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竹内敏晴(2010)『レッスンする人―語り下ろし自伝』藤原書店
最後のインタビュー集。
第一高等学校寮歌にも、「もし、それ自治のあらずんば、わが国、民をいかにせん」という歌があります。ところが敗戦前に消えちゃったそのことばが、戦後になっても復活してこない。いまの日本には自由ということばはあるけれども、自治ということばはありません。P72
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寮歌は、これらしい。
刊行物 家庭裁判所裁判官の実情 | 共同親権運動ネットワーク(kネット) 公式サイト
子どもを人質にとって親に金品を要求する行為は、一般社会においては犯罪です。 しかし家庭裁判所においては、人間関係調整の名の下に慣行として当たり前になさ れています。
家裁の調停を改革するとしたら、どのあたりから着手するのがよいのでしょう?
確定申告を済ませた。
面倒くさいがメリットのある青色申告にして、はや4年目。
自営マインドの醸成には大事な修行かも。
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前の会社時代の知り合いの、GIS(地理情報システム)関係では有名な社長さんのブログで、多くの中小企業の経営が非常に厳しくなっているという。
3社に2社が・・・ - 横浜スローライフ -- My slow life in Yokohama
そしてその延命措置政策が切れるのがこの3月末というが・・
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(追記)
調べてみると、1年延長している。
・・「昔は良かった」式の感覚論に基づいた「法曹の質の低下」の議論が幅を利かせ、そもそも社会が法曹界に何を求めているのか、それを十分に提供できているのかどうかといった抜本的な議論からは遠ざかる一方である。
上の指摘にはかなり共感する。
実務家と研究者が協力して、事実に基づいて、「社会が法曹界に何を求めているか」を研究するのが良い、とおもう。
昨年来日していたLela Love教授に教えていただいたのだが、米国の調停トレーニングでは、ロースクールで10年以上教えている教授を無料招待する場合があるのだそうだ。
したたかに、影響力のあるものを巻き込んで、自分たちがやろうとしていることの理解を浸透させていくという、考え方のようだ。
米国の調停運動について、いろいろな側面があるが、こうした地道で現実的な工夫を重ねていたという話はかなり大事なものだとおもう。
今回の震災は、阪神淡路の被害規模を超えるようだ。
大磯という海沿いの町に住んでいるので、津波は心配。いつ次があるかわからない。
日本人が、冷静に、助け合いの気持ちを持って行動している状況が海外の報道で賞賛されているそうだ。
災害は、直後も大変だが、その後の長きに渡る復興の過程も大変。
祈りを持続できる強さを身につけたい。
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歴史的には、関東大震災後の借地借家調停の活躍があった。阪神淡路の震災後には、弁護士会の和解あっせん手続が活躍した。
今回も調停が役に立つ場面もあるとおもう。
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危機において、日ごろからの「鍛え方」の問題が出てくる。すぐに動こうとするより、自分自身へのケアを、という呼びかけにはとても共感する。特にテレビを見過ぎるなという警告が重要かも。
ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE : We are OK. You are OK. We care. ダイジョブ、ダイジョブ。
Marky on the WEB 2011/3/13 できることをやろう
以前、それなりに詳しく調べたことがある。
大正期の調停法としては、最初に成立・施行されたものが1922年の借地借家調停法である。
この施行の翌年の1923年に関東大震災後が起きた。死者が10万人を超える大災害であった。
この災害の後の東京復興で、この借地借家調停が活用された。
借家人たちが焼けてしまった跡地にバラックの仮小屋を建てて住んでいるという状況下で、借家人と大家が話し合いをするというパターンが典型例であった。
当時は、「罹災都市借地借家臨時処理法」なんて当然できていなかったから、伝統的な法解釈に従って、不法に占拠されている状態と同様に処理せざるを得ない。つまり、バラックの仮小屋をつぶして出て行けというのが伝統法学の立場になる。が、いかにもスワリが悪い。
そこで、借地借家調停法が活用されたのである。
法律ができたから自然に使われたというわけでは決してなかった。
裁判所は、東京都内の13箇所にテント張りの出張調停所を設け、調停委員には、東大法学部の教授陣が参加した。穂積重遠の報告では、穂積の他に、牧野英一、三潴信三、高柳信一、鳩山秀夫、末弘厳太郎の参加が記録されている。
