もしもドロップシッピング
もしもドロップシッピング
どうなの?もしもドロップシッピング!株式会社もしも代表・実藤氏独占インタビュー(1)
注文されてから商品を入荷するタイプの自転車操業的な商法は、オークションなんかでよく問題になっているものだとおもうが、それを逆手に取って、だれでも参入しやすいネットビジネスにしたもの。
こんなのがあるんだねぇ、と、感心してしまった。
ネタフル経由
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もしもドロップシッピング
どうなの?もしもドロップシッピング!株式会社もしも代表・実藤氏独占インタビュー(1)
注文されてから商品を入荷するタイプの自転車操業的な商法は、オークションなんかでよく問題になっているものだとおもうが、それを逆手に取って、だれでも参入しやすいネットビジネスにしたもの。
こんなのがあるんだねぇ、と、感心してしまった。
ネタフル経由
わたしが参加したのは、南山大学元教授の中堀仁四郎先生が率いるヒューマン・インターラクション・ラボラトリー研究会(HIL)という団体の2006年5月の3泊4日のTグループセッションでした。
HILはWebサイトがないようなので、南山人間関係研究センターのURLを書きますと、以下の通りです。
http://www.nanzan-u.ac.jp/NINKAN/kokai/2006/laboratory03.html
つい先日、フォローアップ研修が終わったばかりで、あまり軽々に総括できないし、したくないのですが、わたしにとってはとても重要な体験になったこと、今後も継続的に学びたいと考えていることだけは確かです。
一日目は、哲学カフェとシヴィル・プロネット関西のピア・メディエーションをテーマとしたシンポジウム。
哲学カフェのプレゼンで、オングの『声の文化と文字の文化』にも言及していたのも興味深かった。
役に立つかどうかわかりませんが、読んでいるブログを紹介します。
友人、知人もいれば、わたしが単に読んでいるだけの人(一度も何のやり取りもしたこともない人)もいます。
差し支えあれば、お知らせください。
ブログ読み歴10年だなぁ・・(昔は、Web日記と言っていたが・・)
聴くこと、コミュニケーション技術、会議をうまく進めるテクニックなどを扱った本は、街の書店に山積みされています。どれも似ているように見えますが、本質的なところに触れているものと、浅いテクニックの寄せ集めとに分かれるようにわたしには感じられます。
21世紀の社会科学にとっては、客観的で検証可能な外部としての社会システムのデザインの技術ではなく、「自己を含む集団」に対して統治していくための技術であり思想が重要であると考えます。
易しそうに見えても高度なものが多いのがこの分野の特徴だと思います。インタフェースが洗練されすぎていて、その奥深さがかえってわかりにくいのかもしれません。ともあれ、ぜひ一読いただきたいものばかりです。
趣味のインターネット地図ウォッチ
なんと、連載開始だそうだ・・
判例翻訳プロジェクト解説
翻訳者のためのサイトのようです。
Six Apart - Six Apart: シックス・アパート、家族でも使える、安心な無料ブログ・サービス「Vox」を世界同時公開
ただの後発のSNSとは違うのでしょうか?
