ウィキペディアで小山昇先生のところを見ると、「民事訴訟法学に於いてはほとんどの学説対立にて、通説側に立っている」といった、敬意の感じられない記載がある。少なくとも、調停の分野では、あまりに偉大なのになぁと。なんとわかっていない書き込みだろうかとおもう。
『民事調停法』(有斐閣、1977)の、「新版の序」のところに、「・・わたくしは、新著を出すことにした。この機会に、民事調停法のすべてを画き尽くす試みをすることにした。しかし、資料を集めていくうちに、とうてい集め尽くせないことを悟った。また、問題を考えていくうちに、とうてい考え尽くせないことを自覚した。それにもかかわらずこの試みを棄てなかった」とある。
そして、7-16頁に膨大な文献リストが掲載されている。
このリストは、完全ではないが、しかしかなりなものだと自分で書いているように、確かに、執拗に充実したリストになっている。すべてを集め尽くそうという話が、まんざら言葉だけではないことがわかる。
この民事調停法という教科書は確かに古いのだが、新しい文献ではかえってあまり触れていないようなところで、目の覚めるような記載が出てくることがある。
私が気に入っているのは、例えば、以下の記述。
極言すれば、調停制度は、迅速・簡易・低廉を目的とするものではない。調停は合意による解決の制度である。合意の形成過程の手続は複雑を要しない。すなわち、調停による解決が迅速・簡易・低廉でありうるのは、調停が合意により成立するものであることにともなう結果なのである。それは調停制度の属性といったほうがよい。 P53 ※原文の、強調文字を太字に変えた。