« 2012年02月 | メイン | 2012年04月 »
乱世の英雄タイプの人が活躍するなぁと。
神戸大学の金子由芳先生が、おっしゃっていたのが印象的だった。
現地に入っていろいろ聞いていたが、「教授でござい」という形だとなかなかうまくアプローチできないが、まずボランティアとしてどぶさらいみたいなことをやった結果、いろいろな知り合いができて自分の研究にも協力してもらえる関係性ができたとおっしゃっていた。
フィードワーカーの見本のような活動だとおもう。芝さんともタイプが似ている。
どういう結果につながるかわからないときにとりあえず動けるかというのが第一の関門だということには、多くの人が気づいているとおもう。
理屈をこねて動かない“残念”な人も依然として、至るところにいるけれど。
しかし、わたしは第一の関門よりも、第二の関門が重要だという気がしてきた。
思うような結果が得られなかったとき・・つまり空振りしたときに、他人の責任にして行動をやめてしまったり、あるいは自分にダメだしして行動をやめたり、あるいは同じ行動に固執し続けるということでなく、別の行動を選んで再チャレンジできるかどうかが肝なのかもしれない・・と。
その別の行動の選択も、自分のメンツを守るとか惰性というより、必要とされていることへの感受性をもとになされる。
第一の関門を突破した“残念”な人が、最も声高になるのもこの局面かもしれないが、そこを通過できれば、本当にやるべきことが見えてくるかもしれない。
偉い人には、脇が甘いところがあるのはなぜだろう、というのが、前からの疑問だったのだが、上記の意味での寛容性の問題かもしれないなと。
「より多く」ではなく「よりよく」へ 世界的に進む「消費のシフト」 ──ジョン・ガーズマ 『スペンド・シフト』著者|『週刊ダイヤモンド』特別レポート|ダイヤモンド・オンライン
スペンドシフト自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。──本書にあったデータによれば、日本はまだスペンド・シフトが進んでいない国のひとつだ。日本におけるスペンド・シフトについてはどう見ている?
2010年10月に米国で本書を出版した後、この1年間でわれわれのデータを再計算し、見直した。出版時のデータでは、日本の「スペンド・シフト実践者」の割合は25~26%だったが。最新のデータでは48%で、米国とほぼ同じレベルだ。この背景には東日本大震災があるかもしれないし、政権に対するフラストレーションなど、マクロや社会的な要因があると思うが、スペンド・シフトが日本でもこの1年で急速に浸透しているのは事実だ。
──日本の場合はバブル崩壊から20年がたち、好景気を知らない世代が社会に出始めていて、消費に対する意識は世代間で大きく異なり、世代間の価値観の対立も指摘されている。
スペンド・シフトの受け入れが世代間で違うという結果は米国でも見られる。米国でも若い世代がスペンド・シフトのリーダーになっている。次に多いのが高齢者だ。ベビーブーマーは良い時代を長く経験してきて、自分たちの習慣を変えることが難しく、調整が難しい世代といえる。
福岡地裁では、労働審判手続方式を一般民事に広げる活動にすでに取り組んでいる。
福岡地方裁判所・委員会
第27回(平成23年2月22日開催)(PDF)
別紙1:改訂・福岡方式(新福岡プラクティス)の概要|福岡地裁「迅速トラック」が11月から始まります
菊池 浩也=藤田 正人「福岡地方裁判所における民事訴訟の運用改善に向けた取組--福岡方式の改訂(新福岡プラクティス)と迅速トラックの実施」判例タイムズ62巻20号(2011年)52-75頁
過去のエントリー:労働審判手続方式を一般民事に (私的自治の時代)
さるかたの言葉だが、世の中の「地金が出た」という印象がぴったりくる。
一年経って、だいぶ隠されてはきているのかもしれないが、一度その姿を見せてしまったという、とりかえしのつかなさがある。よい方から見れば希望とか機会だが、わるい方から見れば残酷さそのもの。
わたしが特に強く感じたのは:
1.本業の重要さ
2.余力に気づいて行動できる能力
3.助けを受ける能力
