アメリカで、アイン・ランド研究を反対されたけれど、でも私はやるんだの記
アイン・ランドの『水源』を訳した方の、おたけびのような文章。
だいたいが、自分ひとりの人生さえ管理できない人間が、他人など救えるか。また人を救えると思うのが馬鹿。思い上がり。自分の人生は自分しか救えないのだから、他人の人生も、その当の他人しか救えない。それを自分が救ってあげようなんて、その他人を馬鹿にした話である。また自分の人生は自分の人生だから、自分には幸福に生きる、自らの人生を豊かに成就させる義務がある。だから、自分の人生を自分で傷つけたりすることは不道徳なことだ。また、自分を他人に搾取されるままにするのも不道徳なことだ。自己犠牲などというものは、自分の人生への冒涜であり、罪悪である。抑圧された依存心の投影から他人に過剰に関わるという行為には、本当の意味での、その他人への信頼がないし、尊敬がない。その他人が自力ですべきことに過剰に手助けすることは、自分の人生の空虚をその行為で埋め合わせするようなものだ。助けているつもりで、利用しているだけだ。ひとりひとりの人間が、めいっぱい自分の幸福成就に努力することへの手助けが、そういう意味での、搾取であってはいけない。
アイン・ランド, 藤森 かよこ (訳)[2004] 『水源―The Fountainhead』(ビジネス社)
※原著は1943年。現在もアメリカで読み継がれ累計500万部を超す大ロングセラーの本邦初訳、だそうです。