東京新聞:内部告発後に不当な配置転換 オリンパス社員 人権救済申し立て:社会(TOKYO Web)
大手精密機器メーカー「オリンパス」(東京)の社員浜田正晴さん(48)が、社内のコンプライアンス(法令順守)通報窓口に上司に関し告発した結果、不当に配置転換されたと訴えている問題で、浜田さんは二日、暴言や退職要求などの社内の嫌がらせを会社にやめさせるよう東京弁護士会に人権救済を申し立てた。申立書によると、浜田さんは一九八五年に入社後、大手鉄鋼メーカーへの精密検査システム販売などを担当。上司が機密情報を知る取引先の社員を引き抜くことを知り、不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の疑いがあるとして二〇〇七年六月、社内の通報窓口に通報した。役員が取引先に謝罪し引き抜きは止めたが浜田さんは同十月、閑職とされる部署に異動させられた。通報内容は通報窓口から上司らに電子メールで報告されていた。
異動先では資料整理などをさせられていたが、病欠者扱いで賃金も抑えられている。部外者との連絡には許可が必要といい、上司からは「やる気があるのか」などと言われているという。浜田さんは社内外の接触を禁止する業務命令や人事評価、遠回しの退職強要などの改善を勧告するよう同弁護士会に求めている。
オリンパスは「申し立ての連絡を受けていないので、コメントできない」とした。
◆『社内で仲間はずれ1年半』
「社内で村八分(仲間はずれ)の状態が一年半続いている。弁護士から『体を壊しては…』と心配され、救済のお願いをした」。オリンパス社内での不当な扱いに抗議、人権救済を申し立てた浜田正晴さんは東京都内で会見し「普通に勤務したい」と強調した。
問題の内部通報が告発対象の上司に筒抜けとなって不当に配置転換されたとして、浜田さんは昨年二月、異動の取り消しなどを求め会社側を東京地裁に提訴、係争中だ。
不祥事を告発した社員を守ることを目的にした公益通報者保護法は二〇〇六年に施行された。
浜田さんは同法を念頭に置き「正直者がばかを見る制度であってはならない」と語った。
労働問題に詳しい森岡孝二・関西大教授(企業社会論)は「通報者が泣き寝入りとなってしまうと法が死んでしまう。通報窓口を会社内につくると、告発者の個人情報保護の面から不安にさせるケースが多々ある。故意に個人情報を流したとすれば悪質だ」と指摘する。
オリンパスは「通報者の情報の取り扱いに問題があった事実はない。人事異動と通報との関連はない。評価は業績に対し公正に実施し、社員の努力不足から残念な結果となっている」との見解を出している。
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こういうニュースが握りつぶされないで、しっかり報道されるようになっていること自身を歓迎すべきだと思う。
ところで、この紛争が、ADRに持ち込まれたらどうだろうと考えてみる。
(上記のニュースの真相はわかりませんが、あくまで一般論として考えたことを書きます。)
持ち込まれた時点で、会社が真剣に取り組み始めるなら、それはそれで価値があるだろう。
しかし、ADRが、社会秩序維持だけのために、弱者を踏みつぶす道具として運用される危険というものも十分にある。
おおやけに訴えることも選択肢になければ、ADR自身も、民主的な社会システムにおける制度として意味を持たなくなる。
裁判には限界があるからADRのメリットを理解しようというレトリックだけでは、社会の中でADRを位置づけることはできないのではないかと、わたしはおもっている。
(会社が、従業員に、おまえなんかどうせ提訴もできないだろうから、示談金で手を打てなどと説得する状況を、考えてみればよい。裁判に限界があるからADRを使えというレトリックを、まさに、正義に反する形で使っている。)
そうではないのだ。社会の中で「泣き寝入りの追認」という紛争解決手段があまりに使われているが、かえって社会的コストが増している。それがひずみとして、様々な問題を引き起こしている。例えば、パワハラしかり、自殺問題しかりだろう。
人間関係がドライになってきて、非公式な紛争解決ルートが痛んでいるのに、公式な紛争解決ルートが十分にアクセスしやすくなっていない。
ADRの社会的意義はそのあたりにあるはずなのだ。
と考えると、裁判とADRは対立するものではなくなる。