国土交通政策研究所(調査研究成果報告)(報告書概要)
非常に充実している。
御厨貴[2002]『オーラル・ヒストリー―現代史のための口述記録』(中公新書)
オーラル・ヒストリーの価値と方法について、経験を踏まえて書かれた本。
オーラルなとりまとめをいつもされているあってか、とても読みやすい。
わたしが、シンクタンクにいたとき、入社してしばらくはアンケート調査などの定量調査がもっぱらだったのが、ある段階からインタビュー調査の比率が高くなった。
インタビューのノウハウについていくつか教えてもらいながら、ほとんど手探りでやっていったが、インタビュー調査ならではの面白さがあるように思う。
小型メカ恐竜[動画、mpg]
ダニエル・H. フット[2006]『裁判と社会―司法の「常識」再考』(NTT出版)
また、読書メモは書くかもしれないけれど、まずは感想。
わたしの指導をしてくださっている先生だからというのではないけれど、非常にショックを受けた。
一読して、この本は影響力を持つだろうなと思った。
すくなくとも法学者には読まれそうだが、官僚も読み出すんじゃないかと思う。
ビジネスマンは読むかどうか分からないが、ベストセラーになる可能性も充分備えているように感じた。
日本の司法システムに対して、アメリカなどに比較してこれが足りないと言い立てたり、逆に、アメリカの言いなりでこんなに振り回されているなどという話はよく聞くが、その種の話は得てして、その話し手の領域に読者を扇動して引き込むための戦術にすぎないことが多い。
この本で、基本的のとられているスタンスは、そういうものとは全く違う。
日本の司法システムを、ひとつの先進国の司法システムとして尊重しながら、その発展経緯を<動態>として捉えている、というふうにまとめられるかもしれない。
法体系を<静態>として、解釈的に陳述する説明が、日本ではあまりにも幅を利かせているので、この本が持っているような、達成されているものと達成されていないものを相対化できる視点を持てるような法学の本はほとんど見かけないが、これは稀有な例外だと思う。
日本では何かあると、すぐ「重大な改革の時期だ」などと騒ぎ立てるので、日本の改革騒ぎには眉につばをつけて見る癖がついているとしたうえで、それにも関わらず、現代の司法制度改革は本当の大きな改革をしようとしていると述べている。
わたしもそうだと思う。
JAA Website - JAA News : 2006年度調停人養成講座・基礎編を開催します。
日本仲裁人協会主催の、調停トレーニングの案内です。
わたしも講師として参加します。
東京の弁護士会館で、このトレーニングができるというのは感慨深いです。
ちょっと高い(会員4万円、非会員5万円)かもしれませんが、内容は良いものです。
ご興味のある方はこの機会にどうぞ。
小泉義之[2003]『レヴィナス―何のために生きるのか』(NHK出版)
読書メモ:
何のために生きるのか。何ものかのために生きる。しかし、何ものかのために生きることを通して、自分のために生きる。しかし、自分のために生きることを通して他者のために生きる。しかし、他者のために生きることを通して人類のために生きる。ところで、人間は肉体の愛を通して子どもを生むことがある。そのことを通して、再び、他者のために生きる。そして、再び、人類のために生きる。ところで、人間は死ぬ。さらに再び、死ぬことを通して、他者のためと人類のために生きて死ぬ。総じて、奇妙な言い方に聞こえるだろうが、何のために生きるかといえば、死ぬために生きるのである。 p10
法務省の内堀さんの話を聞きに、中央大学に行ってきた。
さわださんはひるまずに、大事なポイントを質問していて、その質問に青山先生はうれしそうだった。
法務省の本音としては、PRと認証はやるから、実体的に予算をつけて動かすのは各省でやってねという感じに聞こえた。
また、内堀さんは、Facilitativeな調停にも理解と関心を示しているようだった。
ヤフーきっず:恐竜カード
3Dのティラノサウルスが歩く。
かなり手厳しくやられてしまった。
ご説ご尤もというところが多いのは確かで、まあ、これから戦線を立て直してやるしかないと。
いろいろなレベルでの、批判がありうると思うけれど、新しく提案されている法案の考え方はいただけないと思っている。
特に、「第二条教育の目標」というところが、教育現場に対する、上からの圧力の増大を招くのではないか。
教育現場にも、ビジネス感覚の成果主義をという考え方は、すでに石原慎太郎(戸塚ヨットスクールを支援する会会長)らの手で進められているけれども、結局、こうした動きは、「力の強いものは弱いものをこづきまわしてよい」というマッチョ思想でしかなく、「子ども」なる、弱くてにょろにょろしたやっかいものを、力で封じ込めたいという、社会集団としての悪意を体現したものに他ならないと思う。
