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家裁調査官・飯田邦男先生の家事調停論の特集。
講演録なので非常に読みやすい。
最初の本で書かれておられた調停観から変化されておられるようにも感じたが、そのあたりはどうだろう?
裁定した結果について合意を取り付けるなら高野耕一判事と同じなのではないかと、上原先生がつっこんでおられたが。
ともあれ、家裁の調停の実務の改善に正面から取り組もうという声として、画期的なものだとおもう。
どこかの家裁で、所長以下裁判官と調査官と調停委員で、実験的に新しい取り組みをしてみれば、成功しそうな気もする。甘すぎる考えだろうか。
……調停や審判は同席が原則となろう。私は、実は民法七六六条改正の意義はここにこそあったと思わざるを得ないのである。調停は話し合いだといいながら、これまでの別席調停だと話し合っているのはそれぞれの当事者と調停委員の間だけであって、当事者同士はちっとも話し合っていないではないか。これまでは話し合いではなく、調停委員に対する言いつけ合いにすぎなかったのではないか。こんなことでよいはずはない。調停委員の力量増進の研修を強化して、同席調停が可能な条件整備に努めるべきである。今回の改正はそのことを要請していると解すべきである。少なくとも子どもの将来に関わる面会交流では、同席による話し合いでとことん子育ての将来設計について意志疎通を図るべきである。
同席調停に関しては、相手の顔も見たくないといって、これをいやがる当事者もいるが、少なくとも面会交流のような将来とも子どもをめぐって関わりあいを持たざるを得ない両親等の当事者同士のような場合に、同席調停もできないようでは、将来面会交流が「子の利益」に適う内容と形式でできるはずがないことは何人も認めるであろう。同席調停はできないが、面会交流は原則的に強制すべきであるというようなことはあり得ない。面会交流の実施が原則ならば、同席調停が原則とならざるを得ない。もちろん、財産分与や遺産分割等の財産関係等の場合には、別席による調整が効を奏することもあり、すべて全事件に同席を原則とすべきとはいえないが、司法とは透明性の確保と当事者権の保証がその命である以上、ブラックボックスを伴う別席では問題が生じることを肝に銘じるべきであろう。(11頁)
梶村 太市「親子の面会交流原則的実施論の課題と展望」判例時報2177号(2013年)3-12頁