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2009年11月 アーカイブ

2009年11月01日

千葉司法書士会・基礎編

10/31-11/1の二日間。10:00-17:30。26名の参加。

年配の方が多く、女性が少ないという人数性別構成だった。
それでというわけでもないが、ゆっくりと進めるという方針でさせていただいた。

最後まで熱心に参加いただけてよかった。
最近は、当初予定の計画にこだわらず、様子を見て進めるようにしている。

千葉司法書士会の研修担当の方は、さまざまな調停トレーニングを体験して知っておられる方だけに、依頼があったこと自体、光栄だと思っている。

ところで、調停技法トレーニングを特に士業の単位会で行うような場合に、トレーナーとしては二日間は少なすぎる。そんなに簡単に人は変化しない。
しかし、団体内では二日間13時間というのは他の研修などに比べると突出して多く、拘束が長すぎると捉えられるようだ。
このあたりのギャップ感がある。

千葉司法書士会:裁判所を使わずに話し合いでトラブルを解決したい

2009年11月03日

本:「出会う」ということ

竹内敏晴(2009)『「出会う」ということ』(藤原書店)

あとがきが書かれたのが今年の9月5日。亡くなったのが9月7日。

竹内さんのレッスンでは、「したくないことはしない」が、「したくないことはしなくていいなんていういい加減な場ではない」(P181)。
禅問答みたいだが、しかし、自己決定ということには、そういう厳しさがある。

(引用注:出会いのレッスンの例として) ・・どんなことが起きるかと言いますと、中年の男の人と女の人でやった例ですが、男の人が歩き始める。振り向いて歩き始めた途端に下を向いて、キョロキョロなにかを探すみたいに歩いていく。周りを全く見ない、下だけ。あっち向いたり、こっち向いたりしながらずーっと歩いていく。もう一方の女の人は振り向いたけれども、どうしたらいいかわからない。男の人がどんどん通りすぎて行ってしまうんで、その前に立ちふさがった。男はびっくりして、よけようとしたけれども、女はまた男の前に立ちふさがる。男は怒って押しのけようとしたんで、取っ組み合いみたいな形になっていった。男から言いますと、自分が行こうとしたのをわけもわからず邪魔された。なんでそんなことをするんだって腹を立てた。被害者意識みたいものにどんどん閉じこもっていく。女の人に聞いてみたら、向かい合って、歩いていこうとしたら、向こうから人が来る、こっちに気がついて、あいつと付き合うのはごめんこうむるというんで、それて行ってしまうならわかるけれども、初めから目もくれず何も存在しないみたいに歩いてくるから、前に立って、わたしここにいるわよということを示したかったという。 ・・ それをたまたま、男の人のつれあいの方が見ていまして、十何年の夫婦生活を一目で目の前で見たって、涙を流した。こちらは笑っていいのか、同情していいのか、といったようなことがあった。 P31-32
三〇~四〇代の、子どもの問題に子どもと一緒になって取り組もうと一生懸命になっている人たちは、今ひどく孤立しているという話がある。いろいろ自分なりに考えて、こうではないでしょうかというような意見を上司に言おうとすると、管理職の方はそういう疑問を提出されたこと自体が自分に対する批判だと受けとめる。批判がいくつか出て来たということ自体自分の上司に、あるいはもっと上の教育委員会なりなんなりに対してマイナス点になるので、批判が出たということ自体を封じようとする。それに閉口して、では若い教師たちに意見を尋ねてみると、若い連中はなんでわざわざ意見を持ち出すのかわからない。というわけで、三〇代半ばから五〇代にかかるぐらいの教師たち、今まで中心の働き手だった人々が次々に孤立して、鬱になってひきこもったりやる気がなくなって、やめてしまったりというような状況がある。P167

2009年11月04日

合意形成手法の企業利用

地方でコンサルタント企業を経営している方から、合意形成手法におけるステークホルダ分析で使う「匿名インタビュー」が、企業向けのサービスとして機能しているという話を聞いた。

インタビューで、誰が言っているかは秘匿し、何が問題かを抽出する。
発言者の秘匿については、契約を行ってから行うという。

企業の再生や、合併後の調整などの場面で、計画づくりの前段の作業として極めて有効なのだそうだ。

こういう仕事のインタビュアーは、良い聴き手でかつ、倫理的に信用できる人であることが必要になる。

2009年11月05日

堀井憲一郎『落語論』

堀井憲一郎(2009)『落語論』 (講談社現代新書)

