいないだろうと私は思います。なぜそういうことをしなければならないのか、そこが問題だと私は思うんです。それに対する手っ取り早い答えは、今日、調停の場で調停委員がとりうる手段方法は結局説得しかないということに尽きるでしょう。もっとも、うっかり「説得」などと言いますと叱られるでしょう。カウンセリングの専門家は、調停で「説得」などと考えるのは間違っているという批判をしておられる、と聞いています。「説得」ではなくて、自発的にそう思うようにするカウンセリングのテクニックが必要であり有用であることについて、私はいささかも異論をとなえるものではありません。そうして、カウンセリングの「スーパー名人」なら、どんな因業な人間でも考えを変えさせることができるのかもしれません。私もそういう名人の軽業的な例を知っています。しかし、すべての調停委員が「スーパー名人」的な離れ業をして「力の支配」を排除できるというようなことは、現実には不可能なことでしょう。少なくとも問題を現実的に考えるかぎり、そういう超現実的理想状況を前提して今日の調停--特に家事調停--の問題を考えることは許されないと思います。現実はどうかと言いますと、全く非常識な額の支払で、財産分与の調停をまとめるケースは、今日相当の数にのぼっています。稀には大きな額の財産分与もありますが、大ていはあまりに小額です。今日の家裁の調停で認められている財産分与の額の大部分を、客観的に正しいと思っておられる方があったら、それは今日の国民の大部分の考えとはかけ離れている、ということを私は力説したいのです。しかし、私はそういう調停が多いことを「非難」しているのではありません。そういう調停をせざるを得ない、因業なことを主張する当事者を抑えることができない、調停を成立させようとすればあの金額でもやむを得ないのだ、という事実を率直に認識する必要があると思うのです。言い換えれば、現実には、調停においては、力の優位に立つ者の「力の支配」が存在しているということ、説得とかカウンセリングという手段の果たしうる能力には事実上限界があるということは、明らかであります。さらに、この現実は、裁判所における・裁判官を調停委員会の一員とする調停としては、本来の理想ないし趣旨に反する、ということを認めることが必要であると、私は考えるのであります。 P380-381

初出 『ケース研究』158号1976年
川島武宜(1982)「調停における当事者の力関係」『川島武宜著作集 第三巻 法社会学』岩波書店

・職権探知のあり方
・説得とカウンセリング
・コミュニケーションスキルの限界
など、興味深い論点が出てくる。

About

2009年08月08日 09:25に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「調停技法勉強会・募集締切」」です。

次の投稿は「全青司ADR情報交換会」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type