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原後先生を悼む

asahi.com(朝日新聞社):元日弁連理事の原後山治さん死去 - おくやみ

今年の8月25日に原後山治先生が亡くなっていたということを知った。

一度お目にかかりたいと思っていたのにとても残念。
二弁仲裁センターを立ち上げた中心人物。

原後山治ブログで、音声も聞ける。

心構えにおいて、裁判所みたいに弁論主義という影に隠れて法廷でいかに目を開けたまま眠るかというのと違って、これはやはり誠心誠意やらなければいかんのです。・・僕は裁判官を救いたいと思うんですよ。みんな良心的で一生懸命なんだけれども、できないようなシステムなんです。それのアンチテーゼとしての仲裁では、退職した裁判官たちが自由に、皆さん喜んで、喜々としておやりですよ。
P136 那須弘平他「弁護士会仲裁と法化社会(プレシンポジウム座談会第2回)」第二東京弁護士会編(1997)『弁護士会仲裁の現状と展望』(判例タイムズ社)117-151頁

日本は国民から武器を奪ったわけですよ。刀狩りをしたんですよ。ところが、それにかわって正義を実現するシステムがあまりにも弱くあまりにも不親切だ。私は、国民は裁判に大きな不満を持っている、と思います。国民の裁判への不満というのは、金がかかるとか時間がかかるとか煩わしいという外形的な問題よりも、裁判所の解決してくれる判断の内容が納得できない、あるいはやり方が納得がいかない、一言でいうと非常に不親切な裁判をしているという受け止め方だと思うんです。・・国民がサービス機関としての裁判所に要求しているのは、親切に丁寧によく聞いてくれて、そして納得させてほしいわけです。そのためには必要な時間と必要な設備を作ってやってほしい。・・裁判所のシステムそのものが財産的にも人的にも物的にも全ての点で非常に粗末であるということです。
P88
那須弘平他「弁護士会仲裁と法化社会(プレシンポジウム座談会第1回)」第二東京弁護士会編(1997)『弁護士会仲裁の現状と展望』(判例タイムズ社)81-116頁

追記

原後山治(2005)「日本司法の非リアリズムについて」『山梨学院ロー・ジャーナル』創刊号(PDF)

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2008年09月18日 11:04に投稿されたエントリーのページです。

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