落語は弱い芸である。落語の特徴は、その「弱さ」から客への融和性を高めるという点にある(P62)。
落語は、自分が突出した存在であることを確認するものでもある。「凡人であることを受け入れる」ものだ(P210)。

ずんずん調査の堀井氏の落語論。洒脱さよりも、なんとなく気詰まりなまでにまじめに論じているところが気になるが。

2009年11月06日

不逞老人

鶴見俊輔(2009)『不逞老人』(河出書房)

NHKのETV特集の番組を作ったときに併せて制作したインタビュー本。インタビューアーは黒川創。
以前のエントリー:アンラーン

私は国家主権の垣根を、区役所並みに低くすべきだと思っている。そもそも根本の単位は、民俗学でいう「もやい」だと思うんだよね。つまり、近所に住んでいる一〇人や一〇〇人のお互いに顔のわかる人たちの親しみが、すべてのつながりのもとになっているということです。私が考えているアナキズムというのは、その程度のことなんだ。でも、区役所程度の制度は必要でしょう。世界政府という考え方についても、あらゆる政府が全部廃止されるべきだとは思えない。「もやい」程度のものは、どんなところでも実際に機能しているんだから。たとえば、山の中の五、六軒の家どうしのつながりでも、その互いの関係を通してやってきたでしょう。その意味では、谷川雁が「日本が持続してきた偉大なものは村だ」と言ったことは卓見だね。それに対して、あるとき東大法学部の川島武宜が、教授会で談合によって政治が行われていることが嫌になって「ここは村か!」と言ったという話がある。その際に川島武宜が言っている「村」への評価は近代的に見えるけれども、私からすると、谷川雁の認識の方が深いと思うね。 P157-158

2009年11月07日

机を買った

無印良品:タモ材デスク
を買った。

シンプルでよい。
これを買う前は、ファイリングの棚を机代わりにしていたのだが、足が入らないので使いにくかった。
それでコンパクトな机を買いたいと長らく思っていたがやっと替えた。

2009年11月08日

司法アクセス学会・学術大会

司法アクセス学会の大会に出席した。
岩瀬徹氏による法テラスの報告、中川英彦先生の話、パネルディスカッションという構成だった。
パネルディスカッションでも法テラスからの出席者もいて、また、関学の守屋先生からも報告があった。

中川英彦先生は、住友商事出身で京大教授になった方。弁護士数問題で、弁護士から評判の悪い「日弁連市民会議」のメンバーでもある。
利用者から見たアメリカの弁護士と日本の弁護士の違いを極めて率直に話していた。
日本の弁護士は、
・偉そう・抑圧的な印象を与える
・専門性が高くなく、金太郎飴的
・忙しそうにしている
・(企業から見ると)報酬は安い
・使い勝手が悪い
ということだった。
「フル規格の法律専門家」でなければいけないという発想が法曹界には強いようだが、利用者からすれば、必ずしもそういう人を求めているわけではない。
アメリカの弁護士は、ユーザー指向が強く、決して忙しいとは言わない。
使い勝手はよく、頼りがいもある。しかし、報酬がきわめて高いのと、玉石混淆。


法テラスの認知度はまだ4人に1人程度であるそうだ。
法テラスでは、インターネット広告に思い切って資金を投入したら電話の問合せが増えたという。
かなり相談が増えているという。

法テラスへの苦情の紹介もしていた。
一般的すぎる助言で役に立たないという話も多いようだ。
法テラス側の自覚としては、対応者個人の資質に頼っていて、対応者によって能力のばらつきが大きく、イメージされている情報提供まで行かないものも多いと考えているということだった。
研修を充実化させようという話があるらしい。
FAQは約3500項目になっているそうだ。(その一部がWEBで一般公開)

わたしは会場から、以下の趣旨の質問をした。
「米国では消費者保護行政を行う州司法長官(State Attoney General)は、トップが選挙で選ばれている。彼らは、地方毎に限られたりソースを思い切って配分している。法テラスからの話は、国全体の話が中心で、地方発信の話が少ない。現実には、スタッフ弁護士など現場で創意工夫をしている人がいるとおもうが、そういうものを支える地方分権の発想や議論はないのか?」