戦後民主主義に限界があったとしても、この程度のお粗末な、格好をつけた<くさいものにはふた>の思想で置き換えてしまうほどばかげたこともあるまいに、と、思うのだが、どうだろうか。
教育基本法のもともとの理念が、自由と平等だとすると、たしかに、自律的な自由というよりうじゃじゃけただらしなさが目に付くかもしれないし、格差社会ができあがってしまって平等性を素朴に追求できなくなっているのかもしれない。
しかし、自由と平等は、そうそう簡単に追求をあきらめるというような種類のものではないだろうとおもう。
今回の政府の改正案の本質は、そういう高い目的はいちおう維持するという形式は保ちつつ、要は、なんのための教育かという問題は一旦棚上げにした上で、達成可能な「目標」を追求できるように、教育行政に介入できるようにしたいということが、そのあらわな姿なのではないかとおもう。
森義朗なんかは「徳目」復活を第一に考えているのだろうけれど、そうしたものが復古する危険もさることながら、数値評価に基づく目標達成分析みたいな手法への素朴な信仰こそがおそろしいと思う。
目的を棚上げした目標追求は、結局、ニヒリズムにすぎないのではないか。
司法書士高橋ぶんろう: ピアメディエーションと法教育
司法書士会連合会で、ピアメディエーションの研究をしているのだそうです。
NHK「つくってワクワク」工作の仕方
わたし自身は、「できるかな」ののっぽさんとごんたくんのほうが好きなのだが、長男はわくわくさんも好き。
見比べてみると、「できるかな」の方が、部屋中を使ってダンボールで遊んだりと、ダイナミックな遊び方であるのに対し、「つくってワクワク」の方は、手元で実際に作れる遊び以外は扱わないようにしているという違いに気づいた。
世界観重視からハウツー重視かという流れで、なんとも現代的だなぁとおもう。
朝日新聞の論説委員は30人ほどいて、昼に一部テレビ会議システムも使いながらも原則として一堂に会して、ひとりがプレゼンテーションした原案をたたくという流れで作成するらしい。
30人という人数がポイントなんだろうなと思った。
でも、いつも同じメンバーで議論していては、結局その中で強い意見を言う人が固定化してくるんじゃないだろうかという気がしたが、それについては聞けなかった。
ITmedia Biz.ID:講義ノートの取り方と復習のコツ
なるほど。
勉強になる。
左側に頭だしできるような余白を作ること、ページの下に、要するに何かということを書き込める余白を作ることがポイントなのか・・
仕事メモを取る上でも参考になりそうだ。
mixiの利用者数、他サイトは圧倒するも伸び悩み傾向
これも、へぇ、なニュース。
なぜか、わたしの周りの人もこの夏以降、mixiの日記に書き込みが少ない気がしていた。
ごく近くのことだけかと思っていたら、サイト全体としてページビューが減少しているとは驚き。
石田日記: 11月22日(水)「希望格差」①努力しなくても報われる人(既得権)の存在→社会が停滞(やる気をそぐ)
②努力しても報われない人の存在 →社会の荒廃(絶望に陥る)
と、政府・社会は①、②をなくすことを目的としているが、ここ10年の経済改革は①を無くすことに主眼(既得権の打破)を置いてきたが、その代わり構造的に出現してきている②を放置してきたのではないか。
去年の夏に、Mostenという米国の著名な調停人の話を聞く機会があったが、彼もちょうど、中流層の普通の人の生活が痛んでいるというような話をしていた記憶があるが、その話とも通じる印象を持った。
悪いやつ探しについて、公共事業のごとく、次々に新しい対象を必要としているような印象があるけれど、それで社会がよくなるわけではないということはだれでも気づいているとおもう。
けれど、それに変わって、ゆっくりとでも取り組んでいくべきものは何かというものを見つける余裕が持てないということが問題なのかなと思う。
佐々木吉男[1967,1974]『民事調停の研究』(法律文化社)を読んでいる。
民事調停法の成立までの沿革について書かれているところなど、大変勉強になる。おもしろい。
借地借家調停法(1922)より前に、すでに領土としていた台湾や関東州で、民事訴訟調停制度が作られていたこと。(明治37年:台湾、明治41年:関東州、明治43年:朝鮮、大正12年:南洋諸島)
借地借家調停法以降の調停法も、都市限定、分野限定だったのが、昭和17年の戦時立法で民事分野全般に拡張されたこと。
宿泊しているホテルからは少し離れているが、ウェルサンピア山形という厚生年金事業団の宿泊施設では、入湯料400円で温泉に入れるので行ってきた。
そばもおいしいし、いいところだなぁと思うというような話をタクシーでしていたら、「夏場はね、転勤してきた人は、そういうんです。でも、冬場になると、顔色変わりますよ、みなさん」という話を聞いた。
地方の中心都市は生活しやすいというが、寒くて雪深いところと、そうじゃないところは大分違うんでしょうね。
温泉はよかったです。