ひとことで、よく言えば「バランスが良い」、悪く言えば「折衷的」。
しかし、だからこそ、裁判官や弁護士一筋の人たちにも受け入れやすいのだと言える。
facilitative mediationはもはや確固とした位置を占めているが、それに甘んじることなく、疑いの目を持っている人たち(もちろん今でもアメリカにもたくさんいる)にも、受け入れやすいレトリックを駆使して、「戦略の幅を広げるように」説得するという「戦略」を取っているようである。
そういう意味で、facilitativeオンリーの立場よりも、一歩踏み出しているところがある。一見逆向きに見えるかもしれないけれど。
たとえば、community調停では、「はじめの挨拶」のスクリプトを丁寧に作りこんで、それを何度もおさらいをするようなアプローチを取ることもあるらしいが、調停のヘビーユーザであるような弁護士が増えてきているカリフォルニアの調停で、形式的にそのような「はじめの挨拶」を行うことは、当事者中心の理念から遠ざかるので、端的な「はじめの挨拶」をオーダーメードで作れというメッセージをPepperdineでは取る。
つまり、3分、10分、20分それぞれでできる「はじめの挨拶」を持っておけというのが、Pepperdineの立場だ。
また、調停における、代理人としての弁護士の存在をどのように考えるかという講義もあり、当事者と代理人がそれぞれ異なる秘密事項を持つという凝ったロールプレイもあった。逆に代理人の立場から、プロセス管理者としての調停人のパワーをどのように使うかという議論も深まってきているそうだ。