それに対する答えは、「極めて難しい質問だ」と率直に答えていただいた後、「法テラスの地方所長」の仕事がそれに近く、一部の地方での成功例を全国に拡げたという話も少しずつ出て来ているということだった。

わたしの印象では、現在の法テラスは第一世代なので、基本的に意欲もあって創意工夫もそれぞれしている感じがする。しかし、世代交代が進むと、どんどん前例踏襲的にならざるを得ないだろうと感じる。その時に、現場での工夫を後押しする制度があるか、国一律という建前の元に抑圧してしまうかは大きな違いが出てくるだろうと思う。

法テラスから派遣村に協力がなかったというおしかりを日弁連から受けたという話もしていたが、法テラス全体で判断するのか、地域ごとに判断できるのかによって、その動き方は変わってくるはずだ。

総合法律支援法を見ていたら、機関の連携強化をうたっている、以下の条文もある。
機関連携は地方でなければできないとおもう。

総合法律支援法 30条6号

国、地方公共団体、弁護士会、日本弁護士連合会及び隣接法律専門職者団体、弁護士、弁護士法人及び隣接法律専門職者、裁判外紛争解決手続を行う者、被害者等の援助を行う団体その他の者並びに高齢者又は障害者の援助を行う団体その他の関係する者の間における連携の確保及び強化を図ること。

守屋先生は岡山市の取り組みを紹介していた。安心・安全のまちづくりという防犯・防災の活動の延長に権利擁護を視野に入れて活動する話が進んでいるのだそうだ。

岡山市 安全・安心ネットワーク紹介ページ

2009年11月09日

ADR法認証関係

ADR法認証機関一覧のURLが変わっていた。現在は、47機関。

かいけつサポート一覧|法律にかかわる様々なトラブルの相談・話し合いによる解決のサポートのかいけつサポート

北海道旭川で、「北海道民事紛争解決センター」と呼ばれる機関が認証を受けている。
Web検索をしてみると、行政書士の方の事務所に行き当たる。

行政書士高橋正利事務所

2009年11月10日

臨機応答・変問自在

森博嗣(2001)『臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生』 (集英社新書)

N大学を辞める前に行っていた大学の講義でのやりとりの記録。
学生に質問させることで出席をとり、その質問に先生が答えたプリントを配付するというやり方をしていたそうだ。質問内容で理解度をチェックできるということで、質問の内容で成績をつけていたらしい。その中でも珍問を選んだもの。

Q:今日は久しぶりに頭を使いました。他にも面白そうな問題があったら教えて下さい。 ★もう少し頭を使って生きて下さい。問題は山のようにある。問題を見つけることが一番の問題です。人は、餌を待っている飼い犬ではありません。 P129

2009年11月11日

サイエンティスト・プラクティショナー

裁判所 | 明日の裁判所を考える懇談会(第4回)協議内容


(平木委員)
一般の人に入ってもらうことによる情報公開というのは,どこか人騙しみたいなところがある。カウンセラーとか臨床家は,サイエンティスト・プラクティショナーでなければならないという大きな目標があり,考え方が重視されている。これまでは,何もかも1人の人間ではできないということで,リサーチを分担してくれる人が他にいて,実践家は実践さえやっていればよいという考え方であった。しかし,今は,サイエンティストであると同時にプラクティショナーであるということを目指すべきではないかという,そんな考え方が生まれてきている。プラクティショナーがきちんとリサーチをやる必要がある内容のものもある。実践家の中で,もう少し研究とか,自分たちが判断できる材料や方法といったものを作ってもらいたい。現場を知っているからこそ,ケースにもとづいたリサーチができる。そういう意味で,外から人を入れればよいということだけではなく,専門家の専門性の拡大も必要だろう。

中野良顯「応用行動分析とサイエンティスト・プラクティショナー・モデル」CiNii

2009年11月12日

あなた、それでも裁判官?

