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米国で、弁護士をやめてメディエーターになるというTVドラマシリーズが始まるらしい。
Fairly Legal | Coming This January to USA
ADR Prof Blog:Mediation TV–”Fairly Legal”経由。
鈴木克明先生の、「学習力アップのためのeラーニングデザイン」というタイトルでの、1時間20分の講演が聞ける。
Bbカンファレンス in OSAKAを開催しました! - CSKラーニングコミュニティ
・インストラクション・デザインを、Eラーニングにおける使いやすさ(ユーザビリティ)の洗練と認識している人が多いが、むしろその層(レベル)とは異なり、効果的教育(ガニエ・9教授事象)や意欲を引き出す教育の方法論(ARCSモデル)が体系化されていることが重要。
・意欲を引き出す方法のフレームワークであるARCSモデルでは、「大事なことは難しい」という点への対処をしようとしている。Relevance(あなたの仕事に役に立つ)と、Confident(あなたにもできる)の両立は難しいが、両方しないと、学習意欲が湧かない。
といったところがポイントだと思った。
インストラクション・デザインを作ったガニエはもともと心理学者だったという話もちらっとしていた。
「いつも同じ話をしているので、聞き飽きた方もおられるかもしれませんが、落語だと思って聴いてください」という表現がちらっとでてきて、同じ大事なことを話し飽きずに話をできるようになるということも、大事だなぁと思った。
普及学(Diffusion of Innovations)についての言及もあった。
過去のエントリー:
インストラクションデザインのポータルサイト
鈴木克明 『教材設計マニュアル』
に、参加した。
高知県の檮原(ゆすはら)町という場所を訪問した。
宮本常一の『忘れられた日本人』に出てくる「土佐源氏」がいたところを見るというのがコンセプトだった。
檮原町は、坂本龍馬が脱藩したときに、土佐藩を出た場所だったという話を受けて、観光地としてもいろいろ工夫している。
茶堂という、集落が管理する小さな空間が、旅人を接待する場所として機能していたらしい。
民間調停機関の運営について、少し話をして欲しいということだったので、半分は座学的な進行で進め、もう半分はみんなで話をするやり方で進めた。
愛媛和解支援センターでは、今年の申立件数22件、調停実施件数12件。
また、3つの委員会を作り、運営の発展と改善にも取り組んでいる。
英語で、日本の(民間型)ADRの概況をごく簡単に紹介した文章を書いた。
THE JAPAN COMMERCIAL ARBITRATION ASSOCIATION Arbitration JCAA Newsletter
Irie, Hideaki (2010) "An Overview on the Current Status of Japanese Private Dispute Resolution - Small impact of the ADR Act and it's still at the early stage", JCAA Newsletter, 25, 1-3.
英語だからかえって率直に書けたところはあるとおもう。
藤木久志(2010)『中世民衆の世界――村の生活と掟』 (岩波新書)
中世の農民には、自治的な活動があり、単に支配されていただけの存在ではなかったという見方を強調した歴史の本。
たとえば、惣堂という存在について、旅行者を自宅に泊めるのは御法度だが、惣堂で宿泊するのは自由であったという、中世の社会が意外に開放的な側面の証拠として示す。
と同時に、村の全体での管理が行われていたからこそ、そのような「コモンズ」が成り立っていた点への注意を喚起する。
また、戦国時代に、直訴のシステムが生まれ、拡がり、豊臣・徳川にも引き継がれたことについても、暴力による自力救済としての村の活動が、客観的に処理できる平和なシステム下の手続きに移行したという側面が重要であるとする。
石飛道子(2010)『龍樹―あるように見えても「空」という (構築された仏教思想)』(佼成出版社)
非常に読みやすく書かれた本だが、わたしにとっては難解だった。
ブッダは、「言い争ってはならない」という結論だけをとりだして、弟子に教えた。龍樹は、そのブッダの議論を、整合性のある論理として構築したが、それが龍樹の主書の中論に他ならないという。
龍樹には、他を理論で圧する冷たい理論家という側面と、慈悲深い実践家という側面があり、その二面性を理解することが重要であるとする。
後者の、実践家ということが、具体的にはもうひとつよくわからなかったのだが、なんとなく印象としては、社会構成主義的な解釈のようにも感じた。
もうちょっとちゃんと理解できればよいと思うのだが。
オフィシャルガイドブックで「瞬間開放式」と呼ばれる方式を作ってみた。
可動部分が二箇所になるので、若干作るのが難しくなるが、実際作ってみると、それほど大変というわけではない。
命中精度はかなりよく、二メートルくらい離れて、マッチ箱を倒すこともできる。
(公式競技では、1.6m離れた位置から、4cm×3cmの小箱を倒す)
これもyagianさんに教えていただいたもの。
速水先生の研究史をふりかえりながら、歴史人口学を紹介した本。
