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調停委員の研修がマイナスになるとき

以下の文章はいつ頃書かれたものでしょうか?

 近ごろ調停委員の間には研修が盛んである。そのことはもちろん結構である。調停の手続や、関係法律の大筋を知ること、あるいはケースワークやカウンセリングの機能について知識を得ることは、調停をする上に欠くことができない。しかし、調停委員は、この研修によって法律の専門家になるわけでもないし、ケースワーカーやカウンセラーになるわけでもない。むしろ、何が専門の分野であるかを知り、それぞれの専門家を事案に応じてどう利用するか、利用というと語弊があるが、どういう場合にどういう専門家の手に托すべきか、を知ることが必要なのである。
 もし、法律の研修を受けたために、調停委員は法律を知ることを義務づけられるものと錯覚し、法律の問題までも自分で処理しなければ職責を果し得ないと誤解して、必要な場合にも裁判官の指示を求めることをちゅうちょするようなことにでもなれば、それこそ研修はマイナスになる。自分の無知を知ることこそ、本当に知ることであろう。調停委員は、広い総合的な視野から、人間本来のものを掘り下げて、事案そのものを正しく解明し、その解釈の道を見出していくべきである。調停が人間性と法律との相剋の場であるとするならば、そういう高い智性こそ、調停委員に求めらるべきである。 P12

答えは、1964年。

著者は、当時の東京家裁所長の内藤頼博氏。
この方は、戦時中の人事調停法立法に先立つ米国調査をされた方で、初代の調査官研修所所長。

出典は、内藤頼博 (1964) "家庭裁判所への一つの視点", 判例タイムズ, 167, 10-13.

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2013年01月18日 12:32に投稿されたエントリーのページです。

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