関川さんは、「先生方がおっしゃった」と書いているが、「裁判が恣意的」とおっしゃったのは、稲葉先生であって、わたしではない。そこのところは、ちょっとこだわりがある。
裁判官や元裁判官が、裁判所での経験を踏まえて、裁判所の活動に限界があるということを言う場合があるのは確かなのだけれど、民間ADRの側が、その言葉を支えにADR活動をしていくという考え方には、わたしは賛成できない。
裁判所の権威に対して卑屈になるべきではないけれど、冷静に考えれば、裁判所が持っている限界と民間ADRの制約を比べれば、その差はあまりに大きい。
言ってみれば、NTTの電話と「糸電話」くらいの差だろう。
日本の民間ADRで、裁判所の限界を超えるのだということで元気を出すやり方は、すこし考え直した方が良いと思う。
おもちゃに過ぎないという現実から出発して、おもちゃ上等じゃないかと、実はおもちゃでも使い道があるんだと、実証していくところがADR運動だと思う。
「裁判の恣意性」という問題に戻ると、要は、法を徹底的に勉強すれば、局所的な法知識をふりまわすようなことはしなくなるということだろう。
自分の知っている知識をもとにいばりたいだけなのは、評価型調停ですらないはずだが、そういうエゴをどう制御していくかについて、士業団体内でもう少しまじめに考えた方が良いと思う。そういう点だけに限定しても、士業団体ADRは、現実問題として、裁判所に劣っているのではないか。
と、書いている、わたしの文章自体が、無駄にいばっていて、申し訳ないのだけれど。