大磯の村を開いたのは、崇神天皇の頃に、出雲の氏族が移り住んだのが始まりということらしい。
柳田氏という一族を祭った柳田大明神が、今の六所神社になっている。
昨日見てきた「国府祭(こうのまちと読む)」では、座問答という祭りが中心イベントになっている。
その「座問答」は、大化の改新の際の、地域再編に伴う実際にあった紛争を儀式化したものと言われている。
紛争の中心は、寒川神社と川匂神社がどちらが一宮かを争ったということだが、仲裁者は第三の比々多神社の宮司になっている。力は劣る第三の登場人物が仲裁を図るという構造になっている。
「国府」という行政上の中心地は、結局、鎌倉幕府成立以前に使われただけだが、鎌倉幕府の保護も受けてその後も祭りが続いたということらしい。
以上は、大磯ガイドボランティア協会作成の資料の受け売り。
去年のエントリー:いずれ明年まで