最近の調停トレーニングでは、調停人役のデモをするようにしている。
昔はDVDを見てもらっていたのだが、どうしてもステレオタイプの理解の助長になるところがあり、また、参加者が眠くなるという理由もあり、ライブの方がよいのではないかという趣旨で行っている。
ただ、これが、うまくいくときとうまくいかないときがある。(このうまくいくということは、合意できる、合意できないとは違う)
うまくいかないなりにやってみせることに意味があるとは言っても、やはり納得感につながるようにと考えてはいる。
たまたま当事者役になる人の状況とか、他の参加者の雰囲気とか、部屋の設定とかとともに、自分自身のコンディションの問題、、その時の関心も影響している。また、自分自身の能力の問題もある。
トレーニングのエンターテイメント性を追求するつもりはないが、存在として説得力が持てるように精進しなきゃな、とは思っている。