前々回に引き続き。
石山勝巳(1994)『対話による家庭紛争の克服 -家裁でのケースワークの実践-』(近代文藝社)
石山先生のこの本もとても面白い。
1957年に調査官研修所が創設され、一期生として参加したという話が冒頭に出てくる。
なんでも、一期生というのは、手探りでいろいろ自分で考えざるを得ないので、こういう真のフロンティアが出てくるのかなとおもう。
ダウンタウンが吉本のお笑い学校の一期生であることに似ている(似てないか)。
同席に持っていく前に、申立人にだけ30分先に来てもらい、同席での話し合いに先立ってオリエンテーションを行い、少し事件についても聞くという流れを採用している。
同席が始まると、申立人からだけ話を少し聞いたという点を相手方にわびて(説明して)から話し合いを始める。
そして、同席での話し合いが終わると、今度は申立人を先に帰し、相手方と30分くらい話をするという構成を基本にしているそうだ。帰る時間をずらすことで、不測の事態に備える意味もこめている。(P240)
このやり方でなければならないとか、常に絶対に良いというつもりは決してないが、かなり考え抜かれた構成だと思う。
また、対席の向きについても、当事者同士が最初から正対するように促し、調査官に話しかけようとしたらなるべく相手におっしゃってくださいと促すのだという方針も書かれていた。
これも、最初から正対させるのが良いとは限らないと思うのだが、ひとつのやり方であることは確かだし、なによりこういうことの大切さをきちんと意識して記述しているということ自身が重要だと思う。
共感したのは、前にも書いたけれど、心理療法的アプローチとむしろ反対であるという点を強調しているところだ。心理療法的アプローチでは、当事者の中に欠陥を見つけようとしてしまう。
石山先生は、「行動療法的」とか「森田療法的」などと言って、問題を外在化させて直接的に関係に働き掛けている。その中核には、当事者がどうしていくのがよいのかについての、不可知論的謙虚さがあるのだろう。
「ケースを通じて、わたし自身で手探りで考え出した方法」(P190)とあるように、メディエーション技法の輸入ではないはずだが、考え方においても方法論においてもかなりの程度共通している。
60年代以来、これだけのものができていながら、必ずしもその良さが、家裁を含めて日本のADR実務に十分に反映されていないように思える。
早すぎたのかなぁ。