10月になってしまった
慣れないですが、元気で暮らしております。
これから、ボチボチ更新します。
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慣れないですが、元気で暮らしております。
これから、ボチボチ更新します。
ジョージア州は、建国13州のひとつで、南部の中心都市です。
州都のアトランタには、CNN、コカコーラなどの大企業の本部もあります。
カーター大統領が知事だった時代に日系企業の進出が進んだらしく、日本の会社もそこそこ来ているようです。
歴史的には、ジョージア州は、負の歴史もあるところです。
入植時のネイティブアメリカンに対する残酷な政策、KKKの活動拠点もアトランタであったようです。
良くも悪くも南部の中心都市です。
明るい方では、映画・風と共に去りぬの舞台、キング牧師の生誕地としても有名です。
ケネソーはネイティブアメリカンの言葉で、墓地を意味する場所だそうです。南北戦争の激戦地(南部から見れば敗北)としても有名な場所のようですが、アトランタの北に位置する山がちな場所です。
こちらに来た8月半ばは、日本は激暑でしたが、拍子抜けするほど気温が低く驚きました。
今年のアトランタは天候不順で雨がち、低温の年だったようです。
調べてみると、年間を通じて、東京とあまりかわらないような気温です。
が、夏の朝夕はこちらのほうが涼しいのではないかとおもいます。(あまり経験していないのでわからないですが)
ケネソー州なんてないわけなので、ジョージア州の州立大学です。
あまり知られていない大学ですが、もともとは小さなカレッジだったのが、最近急拡大したというところです。
社会科学の政治系の学部の中で、国際紛争を扱う博士課程のコースがあり、そこに隣接するような形で調停を研究している修士課程があります。わたしがお世話になっているのは、そこの先生方です。
なぜか調停を専門的に研究している教授が4人もいます。
また、対外向け(調停)トレーニング等を行っている紛争管理センターがあり、ここにも先の修士課程のコースとは別に調停トレーニングのトレーナーができる方1人を含めて、複数のスタッフがいます。
わたしは、このセンターのフェローにしていただいており、修士課程の講義にも出席させてもらっています。
調停の勉強をするにはよさそうだということで、ほとんどコネもないところなのに、いきなり一年間勉強しようと飛び込んできたので、まあ、不便も仕方がないというところですが。
この大学は、国際化に力を入れています。日本人は教員・学生共に少ないのですが、国際色は豊かです。
毎年、どこかの国を対象に決めて、連続講義を行うイベントを行っているのですが、今年は偶然、日本特集ということで、Year of Japanという企画が進行中です。
先日は、桂文枝(元・桂三枝)に弟子入りしていたという桂サンシャインが大学で英語の落語をしに来ていたので、見に行ってきました。
こんなことを書くと、のんきに遊んでいるように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
けっこう、必死のパッチです。
ACRの大会のためにミネアポリスに来ている。
火曜日に来て、土曜日の夜まで。
ACR | ACR 2013 Annual Conference
報告をしたわけではないが、忙しく出席して、話も聞いたりして、疲れた。
ミネアポリスは、徒歩や自転車に向くまちづくりがされていて気に入った。
まちがきれい。
Reflective Debriefのセッションが興味深かった。
調停人のふりかえりをDebrieferが援助するというもの。
セッションの中で、コーチングに似ていると言っている人がいたが、まさにそんな感じ。
プレゼンターのSusanne Terryは、「良いコーチング」と同じだと言っていた。
(共同プレゼンターとして予定されていたMichael Langは欠席だった)
わたしがやっていた事例検討会とは発想は似ているのに、やり方はずいぶん違うと思った。
事例検討会では、みんなで話し合うことを重視するが、このReflective Debriefは1対1で行う。
*
このセッションでは、アイスブレーク替わりに調停人としてどんな価値を中心にしているか「コアバリュー」を質問していた。このセッションに限らず、割と抽象的な質問を投げかけて、全員に話させるみたいなことが多い。よく聞くと関係ない話をしている人もいるが、結構みんな真剣に答えている。
