北川達夫、フィンランドメソッド普及会[2005]『図解 フィンランド・メソッド入門』(経済界)
を見ていて思うのは、リテラシという概念が、読み書きそろばん的な、要素技術習得能力から、プレゼンや発想などの局面で、構造を使いこなす能力に拡張されつつあるのではないかということだ。
たとえば、表現力のトレーニングでは、以下のようにフォーマットを使って書かせる(p50)
第一段落 あながた好き/嫌いなものについて説明しましょう
第二段落 なぜ、それが好き/嫌いなのですか?
(わかりやすい理由+理由の説明)
第三段落 なぜ、それが好き/嫌いなのですか?
(まあまあわかりやすい理由)
第四段落 なぜ、それが好きなのですか?
(思い出、体験談を説明し、あなただけの特別の理由)
第五段落 最後にいかにそれが好き/嫌いであるかを強調しましょう。
今の国語教育は、どうなっているか知らないが、わたしが子どもの頃は、すくなくともこのような教育はなく、生徒に自由に書かせて、それを教師が評価するというものだった。
どう書くかというプロセスの問題と、何を書くかというコンテンツの問題が混同されていて、「道徳的」なフィードバックが返ってきて、なんとなく釈然としない想いが残ったことも多かった。
そうではなく、効果的なコミュニケーションの構造を自由に使いこなせるような練習の機会を与えるという意味の教育が大切なのではないかというふうに、最近考えている。