中村久瑠美 (2009)『あなた、それでも裁判官?』(暮らしの手帖社)

刺激的なタイトルの本。

ご自身の若い頃のDV被害と離婚の経験を語っている。
1970年代の話なので、DVなどという言葉はなく、しかも夫は裁判官で、という話。

筆者自身は、文学部出身だが、離婚の後、子どもを抱えて司法試験に挑戦し、弁護士になっている。

自分のこともできるだけ公平に書こうとされており(だから30年以上経たないと書けなかったのかもしれない)、読みやすい。

抜群に面白かった。

中村久瑠美法律事務所

2009年11月13日

福井康太先生のブログ

阪大の福井康太先生が、オーストラリアの法的サービスとしてのプロボノ文化を観察されている。

メルボルン市内のコミュニティーリーガルセンターを訪問しました: 法理論を語る

2009年11月14日

プロボノについて

福井康太先生が、オーストラリアで、大手法律事務所の業務の2割以上が公益関係業務だということで、「耳を疑いたくなった」と書いておられる。
これ

日本で、「ボランティア」と言えば、「お人好し」「ものずき」「金持ちの道楽」あるいは、「左翼」・・というイメージかもしれない。

しかし、欧米ではもう少し違う位置づけのように感じる。
オバマも公益系の法律事務所にいた時期があったようだが、一般に、自分のキャリアパスを形成するために経験値を積むための場という、ある種の利己的動機が正面から位置づけられているところが違うように思う。

最低限のハコだけ税金等で準備されている質素な場所で、しかし、目線が高い人ばかりで仕事をするので、効率的に、筋肉質な仕事の進め方をしている。したがって、経験値としても良いものが得られる・・そういうイメージだ。

他方、日本の場合、ハコづくりの最初から全部持ちだしでやることが求められる。
身銭を切りながらハコを作っていく過程で、メンバー間の相互不信が募り、互いに嫌な思いをして、リーダーだけが孤立していく・・結果として、経験値が積める段階にたどり着かない・・

ただ、もやいの湯浅氏とか、ライフリンクの清水氏とかのように、「形を作れるタイプ」の成功例が出てきているし、役所などのエスタブリッシュメントの側にしてもそういう相手を見つけて互いに協力するのは有益だという認識が広がりつつあるように思う。

シアワセ最大化~新しい働き方「プロボノ」とは?:日経ビジネスオンライン

2009年11月15日

アジア法学会「アジア諸国のADRの実情と課題」

アジア法学会でアジアのADRについてのシンポジウムがあった。

太田勝造先生が、基調講演で、小島武司先生の正義のプラネタリーシステムに対抗して、交渉を中心にするプラネタリーシステムを提案していた。
ADRは「取引コスト」を削減する、効率化推進者としての位置づけを話しておられたが、ADRが本当に効率的かということは検証が必要だろうと思う。特に、日本で件数が極端に少ないADR機関が事件処理をするときに、効率的でない可能性が高いのではないか。

いくつかの報告があったのだが、わたしが関心を持ったのは、中国の人民調停という制度だった。
全国津々浦々にあって、調停人が500万人位いて、年間実施件数が500万件位あるらしい。(推計値は、人によりデータが違うらしいが、いずれにしても非常に大きな数字)
裁判所の外側での手続であるそうなのだが、1950年代頃から続いているという話だった。
いままで中国のADRについてはあまり関心を持っていなかったのだが。
その人民調停について、統一的な法制化作業も進んでいるらしい。
法アクセス学会大会の冒頭で、小島武司先生が、韓国と中国のADRの進展が非常に急速であるということをおっしゃっていたのだが、この人民調停の改革もそのひとつなのかなと思いながら聞いていた。

中国の調停制度

2009年11月16日

ADRのゼロ・ワン問題

という言葉が流行らないだろうか。

法律家のゼロワン問題とは、司法過疎の問題を言う。
日弁連-弁護士過疎・偏在って何?

ADRのゼロワン問題とは、ADRの手続はあるが、年間に1件か0件の実績しかないという機関が乱立していることを言う。(と、わたしが思いついた。)

申立はあったが、応諾しなかったとか、相談を受けているうちに解決したとか、そういうこともあるだろうがそれ以前の問題も多い。ADR機関自身が、必ずしも利用されることを前提としていないという驚くべき実態がある。宿泊客が来ると驚くホテルのようなもので、かなり不思議な存在だが、そういうものがたくさんある。

実際には、ADR機関を作るインセンティブを持つ人はいても、紛争解決をするインセンティブを持つ人はほとんどいない。ADR法立法でこの問題について、大きな変化を作ることができなかった。
ここを見直せるかどうかが問題だと思うのだが。

