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1988年の夢

私には、こんな夢がある。調停裁判所を地裁・簡裁・家裁とは全く別個の建物にし、夏には前庭を盆踊りに使用でき、建物は市民講座とか趣味講座に開放するなど、怖い裁判所というイメージをなくしてしまう。調停委員は、話の聞き方だけをみっちり講習を受け、調停では一切自分の意見を言わず聞き役に徹し、ただ当事者が自発的に解決案を出せるようにうまくリードできる、そんな人が良い、と。
竜嵜喜助(1988)「調停制度の現状と問題点」『民事訴訟法の争点<新版> ジュリスト増刊』、p58-61

コメント (2)

せきかわ:

竜嵜先生の名前を久しぶりに拝見しました。

先生は、1988年当時新潟大学にいらっしゃったはず。私は翌年同大学に入学しましたが、結局先生の民訴講義を受けることはなかったような。。。

竜嵜先生が調停制度について、このようなご意見を述べていたとは存じ上げませんでした。

現在でも相変わらず裁判所は怖いところです。

ただ、一方では裁判所は怖いところというイメージであるままの方が都合が良い場合もあるよね、と思ってしまうことがあります。

ヱ:

ニアミスだったんですね。

竜嵜先生は、文学部出身で司法書士を経て弁護士になられた方だったような記憶があります。

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2008年09月15日 18:10に投稿されたエントリーのページです。

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