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歴史人口学とは、近代的な人口統計が成立する以前の様々な歴史資料を基に、統計データを推計し、その社会の動態を人口という観点で分析する学問である。
歴史人口学は、庶民の暮らしを、地べたから見ていく<虫の目>と、人口データというマクロに見ていく<鳥の目>の両方の視点があるとても魅力的な学問であるという。
前者の、虫の目については、速水先生が、宮本常一や網野善彦も働いていた日本常民文化研究所で研究者としてのスタートを切ったということともつながっているようにおもう。
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ヨーロッパなどでは、人間と家畜の数の比率は、歴史が下るに従って、家畜の割合が高くなるのだが、江戸時代の日本では逆に家畜の割合が減っていったという事実も興味深い。その事実も踏まえ、産業革命(industrial revolution)ならぬ勤勉革命(industrious revolution)というコンセプトを速水先生が発表したという。だじゃれのようなこの言葉は、いまでは世界的に認知されているのだそうだ。
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マイナーな研究分野で、国内では関心を持つ人が少なかったので、外国語で研究を発表していったと書いてあった。さらりと書いてあるが、わかっていてもなかなかそれが難しい。
また、データベースを作っていったり、何人かで集まって分業と協業をするプロジェクト型の研究が必要な分野だが、日本では財源確保を含めて、進めるのが難しいという話も出てくる。
少額訴訟がなぜ、あまり使われていないのか、法律家は、この手続きをどう評価しているのか、ということを時々考えているが、なかなかわからない。
仁木先生の『少額訴訟の対話過程』など、貴重な研究もあるが。
被告が弁護士をつけると、ほぼ自動的に通常訴訟に移行するという話もあり(それも、どの程度データに基づいているのか・・)、攻撃・防御の手続きバランスがあまりよくないことが大きいように感じる。
また、結局は和解になる場合が多いが、その和解の時間が短く、和解の質もあまりよいと言えないということもあるかもしれない。
もし、仮に、後者の理由が、少額訴訟が使われない理由だとすると、少額訴訟との接続を前提としたADRがあってもいい。実際、米国では、少額の調停手続が、裁判所付設型で用意されていることが多い。
司法書士かけがわの傾奇者日誌:少額訴訟についてを、読んで、考えた。
過去のエントリー:
少額訴訟と和解
三浦展, 上野千鶴子(2010)『消費社会から格差社会へ 1980年代からの変容』 (ちくま文庫)
団塊と団塊ジュニア論とか、パルコの話とか、シンクタンクの話とか。
教育年齢期の親御さんとしての実感のある話とか。
が、おもしろかった。
上野千鶴子がいたというCDIというシンクタンク。
子どもと静岡にガンダムを見に行ってきた。
仙台弁護士会紛争解決支援センターは、2006年から業務開始なので、弁護士会の中でも後発だが、最初の年から今まで、年間100件以上の申立件数を維持し続けている。
その仙台では、受付をする件数のシミュレーションをして、75件を確保すると、収益が出ると計算した・・という話を知る。
事務局費用や場所代などまで考えたうえでの収益なのかどうかは疑問であるし、そのロジックもよくわからないのだが、しかし、こうしたことを一旦、正面から受けとめて考えて見るということがとても大切なのではないかと思う。
赤字の場合でも、たとえば、外国のセンターと比較して、こういう支援が得られたら十分まわっていくとか、具体的に話せるようになることが大切だと思う。
梅棹忠夫, 小山修三(2010)『梅棹忠夫 語る』 (日経プレミアシリーズ、日本経済新聞)
亡くなった梅棹忠夫の対談本。
いくつかスケッチも載せている。
梅棹 いまの話だけれど、わたしはとにかく、武士道の知的後継者としてのインテリ道やな。支配するという態度に対する反発が非常にあったな。小山 それで、チョウニナイゼイションなんていう言葉が出て来るわけだな(笑)。あれはあまり上品な響きがないけれど(笑)
梅棹 サムライぜーション(武士化現象)という言葉があって、チョウニナイゼイション(町人化現象)とは、それに対する言葉です。
小山 あの言葉が出たシンポジウム「日本人にとっての外国」(一九八八年)では、みんなひっくり返ってびっくりしていましたよね(笑)。でもインテリというのはあぶないですな、良くなったり悪くなったり。
梅棹 いわゆるインテリというものは、まさに武士道です。サムライの後継者や。町人をバカにしている。pp.166-167
5 Tools For Effective Mediation
Guatemalan Handicrafts - Little Mango Imports
footbag - Wiktionaryとも言うようだ。
机をトントン指で叩いたりする癖を持つ当事者に持たせる使い方をするらしい。
大橋鎭子(2010)『「暮しの手帖」とわたし』(暮しの手帖)
すばらしい。
小学校5年生で父親の葬式の喪主を務めたという話。
大橋鎭子25歳、花森安治34歳で会社を立ち上げたときの話など。
暮しの手帖社では、大倉陶園のカップを使って午後のお茶を飲んでいたのだなぁとか。