2009年11月17日

調停技法勉強会 「ピア・メディエーション」

昨日は、調停技法勉強会で、「ピア・メディエーション」についての報告だった。

臨床心理の勉強をして中学校で相談員をしているOさんの話を中心に議論をした。

学校現場で生徒同士が喧嘩した後の一般的な「処理」の流れを寸劇でやっていただいた。
「謝罪指導」という言葉もあるらしく、問題の本質の深さまで入っていくというよりは、表面的に両方に謝らせるという行動をとりやすいということがよくわかる。しかも、教師は忙しく、いちいち入り込めないし、入り込みすぎて責任を追及されるよりはそのほうがよいという意識もある。この教師の意識と、裁判所の調停委員の意識が、もしかしたら近いのかもとおもった。

社会心理には紛争・葛藤という概念はあるが、臨床心理にはその概念自体がなく、個人の内的世界しかないという話もあり興味深かった。認知行動療法における問題解決とか、コミュニティ心理学や家族療法におけるシステムへの働きかけという概念と、メディエーションの問題解決の関係については、もっと議論を深めたい気がした。

士業は元より、臨床心理士、医者などもいて、まさに多士済々だ。わたし自身がとても勉強になる。士業団体でも内部でのリーダー格の方が多く参加している。とてもぜいたくな環境だ。

その後は、Oさんの相談事例を元に、メディエーション可能性についてグループで話し合った。難しい事例が多く、メディエーションに向く場面を見つけづらい。しかし、メディエーションが有用でないという話でなく、メディエーションマインドは有効だとおもえる。メディエーションマインドの結果として、メディエーションという手続を選ばないということもあっていい。

発表者ご本人はえらく反省していらっしゃったようだが、非常に面白い内容の報告だった。

ところで、本日、わたしは、40歳になった。

2009年11月18日

国センADR報道発表

半年で63件の申立。

8件の事例が公表されている。

国民生活センターADRの実施状況と結果概要(平成21年9月~10月)について(報道発表資料)_国民生活センター

2009年11月19日

正統的周辺参加

中原淳, 金井壽宏(2009)『 リフレクティブ・マネジャー』 (光文社新書)

読み終わった。
経営学と教育学の対話ということが強調されていたが、むしろ世代の違いのほうからくる実感の差のところが面白かった。
金井先生の修羅場(ハードシップ)は買ってでもという話に、中原先生は、我々の世代は毎日が修羅場で、こういうことを言われるのは・・と抵抗を示している。
わたしは若くはないが、この点は、若い世代の見方に共感するなぁ・・

「正統的周辺参加」という概念があるということを知った。
仕立て職人が、ボタン付けから手伝っていき、そのうち服全体を仕立てられるようになるという話だ。
昔からどこでもある話なのだが、このあたりが、社会の中で傷んでいる気がする。

ADRの文脈でも、「実践と勉強の場であるコミュニティ(=実践共同体)」と言えるような場がなかなかなく、個人の調停者のやりっぱなしでしかないという問題がある。
司法調停でむしろ実務研修重視という流れが少しずつ大きくなっているようだが、ADR政策として、ここをいかに養成するかということが問われているとおもう。

詳細な読書メモとしては、
せきねまさひろぐ
など。
ここまで書かれていると読んだ気になってしまうかも。

2009年11月20日

Google Scholarで米国の判例検索

Google、米国の判例検索を「Google Scholar」で開始 -INTERNET Watch

レビュー:Google Scholarの判例検索がすごい! - インターネット大好き小池さんのブログ


2009年11月21日

調停ビデオ撮影

セミドキュメンタリー方式で調停ビデオを撮影した。

当事者役は役者さんにして、調停人は、有志を募って行った。
調停人役は司法書士二人と行政書士一人(それぞれ有名人)で三回撮影をした。

当事者役は役者さんだけあって、感情表現がリアルで、迫力がある。
大きな声を上げるような場面もあり、調停人として、逃げ出したくなるような状況の連続なのだが、三人とも見事に、各1時間半を演じきっていた。
架空の状況とは言え、技術と覚悟の両方が必要とされる場面で、それをしっかり出せていたのだからすごいことだとおもう。

3人とも調停技法を勉強しているのだが、展開がそれぞれ異なっていった点もおもしろかった。
調停人の発話、特に質問の仕方によって、展開が大きく変わる。どれが良いどれが悪いというよりも、もう少し細かいレベルでそれぞれ良さも課題もあり、その違いを考える素材としてよいものができたように感じる。

