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『現代調停論』のあとがき

今度出してもらう本の宣伝を。
定価も高くて、そうそう売れないでしょうから。

尊敬申し上げている方、好きな方には、献本致しますので、お待ちいただければ。
尊敬申し上げている方、好きな方の全員に献本するわけにも行かないので、届かなくってもご容赦をください。

どんな本かは、あとがきだけでも眺めていただければと思い、掲載します。
毎度のことながら、えらそーな文体ですいません。


現代調停論 あとがき

 大阪の蛙と京都の蛙という昔話がある。
 京都見物をしようと思いたった大阪の蛙と、大阪見物をしようと思いたった京都の蛙が、間にある天王山の山頂で出逢う。そこで、大阪の蛙は京都の蛙に向かって大阪なんかつまらないから行くのはおよしなさいと言い、京都の蛙は大阪の蛙に向かって京都なんかつまらないからおよしなさいと言う。では、ということで、行き先の街を見下ろしたつもりが、地元の街を見て、なんだ同じようなところだという感想を持ってそれぞれ元の街に帰ることに決める。蛙の目は頭の上に付いているので、立ち上がると後ろの方を見てしまうから、大阪の蛙は京都を見ているつもりで大阪の街を見ていたし、京都の蛙は大阪を見ているつもりで京都を見ていたというオチである。

 わたしは、米国型調停に関する議論を聞いていると、しばしばこの昔話を思い出す。
 米国で近年発展している新しいタイプの調停は、お金のかかる裁判とは異なり、柔軟で実情に即した解決ができるこれからの解決手続だというよくある宣伝がある。しかし、わたしならこの話を聞いても、日本では昔から分かっていたし、やってきたことだと感じてしまう……。 調停の研究において、このような既視感に囚われずに探求の旅を続けることは可能だろうか。
 本書が取り組んだのはこの問題である。高いところからの眺めで見たつもりにならずに、できるだけ近くまで足を運び、直接見えたものを大切にしながら、それぞれの全体像を明らかにしようとしたのである。全ての姿を見尽くした、書き尽くしたとはとても言えないが、これまで取り組んできたものに一応の形を与えられたことに、喜びを感じている。

 本書は、研究者、実務家、政策担当者、そして一般の方々に読んでいただきたいと思って書いた。
 研究者の方々には、批判を賜りたいと考えている。本書のアプローチは、少なくとも近年の日本ではめずらしいはずである。率直に申し上げれば、高踏的な議論に留まりがちな従来の研究への批判を含んでいる。具体的な調停現場で起きている事実関係に基づいた議論のための素材と共に、わたしなりの見方を提示したつもりである。わたしの議論には様々な甘さがあろう。批判を期待している。
 実務家の方々とは、理念に立ち返った議論ができればと考えている。本書は、調停の理念、制度、運用実態についての研究書であって、実践のためのハウツーを示したものではない。(良き実践を具体的に行うための方法についても、いずれ書いていきたいと望んでいる。)しかし、本書は良き実務家の導きで出来たと言って過言ではない。技法は所詮手段に過ぎない。現在及び未来の良き実務家と、調停の実践が意味する理念を語り合いたいと望んでいる。
 政策担当者(ADR法及び司法調停、行政型ADR機関等)が、わたしの議論を相手にしてくださるかどうかは定かではない。しかし、アリバイづくりとしての調停政策・ADR政策でよしとしない方にとっては、いくつかの問題提起を読み取っていただけるものと期待している。国民性が違う、認知度が低い、執行力の問題であるといったこれまでありがちだった議論の延長線上には展望がないことははっきりしている。さらに、弁護士と隣接法律専門職の業際問題として矮小化しないことを切に願う。角を矯めて牛を殺すことがないように考えるべき要素を明確にしたつもりである。
 そして、すべての読者に申し上げたいことは、プレモダン(話し合いによる紛争解決という近代社会以前の古くから存在する活動)ともポストモダン(近代の裁判システムの成熟後に制度化された活動)とも理解できる調停手続と格闘することを通じて、現代のこの社会について、共に考えたいということである。子どもが2人いれば親として調停せざるを得ない。友人グループの中で、あるいは職場で、葛藤と関わりなしに社会生活を営むことは不可能であり、小さな調停活動は至るところにある。調停を考えるということは、われわれの住む社会を考えることである。

 わたしが調停の研究をはじめたのは、当時働いていた民間シンクタンク(三菱総合研究所)での調査研究がきっかけであった。2002年に小さな文献調査を行い、2003年に米国の調停機関11箇所へのインタビュー調査を行った。このときに会った方々から受けた印象が、わたしにとっての調停研究の原点にある。しっとりとしたやさしさ・親切さという印象とともに、芯の強さ・自信・ある種の厳しさも併せ持った魅力を感じたのである。昔の日本人はこういう人たちだったのではないだろうかと感じたことを今でも思い出す。(これもある種の既視感である。)
 その後、調停トレーニング教材の試行作成というプロジェクトや、調停トレーニングの受講、調停トレーニングのトレーナーとしての経験を重ねる中で、現代の調停とはどのような営みを指すのか、どのような意味を持った活動なのかを考え続けてきた。
 そして、2006年から東京大学大学院法学政治学研究科の博士課程に入学し、会社を辞め、調停の研究に専念することにした。本書は、その博士論文原稿を修正してとりまとめたものである。

 未熟な本書ではあるが、多数かつ錚々たる方々の指導と協力を得た。
 全員の名前を挙げることはできないが、博士論文のご指導をいただいたダニエル・フット先生には第一にお礼を述べたい。自分が教員の立場ならここまでつきあえただろうかと思えるほど、多くの時間を割き、粘り強く指導していただいた。まがりなりにも形作ることができたのはフット先生の懇切さのたまものである。日本における現代調停を文字通り切り開いたレビン小林久子先生には、執筆中から励ましていただき、光栄にも九州大学へ誘っていただいた。調停トレーニングの師匠である稲葉一人先生には、常にメンターとして相談に乗っていただいた。東京大学の太田勝造先生、佐藤岩夫先生、石川雄章先生、早稲田大学の和田仁孝先生にも格別のご指導をいただけた。さらに、本書を特徴付ける実務研究への道筋をつけてくださった中村芳彦先生、鷹取司先生、松下純一先生には特にお礼を申し上げたい。様々な団体にもお世話になったが、とりわけ全国青年司法書士協議会の関係者の方々にお礼と同志としてのエールをお伝えしたい。そして、調停トレーニングに参加してくださった方々を含め、わたしの調停に関する考察を深めてくださったすべての方々に感謝を申し上げる。

 本書の編集は、東京大学出版会の斉藤美潮さんにご担当いただいた。斉藤さんの的確な導きを得て、世の中に出せる幸せを強く感じている。なお、本書の出版に当たって平成24年度科学研究費助成(科学研究費補助金(研究成果公開促進費))を受けている。

 最後に、この旅につきあってくれている家族にお礼を述べたい。ありがとう。

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2013年01月23日 17:45に投稿されたエントリーのページです。

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