山田文(2008)「離婚紛争と調整型ADR」(名古屋大学法政論集. v.223, 2008, p.367-385)
交渉促進型(faciliatative)には、積極型と消極型があるという話をしている。
一般的にメディエーショントレーニングは、「積極型」なのだが、トレーニングを知らない人は、「消極型」(調停人は積極的にはなにもせず、双方の主張を取り次ぐだけ)をイメージしている場合がある。
このあたりのイメージの齟齬については実演を見せたりするしかないが、さりとて実演すればしたでステレオタイプ化した誤解が拡がったりして難しい。
また、離婚後の面接交渉を考えた場合に、当事者が能動的に合意形成に組み込みを図るプロセスが有効で、交渉促進的調停は有意義と評価している。
と同時に、弱者が情報を十分に得て、真の自己決定をできる環境を作るために、調停人が積極的に役割を果たす必要性を論じている。
このあたりは、素朴な「メディエーションは対話促進で、当事者にアドバイスしない」とする役割像を超えている。
わたし自身は、山田先生の考え方に共感する。
しかし同時に、上記の言葉尻だけを捉えて、「弱者保護なら(必ず)情報を与えて良い」と考えるひととか、さらに曲解して「評価型と適当に混ぜればよい」などといいだすひとも出そうだと心配する。
こういう変な議論にならないようにどうしたらよいだろう?
一つの方向性は、積極的な役割を果たす場合に、調停人個人だけでなく、調停機関が役割分担をして、手続として安全に、かつ、当事者にとっても中立らしく見えるようにするのがよいのではないかとおもう。
例えば、典型的論点と規範は、調停開始前に事前に両当事者に説明してしまうとか、ブックレットで提供するといったやり方も考えられる。
現実的に有限な能力の中で、何をどう救済しようとするかは、機関としての価値判断が求められる。
Folgerがメディエーションは、イデオロギー的にフリー(中立)ではありえないと言っているが、このあたりも困難な場所だなぁとおもう。
http://www.mediate.com/mediaplayer/mediaplayer.cfm?snid=2000418