できれば同じ設定で、調停技法を学んでいないが経験を積んでいる方による「良い調停」のビデオも撮れると、比較できてさらによいと思う。
評価型調停がダメで、対話型が良いみたいな矮小な価値判断ではなく議論できる素材を作りたい。対話型といってもバリエーションもあるし、評価型といっても上手な調停人なら何も話の最初から決めつけたりはしないだろう。

この企画は、法政大学法科大学院教授の中村芳彦先生の授業を手伝うという話の中で出てきたものだ。これから、4回ほどの講義も手伝うことになっているので、不安もあるが、楽しみ。

2009年11月22日

アサーティブ・ジャパン講演会

アサーティブジャパン | 勝間和代&アン・ディクソン ジョイント講演会

アン・ディクソンさんと勝間和代さんのジョイント講演会があり、招待券をもらって聴いてきた。

アン・ディクソンさんの話は、以前買ったブックレットにあった話とかなり重なっていた。
70年代頃からスタートして、80年代にブームとして拡がり、90年代には組織内の研修などに組み込まれるようになったという。
負の側面として、対等性の理念などが後退し、一部のスキルセットとして矮小化されてしまったという歴史的な話をしていた。

このあたりはメディエーションの歴史ともパラレルで面白い。

静かだけれど情熱的で、ディグニティを持って話をされていた。
座ったままの話だったのと、抽象度が高かったので、眠くなっているひとも多かったようだ。
しかし、じっと観察していたら、表情豊かに話しておられる。やはり講演の人ではなく、トレーニングの人なのだろうとおもう。

勝間さんは、サクサク作ったパワーポイントを使って、歩き回りながら話をしておられた。エネルギッシュな話し方で、笑い声もところどころで起きていた。話の進め方が、具体的なものと、構造的なところの両面があり、わかりやすい。(ただ、足を拡げて立つ立ち方が妙に気になってしまった。)

アン・ディクソンさんが、アサーティブスキルというのが、競争至上主義的な社会の風潮の中で矮小されているという話をされた。
勝間さんは、自分を競争社会のなかで、いかに生かすか、自分を高く売るために、いかにその他の仕事を断るか、その断り方としてアサーティブスキルがいかに有用かというストーリーだった。
つまり、お二人の話は、アサーティブスキルの位置づけについて、根本的なところで大きな対立がある。

つまり、勝間さんは、まず稼げるようになって、その上で社会的活動をしなさい、そうすればもっとはしごを上に上がれるよ、というストーリーを話していた。それはそれで筋は通っている。
アン・ディクソンさんは、みながはしごを上にという意識だけれど、アサーティブスキルの前提は、そういうはしごの上下ではない対等性を根源的に考えようとすることだと言っている。ただ、はしごの存在を認めないのではなく、横も縦も両方あるのだという話だった。

アン・ディクソンさんもそうだし、米国でメディエーション運動に関わっているひともそうだが、横の関係性や対等性を主張するのだが、非常にロジカルかつ、構造を持った話のされ方をする。権力性の否定みたいな話を情緒的にしかできないのでないところがおもしろいとおもっている。

2009年11月23日

中国の民間調停制度

中国の民間調停制度:慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

問題ある公証人

由利弁護士: 白紙の公正証書に署名・押印?!

韓国メディアの報道

中央日報 - 民事紛争の調停解決、米国90%・日本49%・韓国4%

2009年11月24日

内閣府・海外消費者ADR調査

内閣府国民生活局「諸外国における消費者ADR体制の運用と実態に関する調査」(2008年2月)

そこをなんとか3巻

そこをなんとか 3

日弁連の地下一階の書店で買った。

2009年11月25日

映画:フレデリック・ワイズマン「パブリック・ハウジング」

フィルムネットワーク:フレデリック・ワイズマン映画貸し出しリスト

ちょっと前だが、映画を見た。
3時間を超える大作だったが、非常に面白かった。

弁護士で学者でもあり、ドキュメンタリー映画の作家でもある。
ドキュメンタリーといっても、NHKスペシャル風のものではなく、ナレーションなどによる説明は加えず、現実のやりとりを組み合わせて映画にしていくという手法を取っている。

この映画は、シカゴの公営住宅を舞台にしたもの。
赤ん坊を連れた若い女性が入居できるように、住民自治サービスのトップにいるやけに迫力のある黒人女性が電話で役所に交渉する場面から始まる。

