林真貴子先生の勧解についての論文を読んで以来、明治の元勲の井上馨に関心が強くなっている。
馨(声が香る)とか聞多(聞くが多い)とかの名前を持つように、書き言葉ではなく、話し言葉の人だったのではないか。
鹿鳴館時代と結び付けられる人物だが、裁判官を外国人にするという話まであったくらいだから、社会の欧化による近代化に疾走したはずだ。
海音寺潮五郎の悪人列伝 (近代篇)では、維新後の汚職疑惑について書かれているようだが、長生きをして、黒幕として長く影響力を持ったようである。
どんな人物だったのか気になっている。