このとき教授とともに学生もボランティア活動を行い、その活動を引き継ぐ形で東大セツルメントが生まれる。東大セツルメント法律相談部での活動は、後に日本における法社会学の発祥につながっていく。
穂積は、この借地借家調停に、「異常な」情熱を傾けたと、我妻栄が後に述べている。穂積自身の記録の中にも、大学のない日は「毎日」、調停に出かけたと書いている。
穂積は、先に挙げたような紛争では、借家人のその場所に住みたいという気持ち、大家の家を貸したいという気持ちの延長上に解決を探してうまくいった例があることを紹介している。穂積は、インタレストベースの現代調停とほぼ同等な発想をしていたのである。
この活動への評価が、その後の調停法の拡大・発展につながった。
借地借家調停法は、分野が限られていただけでなく、適用が大都市部に限られていた。
しかし、その後、調停法は、むしろ危機時において「伝統的な法解釈から乖離できる」便利なものとして、戦時体制に奉仕する存在としての拡大・発展していったという負の側面も忘れてはならない。
また、関東大震災直後の治安維持令が、二年後の1925年に治安維持法につながった。
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日本は、震災を乗り切れる。しかし、震災後に育つ「良きもの」と「悪しきもの」への対処を間違ってはならないとおもう。
柳川範之(2009)『独学という道もある』 (ちくまプリマー新書)
とても謙虚な語り口で、独学の価値を語っている。
中学・高校・大学・大学院という一連の序列化されて、かつ、ひしめいているような細い道にこだわらなくても、成功に至る道はあるはずだという話を、大検・通信教育での大学という経験談とともに紹介されている。
たとえば、自分の子どもに対して、どういう教育観を伝えるかという話になってきたときに、「高校に行かずに高校認定(旧大検)もアリ」「通信制の大学もアリ」と、安易に言っていいものか、という意味では、実際には悩ましい。
ただ、悩ましいから思考停止して、みなと同じように偏差値レースをやればいいというだけではすまない場面がでてくるだろう。そういうときに、ちゃんと悩みを悩めるかが大事だとおもう。
そういうときでも、そういうときでないときにでも、こういう本を読んで、一度悩んでみるとよいのではないかとおもう。
また、アメリカなどでそうであるように、大学院がキャリアチェンジの場として機能するようになるといいと言っている。
わたし自身は、まさに大学院でキャリアチェンジしたわけではある。なので、わたしとしてもぜひそうなってくれると、自分の肩身が狭くなくなる可能性にもつながるので、いいなとおもう。が、わたしの実感として、大学院がキャリアチェンジの場として機能するためには、大学院で学ぼうとする人の意識が変わるだけではなくて、大学などの制度側にも変えるべき点があるような気がする・・そして、最終的には、雇用慣行まで変わらなければ、なかなか厳しいとおもう。大学院でキャリアチェンジするというのは、確かに可能性はないわけではないけれど、リスクと便益とを考えると、それほど人に勧められるという代物でもないようにおもう。
ところで、全体として、とても共感するのだが、同じことを言ったとしても、こう謙虚な口調でなければ伝わらないこともあるのだろうなと、我が身を省みて、おもった。
思いついたことをつらつらと書いてしまったが、自らの教育観を見直すきっかけとして、とてもよい本だと思う。
静岡県司法書士会館で、R-Cafeしずおかに参加した。
弁護士の權田光洋さんプレゼンツ。
テーマは「いま、なにができるか」のワールド・カフェの方式での話し合いだった。
今回の、Rは、復興を意味するReviveだったのかなとおもう。
そして、芝さん達は、全青司の活動として、気仙沼に旅立っていった。
3/26-27の二日間、調停トレーニング基礎編を行ってきた。
新人と一般会員の合同研修だったが、ほとんどが新人さん。
数日後の引越を控え、わたしにとっても特別だったが、震災復興のために静岡からは、調停センターの中心人物数名が有志として寝袋を持って乗り込んでいったという時期だったという意味でも特別だった。
持ち場を果たすことで、ささやかながら、動ける人が動きやすくなる支援になるといいなと願っていた。
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人というのは、バランスを崩しては、バランスを回復しようとして、生きているのだなぁとおもう。
野口三千三の身体観では、人が動くというのは、そういうことだと位置づけられている。
テレビを見たりネットの情報に接してショックを受けて、自分にできることはまずは節電だと考えることも、バランス回復を目指した、(利己的)行動であるようにおもう。
危機に際して、パッと動けてパッと役に立てている人を見ると、あぁすばらしいとおもうとともに、そう動けない自分の“鍛えられていなさ”に傷つくこともある。
そうしたときに、そのすばらしい行動に難癖をつけてバランスを回復しようとする卑しさを排除するには、バランスが崩れている自分を自覚することと、“鍛えられておらず役に立たない自分”を許す寛容性を持てるかどうかにかかっている。
そこが乗り越えられたら、“既に役に立っている自分”に気づくかもしれない。そうすれば、遅ればせながらでも動き出せる。フォロワーシップとは、そういうものだとおもう。