路上で麻薬を売っていると思われる女性を叱る警察官の場面や、母親たちを集めて避妊の重要性と方法を説明する講習会の様子(母親が連れてきた幼児たちがわめいている)など、さまざまな場面をつないでいく。
つながりがないと思われていたいくつかの場面の持つ意味がつながってくる。
こういうやりかたでも、映画として成立するのだと驚く。

この映画の中で、Win-Winレトリックの醜悪さというものが存在するなぁとしみじみおもった。
役人が住民たちに会社をおこさせようとして行っている説明会の場面がある。
この地域では、多くの住民に仕事がないので、希望がなく、それで麻薬に走ったりする人が多い。
役所が発注する仕事を請けられる地域の会社があれば、地域に仕事がふえる。
だから、この役人たちが提案していることは筋が通っている。
でも、提案しているというよりは、けしかけているという感じに見える。
そのビジネスがうまくいくかどうかのリスクは、けしかけている側は決してとらない。

2009年11月26日

とげぬき生活館相談所

中日新聞:『心のとげ』抜いて半世紀  巣鴨・高岩寺 生活館相談所 :暮らし(CHUNICHI Web)

この相談がユニークなのは、人生相談、宗教相談に加えて、法律相談もしているというところ。

こういう場でメディエーションをやれたらなと思った。

館長は、坂口順治氏。

2009年11月27日

インストラクションデザインのポータルサイト

鈴木克明先生のサイト。

IDポータル

インストラクションデザインの方法論に関心がある。
トレーニングではもちろんそうだが、メディエーションそのものの中でもIDの考え方は役に立つのではないかという気がしている。

専門的な知識体系を、人間関係支配の道具にせずに、開かれた環境として埋め込んでいくという考え方が、インストラクションデザインにはあるとおもっている。そこが通じているとおもう。

例えば、インストラクションデザインにおいては、冒頭に学習契約を結ぶべきと考えられている。これは、メディエーションのオープニングで進め方について合意するのとパラレルである。

2009年11月28日

国交省が公共事業に住民参画を位置づけたガイドライン

国土交通省(2008)「公共事業の構想段階における計画策定プロセスガイドライン」(2008年4月4日)

「住民参加促進」のプロセスがうたわれている。


(2) コミュニケーション手法の選択
住民・関係者等とコミュニケーションを行うには様々な手法がある。
例えば、広報資料やホームページ、新聞等のメディア等を活用した広範な情報提供手法や、ヒアリングやアンケート、パブリックコメント等の実施による意見把握の手法、さらに、説明会や公聴会、住民・関係者等の参加する協議会、ワークショップ、オープンハウス等を開催し、対面で意見交換・聴取を行う手法等がある。
これらのコミュニケーション手法の選択においては、次の4点を考慮する必要がある。
なお、複数の手法を組み合わせて活用する等、適切に実施することが望ましい。
① コミュニケーションの目的(情報提供、意見把握等)
② 対象者
③ コミュニケーション手法の特性(メリット、デメリット等)
④ 予算や時間等とのバランス
P9

こういう手法が正面から位置づけられるようになったのだなぁという感慨もある一方で、役所や事業者の考え方、発想法の変容も求められると思うが、そういう手当はどうなっているのだろうとおもう。市民の側の熟度みたいな問題もある。

2009年11月29日

岡山弁護士会・中級編

今回で4回目の岡山弁護士会の調停人養成講座。
参加は17人。
O先生と。I先生は2日目のみ。

ほとんどが3年目までという、若い弁護士が中心で、昨年の基礎編に参加していない方が多かったので、基礎編の内容も丁寧目に扱って実施した。

弁護士相手のトレーニングって、意外なほど楽しいと今回も思った。

2009年11月30日

滝井元判事講演シンポ

law:滝井元判事講演シンポの続き: Matimulog

この研究会にはぜひ出席したいと思っていたのだが、かなわなかった。

滝井繁男(2009)『最高裁判所は変わったか―一裁判官の自己検証』岩波書店

この本は読んでいるが、非常に勉強になる。
最高裁の活動について、率直にふりかえっておられるので、政策ニーズもはっきりするという効果もあるとおもう。

例えば、最高裁の判事は司法行政にはほとんどエネルギーを割く場面がなく、事務総局の計画の追認になっているという。(P64)

年間3500億円しかない司法予算をどう振り分けるかという高度な政治的な判断を、いくら優秀でも国民から遠い一部の官僚裁判官だけの判断に任されているというのは、統治のあり方として明らかに課題があると思う。

About 2009年11月

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