フィリピンのワークショップの半分が終わった。
お金をかけて勉強させていただいているのはありがたい。
練習に次ぐ練習なので、とても疲れるが、周りを見ていても成長しているのがわかる。
英語力を向上させるのが目的ではなく、「英語による講義法」の勉強である。
英語によらない「講義法」を学ぶ意義にもつながっている。
受講者側の気持ちとして、「しっかり休憩したい」、「追いまくられるのは辛い」、でも他方、「勉強にならない非効率な時間を過ごすのはイヤだ」という感じを体験するのも貴重だ。
ワークショップのファシリテータ/トレーナーの立場ばかりやっていると、その実感が薄れるからだ。
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大学1年生の授業の様子も、まるまる1コマ分参観させていただいた。
李白と杜甫の詩に対する道教と儒教の影響というテーマについて、学生がグループ発表をしていた。
TAかと思ったら1学生だったというくらいしっかりしている学生さんもいて、刺激的だった。
日本の大学のグローバル化が必要だという文脈でいろいろな動きが見られるが、こういうものを見ると、確かに、取り組みのスピードアップが必要だという気にもなる。
大学受験の遺産の食いつぶしでのんびり4年間過ごすというような牧歌的なことは許されなくなってきているというのは事実だと思う。
他方で、表面的に、9月入学にするとか、英語による授業に置き換えるという話にしかつながりにくいというところにこそ、日本の大学の改革に関する議論の浅さを感じる。
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今回のワークショップに参加して、自分の能力の足りなさに関しては、改めて、その大きさにおののく感じがする。
他方、自分が直感的に感じて模索してきた方向性の大事さについては、自信を深めることもできた。それは収穫だった。
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あと、1週間、がんばります。
長男の卒業式に参加できないのは残念だけど。