ACRのセッションだから経験の長いものとかトレーナーが多いというのもあるだろうが、日本で参加者にいきなり抽象的なことを皆の前で話させようとすると、どうだろう・・叱られることもあるし、などということも考えながら、参加していた。
もうひとつ、コミュニティ調停の財源獲得に関するセッションも面白かった。
ヒューレット財団の撤退は未だに痛手のようだし、リーマンショック以来の経済低迷も響いているようだ。
それでもむしろ拡大しているところも結構あるよという話を紹介していた。
ロビイストを雇って財源確保できたという話もあった。
草の根の市民から資金を調達するベネボンモデル(benevon model)というのもあって、それに基づいてある程度の規模の予算を集められたという話も聞いた。ここ:Conflict Resolution Center - Minnesota
ベネボンモデルを簡単に書くと、以下の通り。
第1段階:無料のイベント(基礎的な情報の紹介、感情のひっかかりを与える、名前と連絡先の聞き取り。)
第2段階:スタッフによるフォローアップ(お礼、感想の聞き取り、参加機会の調整)
第3段階:お金を求める(サービス、複数年の誓約)
第4段階:知人を紹介してもらう
よく考えられているなぁと、思った。
なぜか最近、中島みゆきの昔の曲が聴きたくなって、YouTubeなんかで流したりする。
なにもわざわざアメリカで聴かなくてもいいのだが。
「遠ざかる船のデッキに立つじぶ~んが~」(歌姫)とか。
免許の路上試験に二度落ちたときは、「何につけいちお~は~、絶望的観測をするのが癖です」(あした天気になれ)とか。
中学生の頃によく聴いた「寒水魚」のあたりが好きで、初期の超暗い「エレ~ン、生きていてもいいですかとだれか問いたい~」というものとも少し雰囲気が変わってきている。その後に教祖っぽくなった感じとも違って、微妙なバランスのなかに繊細だけれどしっかりした何ものかが成立している感じがいいなと。
自分的には、「臨月」「寒水魚」「予感」の3枚は、ビートルズの「Rubber Soul」「Revolver」「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の3枚と同じように好きなのだが、興味がない人にとっても、本当のコアなファンにとっても、「それで?」という感じの話なので、なかなか話す機会がない。が、自分の中では、割と大事なこととして存在している。
歌姫という感じ自体は、Alanis Morissetteに対しても持っている。
Alanis Morissetteでは、最初の「Jagged Little Pill」のほうが売れたようだが、自分が同時代でよく聴いたのが「Supposed Former Infatuation Junkie」なので、なんとなくこちらに愛着がある。
素朴に自分をぶつけたストレートなのが「Jagged Little Pill」で、この次に、ごちゃごちゃとまとわりついてくるものをふりはらうかのようにもう一度裸になろうとするような感じが、「Supposed Former Infatuation Junkie」にある。
Alanisのアルバムでは、Unpluggedもすばらしい。ポリスのカバーの「King of Pain」とか。幸せな感じの「Head over feet」とか。
英語への苦手意識は脱けないけれど、なんとかかんとかやっている。
特に電話がやっかいだけれど、避けて通れない。
英語は易しい言語だという人がいるが、わたしはそうは思わない。
結局、言語は社会の複雑さを反映する。
英語も日本語も難しい。たぶん中国語も。
日本での英語教育がよく批判されるが、わたしはそれほど間違っていると思わない。
むしろ取り組みの絶対量が少なすぎることが問題だと考えている。
天につばだが。
トレーニング方法としては、森沢洋介氏の英語上達完全マップが良いと思う。本は、こちら
やさたくにも通じる。
英語学習のイデオロギーとでも言うべきものについては見直しが必要ではないかと思っている。
わたしが思うに、このイデオロギーには4種類存在する:①無色透明モデル(どんな相手の話も理解し、相手に合わせられる人を目指す)、②同化モデル(アメリカ人の価値観を内面化することを目指す)、③輸入代理店モデル(アメリカでは・・と紹介する人になる)、④専門商社モデル(自分のローカリティを語れ、相手のローカリティを受容できる人を目指す)。
これからは、標準的には、④を目指すとよいのではないかと思う。自分もそう意識している。