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裁判員制度に必要な第三極の議論

裁判員制度について、ある人と話をしていて、以下のようなことを考えた。

まず、裁判員制度について、裁判所は年間10億円以上の広報予算をかけてPRを行っている。
こちらの視点は、周知徹底がミッションである。ちょっと意地悪に見れば、「動員」を有効に行いたいということだ。

これに対して、裁判員制度の反対意見も強い。従来ならば、精緻な職業裁判官によって専門的に行われていた手続が、簡略化され、雑な手続にならざるを得ないという点を主に批判しているとおもう。

PRを有効に行おうとしているのが第一の立場であり、第二の立場は、第一の立場に反対している。
わたしが必要だと思う第三極とは、市民による司法参加は必要だが、そのためには必ずしも現在導入されようとしている手続が最高であるわけでないと考える立場だ。

具体的には、これから導入しようとしている裁判員制度に、2点の大きな問題があるように思う。
第一は、刑事の重大事件を対象として市民参加を求める制度になっていることだ。猟奇的なものもあるし、暴力団の事件もある。このようなのは、市民感覚がうまく生きてくる類型とは思えない。民事に陪審を導入すると、企業対消費者の紛争で企業側が不利になるという政策判断が働いたのかもしれないが、市民感覚を生かせるのはやはり民事であろう。刑事についても、むしろ軽微なものであれば、例えば加害者が市民陪審に話を聴いてもらったりして、自分の犯罪を反省し、再犯率を下げるのに役立つといったメリットが出やすいとおもう。
第二は、裁判員制度における評議の方法だ。市民裁判員と職業裁判官が話をする方法についての研究がプアだとおもう。具体的には、ファシリテータを置くか、裁判官のうちの少なくとも一人をファシリテータとしての能力を持つ者にするべきだと思う。そうでなければ、市民裁判員と職業裁判官の話し合いが、「対話」として成立しない。模擬の裁判員評議でも、裁判官側が設定した論点について、多数決的に裁判員の意思を確認される場合が多いようである。裁判官側には、どの論点がその事件の核心であるかとか、論点間の依存関係は見えていても、裁判員側には見えない。「対話」ではなく、ミニアンケートで重大な事件に結論を出すのはいかにも無責任である。

司法動員を認めるという立場でもなく、職業裁判官を盲信する立場でもない、第三の立場として、議論が必要なのではないかとおもう。

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2009年03月25日 08:46に投稿されたエントリーのページです。

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