マウイのメディエーション25周年
Maui mediators to celebrate 25 years of service(英語)
マウイのメディエーション25周年。
マウイでは年間600件程度だそうです。
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Maui mediators to celebrate 25 years of service(英語)
マウイのメディエーション25周年。
マウイでは年間600件程度だそうです。
The Herald : Features: MAIN FEATURES : ‘People don’t want compensation. They want explanations’
賠償より説明・・いずこも同じということでしょうか。
図書館で借りて、読み終わった。
小林恭二のお父さんの話。
東大法学部卒で、サディストで、神戸製鋼のNo.2まで出世し、子どもに仏教哲学やらなんやらの講義をし、最後はブロン液中毒になる、強烈なキャラの人の話。
山の中にある子ども向け遊び場。
汽車(200円)、ポニー乗馬(200円)などの有料施設はあるが、ローラーすべり台などの無料の大型遊具がある公園。
駐車場も無料だし、気に入った。
手塚一弘[2006]『子どもと楽しむ神奈川アウトドアブック』(メイツ出版)
にも乗っていた。
ここの出版社(メイツ出版)は、ユーザ視点で集めた子育てのためのスポット集で成功しているようだ。
大磯の国府祭(相模国府祭)は5月5日に行われる。
この祭りは、大化の改新のころを起源にする、有力な地域間の紛争解決を儀式化したものらしい。
けっさくなのは、その紛争をめぐる論争のクライマックスが、「いづれ明年まで」という、翌年への先送りになっている点だ。
儀式とはいえ、1000年以上も、延々と紛争を先延ばししているというのは、とてもおもしろいとおもう。
紛争を「解決」するのでなく、紛争状態を前提としてなおかつ平和を維持するという道がありうるのだということ、しばしばネガティブに捉えられがちな「問題先送り」も、捨てたものでもないと思えてくる。
深沢アート研究所[2007]『ヒラメキット Vol.1 ころころコース「世界○○旅行」へん (1)』(コクヨ)
妻の友人が、息子たちのためにお土産に持ってきてくれた。
発泡スチロールにつまようじを突き刺して作った道の中でピン球を転がして遊ぶ。
いろいろなちまちました写真をその発泡スチロールの上に乗せることで、ピン球(コロビー君)が世界旅行をしているということになる。
6歳の長男が気に入って遊んでいる。
アイデアマラソンという簡単な自己啓発活動というのを続けている。
と言っても、単に、1000個のマスがある手帳に、思いついたアイデアを書くというだけの簡単なものだ。
シンプルだし、自由だし、ほとんどお金がかからないし気に入っている。
5月1日に、2冊目を終了した。
今回は211日で1000個のマスを埋めた。およそアイデアと呼べないような書き付けも多数含まれているが、1日平均4.7個のメモを書いたということになる。
例えば、「○時○分、東海道線大磯発東京行きは比較的すいている。」といったレベルのことも書いている。
このアイデアマラソンの提唱者の樋口健夫氏は、1000個考えれば3件程度のすばらしい発想と、5件程度の実行可能・実現可能な発想が含まれている可能性が高いと言っている。
日本法社会学会の新潟大会に来ている。
(法律)相談機関の満足度調査研究の話が興味深かった。自治体の法律相談の満足度が低く、消費生活相談の満足度が高いという結果が報告されていた。消費生活センターの人たちには朗報だとおもう。「使える情報」なのではないか。
自治体の法律相談については、中立的で一般的すぎるので役に立ったという感じがしないという話だった。わたしには、中立的だから役に立たないとは思えないが、一般論は役に立たないということはよくわかる。
消費生活センターの満足の理由についての報告はあまりなかったのだけれど、わたしの印象では、相談員は、具体的で新しい事件情報について詳しいので、相談に行ったものが被害を受けているのは自分だけではなかったとかいった位置づけが得られて安心できるのではないかと感じを持っている。
学校ADRについて、教師と学校の紛争解決を行う試みが紹介されていた。「強者(学校)-弱者(保護者)」の関係から、「消費者(保護者)-提供者(学校)」の関係への変質という指摘は、実感としてよくわかる。
北東北の司法書士業務についての実証調査研究も興味深かった。本人訴訟支援を行う司法書士は、簡裁代理に積極的というデータもとれているらしい。
他には、石垣市を対象とした、離島における弁護士利用の研究も興味深かった。
『<心理学化する社会>と法の公共性』というタイトルの本も近々出るそうだ。わすれないように書いておこう。
カルヴィン・トムキンズ、青山南訳[2004]『優雅な生活が最高の復讐である』(新潮文庫)
なるほどこんな本だったのか。
比ゆ的にいえば、豪華客船での冒険旅行だとおもった。
主人公のジェラルドの妻のセーラが、スコット(フィッツジェラルド)に言った言葉が目にとまった。
質問をある程度すればひとのことはわかるとおもっているとしたら、大間違いよ。あなたには人間というものがまるでわかっていない P179
・・・くどくど、説明は不要だろう。そのとおりではないか。
この美しい本の最後は、以下の文章で終わる。
ジェラルド・マーフィはレジェの言葉を引くのが好きだった――「快適な生活とひどい仕事、ないしは、ひどい生活と美しい仕事、どっちかだよ」。しかし、優雅な生活は、生活か仕事かのどちらかで失ったものへの十分な復讐にはならなかった。ジェラルドはかつて語ったことがある。絵をはじめるまではぜんぜん幸せじゃなかった、絵をやめざるをえなくなってからは二度と幸せになれなかった、と。 P239
USPS(米国郵政公社)の従業員向けメディエーションプログラム。
Transformativeスタイル(変容型)を採用していることで有名。
