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2017年06月 アーカイブ

2017年06月15日

ライフストーリー・レビュー

先日の対話調停カフェでは、ライフストーリー・レビューという方法を試した。

過去のあまり話したことがない話題を取り上げて、聴き手に話をし、次の区切りでは語り手と聴き手が一緒にふりかえるというやり方。

何のことはない世間話にも似た、だらだらとした話をしているようにも見えながら、本人にとっては、それ自体が重要な活動であるように感じた。

私自身が語り手も聴き手も試した印象からの感想としては、何か新しい解決が生まれたりということは起こりにくいが、なんとなく漂っている過去の経験に、場所が与えられる感じだった。その経験に場所が与えられたことで、語り手自身も安心する。
聴き手としては、語り手が探り探り話していることに同伴する感じで、自然に応援したくなる気持ちが出てくる。ゴシップ好きに興味本位で聞きたくなるような欲求は出てこなかったが、これが常にそうなのかはよくわからない。

聴き手の役割として、語り手の語りを邪魔しないようにはするが、無私な傾聴というやり方とは異なり、当事者性を持った聴き手として関わるところが、このやり方のミソだとおもった。

支援者自身が当事者性を持ちつつ支援をするやり方を学ぶためにも、よい手法であるようにも思えたし、今後も続けたいと思った。

頭で考えれば、事例検討会にも似ているように思われるが、実際の体験としては相当異なる。

PCAGIPも、ライフストーリー・レビューもベースがエンカウンターグループにあるだろうと思うが。

高松里『ライフストーリー・レビュー入門:過去に光を当てる、ナラティヴ・アプローチの新しい方法』(創元社・2015年)

2017年06月23日

LSAメキシコ2017

3年間連続で、LSAに参加してきた。今年は、熊本の地震ADRについての簡単な報告をしただけ。

興味深い話をいろいろ伺ったが、シンガポールのDorcas Quek Andersonさんとお話ができたのがよかった。
[ssrn] Dorcas Quek Anderson

メディエーションに関してのセッションは必ずいくつかある。イタリアの実証調査の話や、トルコのメディエーション法施行の話なども聞いた。

Responsive Judgeという言葉が使われるようになってきているらしい。石のように無反応な中立性ということでなく、血の通った人間として裁判官がふるまうことが望ましいという考え方のようだが、具体的にどんなふるまいをするのがResponsive Judgeなのかは、解釈が分かれる。貧困者に住宅シェルターの提供を決めるといった福祉的な活動を指す場合もあれば、当事者本人に話をさせるとか、うなづいたり応答するといったレベルのことも含まれるという考えもあるようだ。

イギリスの法のコモディティ化(Commoditization of Law)の議論(Annette Morris先生, Cardiff University)も興味深かった。この言葉は、具体的には、personal injuryのケースで、手続の標準化が進み、「ソーセージ工場」のように流れ作業で問題が解決されているという現状を言っている。ディスカッタントのRob Leflar先生が、日本の交通事故処理の「赤い本」を思い出した、とおっしゃっていた。が、ソーセージ工場方式の何が問題なんだとい風に思う日本の裁判官や弁護士も多いだろうなと思いながら聞いていた。

米国の書面作成支援(ghost writing)の議論も面白かった。ABAによる書面作成支援の規制があったのだが、報告者であるJona Goldschmidt教授の論文などが影響して、書面作成支援が自由にできるようになってきたらしい。それでも、連邦レベルでは問題視される問題が残っているらしい。

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