1.に関して、危機に際して、役に立ちたい気持ちはあっても、その機会を得ることができるものは限られている。今回の震災でボランティアもえらかったが、仕事として役目を果たした方々の活動もすばらしかった。(原発行政を含め、そればっかりではなかったが・・)自衛隊もえらかった。私が会った気仙沼の市役所のおじさんもえらいなぁとおもった。
2.に関して、1とは矛盾するが、行動できた人を見ると、やはりすばらしいとおもう。変に計算して自分を縛っているところがないか、自己チェックが必要だなと。やれない理由探しの罠に陥っていないか。やらないならやらないと決めた自分に対する寛大さと併せて持ちたいなと。
3.に関して、助けとか支援とかの動きが目立ったが(実際には充分とはまったくおもわないが)、良心的に暮らしているほとんどの人にとっては、助けられる方が助けるよりも気が重い。助けを受ける能力というものがあるなとおもった。助けられる側のマナーとか倫理というのはいったい何なんだろう? よりそうとか、傾聴するとかだけではすまない、考えるべき何かが存在しているように感じる。
弁護士 小松亀一法律事務所_弁護士等_初めての気仙沼法律相談センター担当雑感
弁護士が2人で丸11時間もかけて気仙沼に行って、相談者が僅かに1人・・小松亀一弁護士は気仙沼出身とのこと。
*
しかし、かような状況でもお客様の心を捉えるマーケッティングに邁進し他の事務所との違いを強調したブランディング化を成功させて、僅かの開業期間で相当の収益を上げている事務所も存在します。逆に旧態依然のお客様が来るのを待つだけの姿勢で客がサッパリ来なくなっている事務所も相当あり、淘汰の時代をシッカリ認識して、マーケッティングに如何に励むか模索しているところです。
*
わたしは、弁護士をはじめとする法律専門職の健全なマーケット拡大について、研究者として貢献できるところはないだろうかと考えているところです・・
もともとは、東大・経済を卒業し、都市銀に就職した方。41歳独身。いろいろのご経歴を経て、貯金150万円、月収5千~5万円のアフィリエイト、母親と同居・・という状況をカミングアウトされて反響を呼んでいる模様。
年齢が近いのと、紆余曲折ぶりに人ごとと思えないところがあるが、わたしよりはだいぶ善人のようだという感想を持った。
Skype有料相談サービスを新たにはじめておられる。新しい世界を切り開いてほしいなと、サーバイブしてほしいな、と。
「都合」というのは面白い言葉です。 ・・ 「都」という文字が「すべて」という意味を持っていて、 「合計する」というのがもともとの意味だそうです。
へぇ。
湯浅誠からのお知らせ: 【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)
わたしはたいへんに共感します。
特に、
私の推測が間違っているかもしれませんが、今の社会に欠けているのは、・・それぞれができる範囲で、政治的・社会的力関係総体への働きかけを行っているという信頼感ではないか、と感じています。
とか、
私は公務員を盲目的に擁護はしませんが、盲目的な公務員批判には反対で す。それは結局、公共サービスを劣化させてしまうからです。
のあたり。
社会的包摂と(対話型)調停は大変親和的だとおもいますし、具体的な局面での接近が必要と考えます。同時に、どちらも政策の方向性次第では大変危険なものをはらんでいるという共通性もあるとおもいます。
*
パーソナルサービスセンターについては、福岡のウェブサイトが見当たりませんでしたが、山口県のは充実しています。
南山大学社会倫理研究所歴代所長インタビュー:小林傳司・第六代所長(PDF)
インタビューアーは奥田太郎先生。
リンク元:
南山大学社会倫理研究所|社会と倫理 | 特集 社会倫理を取り巻く三十年
藤原帰一先生が、反原発者黙殺への共謀に参加していたと表明したことに言及しておられる。
カトリックが言っていたもともとの「補完性の原理」というのは、どういうものだったのだろう。
昨日、法社会学会九州支部会で報告しました。
わたしにとっては、半分顔見世興行的な感じでしたが、小佐井さんの末弘厳太郎についての報告も、兼重さんの報告も興味深く。
懇親会で熊大名誉教授の吉田勇先生とゆっくり話せたのが特に良かったなと。
*
関係者の方々が最近出した本:
江口 厚仁編(2012)『圏外に立つ法/理論-法の領分を考える-』ナカニシヤ書店