社外から調達した調停人が1500人もいるようだ。
74歳になる教育学者の新しい著書。
向後千春先生のブログで紹介されていたので読んだ。
読み始め、反なめられ主義(P176)を標榜するだけあって、いばりんぼうな文章スタイルに、ちょっと毒気にあてられた感じがした。
しかし、非常に現代的な問題意識が感じられ、刺激的だった。
まず、5分以上連続した講義をしないで、授業を構成するという特徴がある。「教材研究をし、主要な「?」を予め構想する。授業での指示・発問も用意する。・・ノートの取り方を指導する」(P175)つまり、徹底的にインタラクティブに進める。
ノートの取り方として、具体例を書かせることを教える。「要約病」がはびこっていることをなげいている。たしかに、これも重要な考え方だと思う。
「AさせたいならBと言え」という技術も興味深い。「酒を飲みすぎるな」では、言われた方に意味が生じないが、「酒の味が淡くなったら飲むのをやめろ」というような感覚的・経験的な内容を含めた言い方なら、行動が変わりうる。こうしたメッセージを研究すべきであると言う。「お鍋をしっかり洗え」ではなく「ゴシゴシ洗う音がこちらに聞こえるように」とか、ハードルを飛ばせるときに「もっと脚を拡げて」ではなく、「運動靴の底を前のひとに見えるように」言うべきであるとかの例も豊富に紹介されている。
突然、IMEの変換がおかしくなって、もしかしてとネットで調べてみたら、解決策がわかった。
症状は、リンク先で出ているのとほとんど同じく、変換候補としてひらがな、カタカナしかでなくなるというもので、しかもやっかいなのは、まったく変換できないかというとまれにできたりするという状態だった。
解決策としては、「学習情報を消去する」ということだったのだが、納得いかないなぁ。
中西紹一、松田 朋春、紫牟田伸子、宮脇靖典[2006]『ワークショップ 偶然をデザインする技術』(宣伝会議)
「機会が能力より重要な意味を持ち、核心になるのは競争ではなく偶然」という木村資生の進化の中立説を使って、弱肉強食の進化論へのアンチテーゼとしてのワークショップの価値を強調している。競争の強化よりも、拘束条件を緩和して、(中立的な)進化が起こりやすい状況を作り出すことが重要と。
まあ、しかし、拘束するのが仕事の人たち(つまり、創造を仕事とせず、創造するものたちを指導・監督するという名目で拘束する人たち)が、自らの存在を否定するかのような行動はとらないのが「合理的」である。そこをどう越えるかとか、どう戦うかという話はあまりなかった。決まった答えはないのだろうけれど。
それでも、興味深い話題はたくさんでてきていて、例えば、スターバックスの経営理念「(家庭と職場と異なる)サードプレイスの提供」というのは有名なもののようだけれど、わたしは知らなかったので勉強になった。
Certification for better services | The Japan Times Online(英語)
認証されたADR機関が夏にスタートすると言っています。
裁判外紛争解決手続きの認証申請へ…大阪弁護士会 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大阪弁護士会は今後、司法書士や公認会計士らにも参加を求め、様々なニーズに対応する“民間裁判所”とする構想を持っている。
小林恭二[1997]『数寄者日記―無作法御免の茶道入門!』(淡交社)
小林恭二が、茶道を(はじめて)習うという企画のエッセイ集である。
はじめにで、「日本の文芸は基本的には茶道に収斂する」とまで言っている割には、あまり真剣におけいこするわけでもなく、雑誌の編集部の企画の言われるがままにあっちいったりこっちいったりと、不器用な体験を繰り返す。
読んでいる限りでは、妙に堂々としている。が、かといって悪びれているわけでもなく、冷や汗をかいたという表現もよく出てくる。
小林恭二は奥さんに、大きい生き物が一匹家にいるようだ、と言われているらしいが、文学者とはそういうものなんだろうか。
この日、日本のやきものについて延々と教わってひとつ感じたことがある。それは、日本人の美的センスの中心にあるのは「面白がる」ということだな、ということ。P143
『演劇入門』、『演技と演出』が、表の平田オリザだとすると、こちらは裏である。
演劇人としての経験を踏まえた、芸術政策の提言である。
日本で、芸術保険制度を作って安く演劇を楽しめるようにすることとか、演劇図書館を地方に作って、司書として演劇評論家を雇用・育成すべきこととか、妄想力豊かな提言があって興味が惹かれる。
Matimulog: jugemnet:大学院入学が錯誤無効となり、入学金返還が認められた事例
社会人大学院生として、会社での仕事を続けつつ博士を取ろうと思って、大学の先生に相談しつつ入学したら、話が違ったので入学金を返してもらったと言う話。
裁判結果としては、原告の完全な勝訴で、大学側の敗訴である。
しかし、他人事ながら、製薬会社で医学部教授相手に、裁判をして大丈夫なのだろうかと心配になる。
紛争解決としては典型的な、Lose-Lose(両者ともに負け)の結果だったのではないか。
私自身、会社を辞めて大学院に来ているので、なんとも生々しく感じた。
具体的な詳細が詰まっていない段階で、「社会人学生を増やそう」という掛け声だけが先行してしまったのではないかと想像する。
【レビュー】三日坊主にならないスポーツキット「Nike iPod」 (1) ナイキタウンは1フロアの半分をNike iPodに | ネット | マイコミジャーナル
なんだかエイプリルフールのニュースかと思ったが、大真面目に商品化されているようだ。
しかもけっこうよさそう。
新潟の法社会学会での報告が興味深かったので、林真貴子先生の勧解についての論文をいくつか読んでみた。
明治初期に政府が用意した庶民のための紛争解決システムなのだが、近世の内済とはだいぶ違うようだ。また、大正期に出てくる個別立法としての調停とも違うようだ。
非常におもしろい。