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震災から一年経って

さるかたの言葉だが、世の中の「地金が出た」という印象がぴったりくる。

一年経って、だいぶ隠されてはきているのかもしれないが、一度その姿を見せてしまったという、とりかえしのつかなさがある。よい方から見れば希望とか機会だが、わるい方から見れば残酷さそのもの。

わたしが特に強く感じたのは:
1.本業の重要さ
2.余力に気づいて行動できる能力
3.助けを受ける能力

1.に関して、危機に際して、役に立ちたい気持ちはあっても、その機会を得ることができるものは限られている。今回の震災でボランティアもえらかったが、仕事として役目を果たした方々の活動もすばらしかった。(原発行政を含め、そればっかりではなかったが・・)自衛隊もえらかった。私が会った気仙沼の市役所のおじさんもえらいなぁとおもった。
2.に関して、1とは矛盾するが、行動できた人を見ると、やはりすばらしいとおもう。変に計算して自分を縛っているところがないか、自己チェックが必要だなと。やれない理由探しの罠に陥っていないか。やらないならやらないと決めた自分に対する寛大さと併せて持ちたいなと。
3.に関して、助けとか支援とかの動きが目立ったが(実際には充分とはまったくおもわないが)、良心的に暮らしているほとんどの人にとっては、助けられる方が助けるよりも気が重い。助けを受ける能力というものがあるなとおもった。助けられる側のマナーとか倫理というのはいったい何なんだろう? よりそうとか、傾聴するとかだけではすまない、考えるべき何かが存在しているように感じる。

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2012年03月13日 09:17に投稿されたエントリーのページです。

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